手もかじかむ寒さ厳しい朝を迎えると、きまって四十八年前の焼き芋の温かさが、心にしみいるようによみがえってきます。
私は中学時代の三年間、ふるさとの鹿児島加治木の地で新聞配達をしていました。春夏の明るい朝は、とてもすがすがしい気持ちで配達できるものの、当然その真逆の厳冬の時も、配達しなければなりません。中学生といえども、暗く冬の寒い中での配達は、心細い限りでした。
厳しい寒さのある朝、いつものように配達をしていました。二十軒ほど配ったころ、ある家の戸袋に新聞を差し込もうとすると、明かりがもれていた戸口が開けられ、おばあさんが出てきました。
「毎朝ご苦労さん。この寒いのに大変ね。」といって、新聞紙に包んだ温かい焼き芋を渡してくれました。とてもうれしかったものの、うまくあいさつもできず、そのまま受け取り、次に向かいました。新聞紙に包まれた焼き芋を手にすると、かじかんだ手がとても温かくなりました。焼き芋の温かさと共に、私が配達に来る前から準備をしてくれていたおばあさんの心遣いが、ひしひしと伝わってきました。
それでも、すぐに口にすることなく、次の配達のため焼き芋は、そのまま懐に入れました。すぐに、食べてしまうより、懐に入れておいた方が、カイロ代わりになり、体が温まって気持ちがよかったのです。それから懐に入れたまま、七十数軒の家の配達を終えました。
全部の配達を終えて家に帰る途中、風よけになるところに自転車を止めて、焼き芋を取り出しました。懐に入れてはいたものの、とうに冷めていました。早速新聞紙の包みから取り出して、口にほおばると、温かさがほのかに残っていて、とてもおいしく感じました。時折、冷たい風が顔に吹き付けていましたが、心にしみる温かい焼き芋の味がいつまでも心に残りました。今でもあの味が、ほのかな温かさとなってよみがえり、心にしみてきます。
あれから四八年が過ぎました。盆や正月に帰省すると、あのおばあさんの古かった家は、既に取り除かれ、だれも住んでいなかったように雑草が茂り、石ころが転がる空き地となっています。この場所に立ち見渡すたびに、あの日のことが鮮やかに思い出されます。新聞配達の道をたどるとき、もうこの世にはいない、おばあさんとの見えない心の絆が、時を超えてつながり、温かい焼き芋の味がよみがえってきます。