いつも、私の心と体を元気にしてくれるのは、娘の「究極のメニュー」です。
娘が3才の時、私は離婚しました。その頃、色んなことに疲れ果て心も身体もボロボロで、実家でしばらく寝たきりのような生活が続きました。何にもする気になれず、ひどい時には、1日にパン1個を野菜ジュースで無理に流し込んでいました。食欲が出るようにと、父が色んな種類のパンを買ってきてくれましたが、体重も36kgまで落ちてしまいました。母もパンとジュースだけではダメだからと、毎日カツオや梅、昆布のおにぎりを作ってくれていました。ですが、それも何とか食べられたくらいで、なかなか体力が戻りませんでした。
そんな時、まだ保育園にも行っていない娘が、母のまねをしておにぎりを作ってくれました。中には具が何も入っていないおにぎりで、味のりが巻いてあるだけでした。小さい手で握ってくれるので、一口で食べられるくらいの大きさにまるめてあります。その少しつぶれかけの小さなにぎり飯が、のりに隠れるようにして小皿に3個乗っていました。それを、お茶と娘のおやつのラムネ3粒と一緒にトレーにのせて、私の寝ている所まで、「あーちゃん(お母さん)、どうぞ。」と持って来てくれました。
それで、その小さなおにぎりを1つ食べてみると、運んで来る時湯のみから小皿にこぼれたお茶とおにぎりののりとで、お茶漬けのような味がしました。長い間、味が分からなかったのに、その時はちゃんと味がわかったのです。そして、すごく不思議な気持ちになり、涙があふれました。自分のお腹の中から出てきた命がおにぎりを作ってくれて、それを食べている自分がいる。それがとても不思議な感覚で「ああそうだ、この子のためにもがんばらなくては。」と思えた瞬間でした。
「おいしいなー。あーちゃん元気になれる究極のメニューやな。」
と言うと、娘は意味もわからないのに嬉しそうに「きゅうちょくのメニュー。」と笑って跳びはねました。
それから毎朝、目が覚めると私の枕元には、娘の「究極のメニュー」が置いてくれてあったのです。そうして、両親の暖かい支えと娘のおかげで、少しずつ私の体力は戻っていきました。
娘の「究極のメニュー」は、娘と共に成長し続け、私や両親が体調を崩す度にいつも勇気と元気を与えてくれています。小学生になると、おにぎりにちゃんと色んな具が入るようになり、形も整ってきました。玉子焼きやみそ汁も付くようになりました。大人になった今は、色んな料理を作れるようになりました。時は流れ、今は亡き母の味もしっかりと受け継いでくれています。
本当に両親にも感謝。
そして、いつも私に生きる力をくれる娘と「究極のメニュー」に、ありがとう。