切り干し大根の煮物、ひじきの煮物。
これは私にとって「叔母の味」。
かぶら蒸し、西京焼き。
これは私にとって「叔父の味」。
私が中学に上がる前に、二人の弟と父の実家である割烹料理屋に居候することになった。
両親が離婚することになり、共働きでは幼い子どもたちが心配と、父方の叔父叔母が、面倒を買って出てくれたのだ。
当初の予定は父が二人の弟を、母が私を連れていくわけだったのだが、弟と離れるのが嫌だという私のわがままで結局三人転がり込んでしまった。
店での生活がはじまった。そこには今までの家の台所では見ることのなかった光景が広がっていた。大鍋に大量に作られた煮物、醤油や鰹節のなんとも香ばしい香り立ち込める厨房、それら和食ならではの奥深い魅力に、子どもながらすっかり夢中になった私は、自らの身の上を憂うことなど忘れていた。
厚焼き玉子の焼き方や天ぷらの衣加減を覚えたのも、叔父が夏休み手伝いを頑張ると、「これはお嬢さんしか食べられないスペシャルオムライスだぞ。」とトロトロ玉子の賄いランチを作ってくれたのもこの厨房だった。
世話になっている恩義はもちろんだったが、厨房というこの場所が大好きで、試験期間中だろうが、叔父や叔母の横にくっついて手伝っていた。
今振り返ると、私の青春の居候時代は、決して不幸なものではなく、むしろおいしいが溢れる食いしん坊な記憶ばかりが鮮明に残っている。
そして、私が大学に進学するのを機に、父の元に戻ることになり、居候生活は終わった。
あれから30年たった今でも、和食を作る時の味つけの基準は、あの6年間の記憶のそれだ。嫁いだ家には、時々実母を招いて手料理を振舞うことがある。
ある時、私の料理を食べながら、伏し目がちに母はつぶやいた。
「あなたたちと離れて暮らさなければならなくなって、本当に申し訳なかったし、私もとても寂しかった。でも、あなたがこんなにおいしい料理を作れるようになったなんて、結果的に正解だったかもしれないわね。
お母さん、あの頃仕事に明け暮れて、ちゃんとした手料理を作ったり、教えてあげたりしてなかったわね。」
母の横顔を見ながら私の記憶をたぐり寄せたところに、ほんのりバターの香りがしてくる気がした。
「そう、私にとってのお袋の味。それは仕事が休みの日に、お母さんが買ったばかりのオーブンを使って作ってくれたあのバターロール!!」
「覚えてくれてたのね。」
母は目頭をおさえながら微笑んだ。