「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第8回

一般の部(エッセー)

キッコーマン賞
「青い蓋の定期便」
山田 初恵さん(山口県・56歳)
読売新聞社賞
「塩むすび」
森野 直美さん(広島県・51歳)
優秀賞
「温かかった焼き芋」
別府 洋一郎さん(福岡県・61歳)
「お雑煮」
野中 碧さん(東京都・30歳)
「おばあちゃんの煮付け」
山縣 昭―さん(茨城県・89歳)
「辛子漬けと卵焼き」
赤井 克也さん(大阪府・74歳)
「幸せを育くんでくれた味」
小林 千尋さん(埼玉県・47歳)
「贅沢な西瓜」
菱川 町子さん(愛知県・72歳)
「七個のオニギリ」
松岡 智恵子さん(長野県・56歳)
「ひみつの味」
村田 好章さん(滋賀県・68歳)
「娘の『究極のメニュー』」
中井 路子さん(京都府・49歳)
「私と母の妙飯」
笹木 美来さん(千葉県・16歳)

小学校低学年の部(作文)

キッコーマン賞
「みんなといっしょ」
武田 奈々さん(兵庫県・7歳)
優秀賞
「えがおがいっぱい」
清水 ことみさん(東京都・7歳)
「じいじのオムライス」
佐久間 姫愛さん(東京都・8歳)

小学校高学年の部(作文)

読売新聞社賞
「最後」
本田 芽具実さん(広島県・12歳)
優秀賞
「おにぎりの忘れ物」
齊藤 吏玖さん(山形県・12歳)
「お姉ちゃんのお弁当」
村田 健太朗さん(東京都・10歳)

※年齢は応募時

第8回
■一般の部(エッセー)
優秀賞

「おばあちゃんの煮付け」 山縣 昭― やまがた しょういち さん(茨城県・89歳)

 因ノ島の小さな船溜まりだった。舳先をがっしりと突きあげた船が、幾隻か係留してあった。外航船のようにも見えた。おばあちゃんは岸壁の端に蓆を敷き、座って網をつくろっていた。春だった。瀬戸内海はおだやかに晴れていた。目礼までも行かぬ辞儀をし、おばあちゃんの作業を見ていた。ずっと見ていた。

 お兄さん何処から、と問い掛けて来た。東京、と答えた。フーン、と言った。作業をつづけながらだった。不意におばあちゃんが、散歩にでも行くかい、と言った。散歩、いいですね、と答えた。待っとれ、すぐ戻ってくるからと言い、網を抱えて去って行った。

 おばあちゃんが現われた。小舟に乗ってだった。エンジン付き。海上散歩だった。瀬戸内海には地図にも無い小島が、幾つも有るのだと知った。おばあちゃんが舵を取る舟は、その間を器用に縫って進む。海の青さ、天地の広さ、いいなあと思った。

 エンジンを止め、網を下ろした。しばらくして上げると、六、七匹だったか、キラキラと光るものが跳ねていた。鰯だった。コンロの炭はすでに真っ赤に燃え、小鍋の中には湯がたぎっている。鰯をそこへぶち込む。醤油をくるくると掛ける。一丁上がりだ。

 もう良かろ、と鍋を下ろした。小皿と箸を渡して呉れた。すぐに食う。ほかほかで口が焦げそう。しかし旨い。ホーッと息を吐き、また一箸放りこむ。おばあちゃんがうれしそうに見ている。この味付けは醤油だけで味醂も砂糖も無しの生一本。その醤油が芯にまでは通りきらず、程よいあたりまで沁みている。刺身の歯ざわりをほのかに残したふっくら加減。旨い、と何度でも言いたくなる。

 おばあちゃんも箸を付けた。二人で食べた。いいなあ、と言ってしまった。何が、とおばあちゃんがにっこりした。舟を下りるのが辛かった。自分で自分を素っけ無くして別れた。帰京してから聞いてあった宛て先に礼状と何かを送ったが、無事に届いたのかどうなのか。あとになって知ったのだが、あの船溜まりは家船(えぶね)集落のものだったらしい。家船の出自はマレーシアの山岳民族。部族抗争に敗れて川を下り、ジョホール河口で東西に散った。東行グループの終着点が日本の長崎で、更に分れて瀬戸内海に入ったとされている。おばあちゃんの煮付けには、そんな歴史の隠し味がまぎれていたのかもしれない。

 さて今住むあたりの鹿島灘も、好魚の漁場として知られている。殊に平目は江戸時代から東海の絶品と称され、刺身、煮付け、焼き物のいずれもグルメの口にかなう。ただし、瀬戸内海のおばあちゃんのあの煮付けを越える味には、まだ出会っていない。

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