因ノ島の小さな船溜まりだった。舳先をがっしりと突きあげた船が、幾隻か係留してあった。外航船のようにも見えた。おばあちゃんは岸壁の端に蓆を敷き、座って網をつくろっていた。春だった。瀬戸内海はおだやかに晴れていた。目礼までも行かぬ辞儀をし、おばあちゃんの作業を見ていた。ずっと見ていた。
お兄さん何処から、と問い掛けて来た。東京、と答えた。フーン、と言った。作業をつづけながらだった。不意におばあちゃんが、散歩にでも行くかい、と言った。散歩、いいですね、と答えた。待っとれ、すぐ戻ってくるからと言い、網を抱えて去って行った。
おばあちゃんが現われた。小舟に乗ってだった。エンジン付き。海上散歩だった。瀬戸内海には地図にも無い小島が、幾つも有るのだと知った。おばあちゃんが舵を取る舟は、その間を器用に縫って進む。海の青さ、天地の広さ、いいなあと思った。
エンジンを止め、網を下ろした。しばらくして上げると、六、七匹だったか、キラキラと光るものが跳ねていた。鰯だった。コンロの炭はすでに真っ赤に燃え、小鍋の中には湯がたぎっている。鰯をそこへぶち込む。醤油をくるくると掛ける。一丁上がりだ。
もう良かろ、と鍋を下ろした。小皿と箸を渡して呉れた。すぐに食う。ほかほかで口が焦げそう。しかし旨い。ホーッと息を吐き、また一箸放りこむ。おばあちゃんがうれしそうに見ている。この味付けは醤油だけで味醂も砂糖も無しの生一本。その醤油が芯にまでは通りきらず、程よいあたりまで沁みている。刺身の歯ざわりをほのかに残したふっくら加減。旨い、と何度でも言いたくなる。
おばあちゃんも箸を付けた。二人で食べた。いいなあ、と言ってしまった。何が、とおばあちゃんがにっこりした。舟を下りるのが辛かった。自分で自分を素っけ無くして別れた。帰京してから聞いてあった宛て先に礼状と何かを送ったが、無事に届いたのかどうなのか。あとになって知ったのだが、あの船溜まりは家船(えぶね)集落のものだったらしい。家船の出自はマレーシアの山岳民族。部族抗争に敗れて川を下り、ジョホール河口で東西に散った。東行グループの終着点が日本の長崎で、更に分れて瀬戸内海に入ったとされている。おばあちゃんの煮付けには、そんな歴史の隠し味がまぎれていたのかもしれない。
さて今住むあたりの鹿島灘も、好魚の漁場として知られている。殊に平目は江戸時代から東海の絶品と称され、刺身、煮付け、焼き物のいずれもグルメの口にかなう。ただし、瀬戸内海のおばあちゃんのあの煮付けを越える味には、まだ出会っていない。