私の幼い頃からの記憶の中で、祖母と母はいつも角をつき合わせていたような気がします。口八丁手八丁の負けず嫌いな姑と、スローペースな我儘な嫁。大惨事にまでは至らなくとも小さな接触事故は毎日繰り返され、私は子供心にビクビクしていたのを憶えています。
実家では、専業主婦の母が家事一切を担い、仕事を持っていた祖母が台所に立つことはほとんどありませんでした。あまり家事を得意としない母と、本来料理好きな祖母にとって、それが必ずしも心地いい環境ではなかったと思います。今思えば、お互い意地を張っていたのでしょう。
ただ夕食のメニューが「天ぷら」の日だけは事情が違っていました。もともと揚げ物が苦手な母は、材料の下ごしらえとサラダ油を火にかけるまでの段取りを済ませると、大きな声で
「おばあちゃーん、お願いしまーす」
と祖母を呼びました。
祖母は太った身体をノシノシと揺らすように台所に現れ、菜箸でササッと衣をかき混ぜ手際よく材料を揚げていきました。
いつもは一番最後に食卓に着く母に、
「あんたも揚げ立てを食べな」
と声をかけ、次々に母の目の前の大皿に天ぷらを重ねていきました。
中でも「イカの天ぷら」は祖母の十八番でした。母や私がハネる油を怖がる様子を見て、
「まったく…こんなことぐらいで…」
などと憎まれ口をたたきながらも、その顔は嬉しそうで穏やかでした。
母は当時の祖母と同じくらいの年齢になり、ますます揚げ物など億劫になった様子でしたが、私の子供…つまり孫に天ぷらを揚げるときには決まってこう言いました。
「おばあちゃんがいたらなあ」
…と。私の子供が
「なんで? おばあちゃん、ここにいるじゃん。なんで?」
と尋ねる声に、ただ照れ臭そうに笑っていたものです。
そんな母も数年前に他界し、私は未だに油の中で勢いよくハネるイカに悪戦苦闘しています。それでも天ぷらを食卓に並べる夜は、必ず気持ちが温かく懐かしい想いに包まれます。
「どうして? どうして、ウチはこんなふうなんだろう…」
と、家族を鬱陶しく感じる青春時代もありました。けれど、あの頃素直になれずにいた祖母と母が、なぜだか今は可笑しくて可愛くてなりません。そして私は不恰好な天ぷらをこしらえるたび、「グフフフ…」と思い出し笑いを我慢できずにいるのです。