「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第1回
最優秀賞作品
「卵焼き」
原 和義さん(福岡県)
優秀賞作品
「じゃがいもの家系図」
小須田 智女さん(千葉県)
「お魚さんの入った黄色いご飯」
大友 淑依理さん(宮城県)
入賞作品
「“おふくろの味”の概念に関する一考察」
髙橋 克典さん(東京都)
「オッパイ・スープ」
丸山 米子さん(神奈川県)
「鱈の煮付け」
幸平 泰子さん(新潟県)
「からあげ」
天野 美和さん(静岡県)
「ちらし寿司宅配便」
山野 華鈴さん(神奈川県)
「思い出のお弁当」
吉田 彩子さん(京都府)
「一度きり焼」
廣野 忍さん(大阪府)
「魔法のおにぎり」
谷中 昌一さん(茨城県)
「爆弾おにぎり」
小西 逸代さん(長崎県)
「嫁と姑と天ぷら」
三枝 夏季さん(愛知県)

※年齢は応募時

第1回
入賞作品「からあげ」天野 美和さん(静岡県)

 今日は息子が来る。一人ぐらしの息子は多分外食かスーパーの惣菜で済せているに違いない。来た時くらいは手作りの物を持たせたい。そんな思いで朝から台所に立っている。昨夜醤油に漬けておいた鶏肉に片栗粉をまぶして揚げている。野菜も不足しているだろうと法蓮草の胡麻和えと里いもの煮物も作る。四十半ばの息子に食べさせようと、心躍らせて台所に立つ自分が滑稽でもあるが、罪ほろぼしのつもりかもしれない。

 子供の頃一緒に居る時間が少なかった。弟と二人だけで暮らしている時期が長く、母親に甘えることができなかった。二人はいつも協力し合って台所に立っていたのだろう。

 三十年も昔のことだ。まだ小学生と中学生の息子を残し長期入院をしていた私は、雨につけ風につけ心配し、風邪を引いていないか、風呂には入っているか、衣類は替えているか、部活はできているだろうかと小さな事まで心配し、何もできない自分を責めたり、詫びたりしていた。

 大晦日の午後、初めての外泊を許されバスに乗った。飛びついて泣くだろうか。恨み事を言うかもしれない。おみやげもお年玉もない悪い母はどう謝まれば良いだろうかと不安を抱えながら家路を急いだ。

 玄関で深呼吸をした。

「ただいま」

 返事はない。恐る恐る入っていくと満面の笑顔の二人は炬燵に座り私を見ている。炬燵の上には所狭しと料理が並んでいる。

「これだけ有ればいいよな」

 二人は顔を見合せ、うん、うんと頷いている。

「鶏の唐揚げ」「おせち」「サンドイッチ」「焼き餅」に「清し汁」と小さなやぐらごたつの上は隙間がないほどだ。

「油が飛んで怖かったから、お母さんの大事なお鍋使ったよ」

 台所に行くと寸胴鍋に油が入り、何度も揚物をしたらしくベタベタになっていた。

 案じていたことは何もなかった。二人の息子は逞しく朗らかに成長していた。

 格闘しながら作ったであろう唐揚げを腹いっぱい食べた。ベタベタの寸胴鍋さえ愛おしかった。

 病気が癒えてからも母らしいことは何もできなかった。夫が亡くなった時就学前だった二人は親の都合で振り回されて大きくなった。

 あれから三十年以上が過ぎ、次男は父親になった。孫は当時の息子と同じ年令になった。誕生日には唐揚げを作る。息子にして上げられなかったことを詫びながら、この子には両親の愛情を存分に注いでほしいと願いをこめる。

 今日は長男が来る。スーパーの袋を両手いっぱいに持ってムスッと入って来るだろう。夫の死後、私は息子達に支えられて生きてきた。私よりずっと逞しかった。感謝をこめて鼻歌まじりで唐揚げを作っている。

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