「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第1回
最優秀賞作品
「卵焼き」
原 和義さん(福岡県)
優秀賞作品
「じゃがいもの家系図」
小須田 智女さん(千葉県)
「お魚さんの入った黄色いご飯」
大友 淑依理さん(宮城県)
入賞作品
「“おふくろの味”の概念に関する一考察」
髙橋 克典さん(東京都)
「オッパイ・スープ」
丸山 米子さん(神奈川県)
「鱈の煮付け」
幸平 泰子さん(新潟県)
「からあげ」
天野 美和さん(静岡県)
「ちらし寿司宅配便」
山野 華鈴さん(神奈川県)
「思い出のお弁当」
吉田 彩子さん(京都府)
「一度きり焼」
廣野 忍さん(大阪府)
「魔法のおにぎり」
谷中 昌一さん(茨城県)
「爆弾おにぎり」
小西 逸代さん(長崎県)
「嫁と姑と天ぷら」
三枝 夏季さん(愛知県)

※年齢は応募時

第1回
入賞作品「オッパイ・スープ」丸山 米子さん(神奈川県)

 縁あって結ばれた男性(ひと)は、在日韓国人二世と呼ばれた方でした。出会った当初は、無論お互いの立場などよく知るはずもなく恋におちたのです。お付き合いが深まる中で、結婚を意識して始めて国籍が障害となることを思い知りました。今ではあたり前になりましたが、国際結婚がまだめずらしかった時代のことです。周囲の手の平を返したような態度は私を失望させるには十分であり、結局身ひとつで彼の元へ走りました。

 親を捨て身内の反対にもかかわらず結婚を決意させてくれたのは、ひとえに彼のお母さんが朗らかでとても暖かな方だったから。そして実の娘以上に、大切に存命中は可愛がっていただいたこと。今でも忘れたことはありません。本当に貧しく何もないところから始めるしかなかった二人の新婚生活でした。けれどそこには、豊かな反面、体面ばかり気にする両親との生活にはなかったものがありました。それは皆で食卓を囲む和やかなひとときです。父母ともに教師の両親との食事は、無駄口など論外でただ黙々と済ませるものでしかなかったから。彼の母と三人で親類・遠者や友人達と囲む食事のあたたかさが格別のものに感じられました。何気ないお喋り、御飯粒を飛ばしながら笑い転げられる日常が一層心にしみたのです。

 おだやかに生活が積み重なっていく中で、私は赤ちゃんを授かりました。実家に戻ることを許されない嫁の私を、彼のお母さん(オモニ)は面倒がらずに世話を焼いてくれたものです。産後の肥立が芳しくなかった私に、“お乳が出るように”と作ってくれたのがオッパイスープでした。鯛が“でん”とまるごと一尾入っているワカメスープ。たぶん私を気遣ってのことだったのでしょう。だし汁と醤油で調味してあり、お餅も入ってましたから。ごま油の香りを除けば、まるで関東風の雑煮を思い出されてくれる懐しい味わいに食がすすみました。韓国では、母乳がよくでるように作るスープと後に教えていただきました。共働きするようになってからも、子育てや家事を手伝って貰ったものです。感謝してもし足りない程よくしていただきながら、主人亡きあと再婚を迷う私の背中を押してくれたのも母(オモニ)。「いつまでも親子だから」と。私が幸わせになるのを、まるで見届けたように母(オモニ)は愛する息子(主人)の元へ旅立っていかれたのでした。

 お母さん(オモニ)、私は今とても幸わせです。貴方と親子でいられた日々を忘れることはありません。お母さんの味は、娘が孫娘を出産した時にさっそく私が作ってあげました。作りながら、お母さんの笑顔に包まれているようで失敗したことばかり思い出し苦笑のだめ嫁。私にとって“オモニ”と味わった思い出の一コマ一コマが“おいしい記憶”なのですから。

 そうそう娘もこのスープ大好きで、作り方教えてですって、いいよねお母さん。

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