「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第1回
最優秀賞作品
「卵焼き」
原 和義さん(福岡県)
優秀賞作品
「じゃがいもの家系図」
小須田 智女さん(千葉県)
「お魚さんの入った黄色いご飯」
大友 淑依理さん(宮城県)
入賞作品
「“おふくろの味”の概念に関する一考察」
髙橋 克典さん(東京都)
「オッパイ・スープ」
丸山 米子さん(神奈川県)
「鱈の煮付け」
幸平 泰子さん(新潟県)
「からあげ」
天野 美和さん(静岡県)
「ちらし寿司宅配便」
山野 華鈴さん(神奈川県)
「思い出のお弁当」
吉田 彩子さん(京都府)
「一度きり焼」
廣野 忍さん(大阪府)
「魔法のおにぎり」
谷中 昌一さん(茨城県)
「爆弾おにぎり」
小西 逸代さん(長崎県)
「嫁と姑と天ぷら」
三枝 夏季さん(愛知県)

※年齢は応募時

第1回
入賞作品「爆弾おにぎり」小西 逸代さん(長崎県)

「ありがとねぇ。すまんやったねぇ。」海に出ていた父と母が陸(おか)に上がって来た。『しまった・・・。』私は、つい居眠りをしてしまっていた。

 実家は、細々ながら海苔漁師を生業としていた。海苔の収穫期は、真冬と重なる。年明け間もない寒いその晩、時計の針は十二時を回っていた。

 海苔は、胞子の状態で牡蛎の貝殻に植えつけられ、栄養豊かな海の中で育つ。それを摘み取り、陸の仕事場に運ぶ。摘み取られた生海苔は、水を加え粉砕し、撹拌される。≪ミス≫と呼ばれる、スノコ状の下敷きの上に、四角い型を置き、一枚ずつにそれを流し込む。続いて、巨大なオーブンの様な窯の中を通し、ゆっくりと時間をかけて乾燥させる。陸の仕事場は、大きな機械がゴーゴー、ジリジリと音を立て、ちょっとした工場の様だった。

 私は高校三年生だった。人並みに受験勉強の最中にあった。父と母は、中学しか出ていない。二人とも、暮らしの中で、それを苦にした様子は全くなかったけれど、子供達には、それが当たり前の事であるかの様に進学を促した。

 四人の子供達は、それぞれに一人前の働き手でもあった。学校が終わると、これも又、当たり前の様に仕事場へ直行した。長子である私は、更に、母に代わっての家事も担当していた。

 その晩は、海上がりの両親に、遅い夕食を用意しておくはずだった。取り急ぎ炊飯器のスイッチを入れてから『少しだけ明日の予習を・・・』と思い、炬燵に足を入れたところで記憶がない。いつの間にか眠っていたのであった。

 九州とは云え、真冬の夜の海はとてつもなく冷たい。そこ数日は、まともな睡眠もとらず働き通しの両親に申し訳なくて、自分が情なくて、私は、ただポロポロと泣いた。

 父と母の、目立し帽の中の目が同じ様に笑った。「ぬく~かご飯ば炊いとってくれたとやっかい。ご馳走ば食お~やい。」母はそう言うと、粉海苔(こーのりと呼ぶ、海苔を結束した時に両端のギザギザ部分を削り、綺麗に揃えるのだが、その時に出るくず海苔である)を鍋で炒り始めた。焼き海苔の香ばしい香りが一面に広がったと思ったら、しょうゆを大きく三回の円を描き回し入れた。手早く混ぜ合わせると、そのまま炊飯器のご飯に混ぜ込んだ。白黒まだらの粉海苔(こーのり)ご飯だ。ストーブの前では、父が絶妙のタイミングで数枚の海苔を炙っていた。母は粉海苔ご飯を、ソフトボール大ほどのおにぎりにしたあと、炙った平海苔(ひらのり)をパリパリと音をさせて巻いた。爆弾おにぎりが出来上がった。

「うまかね~。」「うまかばい。」父と母は、くぼんだ目を一層くしゃくしゃにしぼませて爆弾を頬張った。私だけが泣いていた。悲しくて、幸せで、おいし過ぎて、いつまでも泣きやむ事が出来なかった。

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