「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第1回
最優秀賞作品
「卵焼き」
原 和義さん(福岡県)
優秀賞作品
「じゃがいもの家系図」
小須田 智女さん(千葉県)
「お魚さんの入った黄色いご飯」
大友 淑依理さん(宮城県)
入賞作品
「“おふくろの味”の概念に関する一考察」
髙橋 克典さん(東京都)
「オッパイ・スープ」
丸山 米子さん(神奈川県)
「鱈の煮付け」
幸平 泰子さん(新潟県)
「からあげ」
天野 美和さん(静岡県)
「ちらし寿司宅配便」
山野 華鈴さん(神奈川県)
「思い出のお弁当」
吉田 彩子さん(京都府)
「一度きり焼」
廣野 忍さん(大阪府)
「魔法のおにぎり」
谷中 昌一さん(茨城県)
「爆弾おにぎり」
小西 逸代さん(長崎県)
「嫁と姑と天ぷら」
三枝 夏季さん(愛知県)

※年齢は応募時

第1回
入賞作品「ちらし寿司宅配便」山野 華鈴さん(神奈川県)

 野菜たっぷりでごく薄味の味噌汁、みじん切りのにんじんや玉ねぎがぎっしり詰まったハンバーグ。母の手料理は調味料が控えめで、子どもには正直物足りなさを感じることもあった。しかし、それは家族の健康を気遣ってこそ・・・・・・そう気付けたのは、私自身が家庭を持ち、家族のための食事を作るようになってからだった。

 自営業の母は忙しく、食事の支度にそれほど時間をかけられなかったが、旬の食材はよく食卓に上ったし、行事の折には笑顔で食卓を囲んだ思い出がある。

 一番嬉しく華やかな記憶は、雛祭りのちらし寿司。普段は忙しい母だが、三月三日は仕事の合間にちょくちょく具材のしこみをしていた。甘辛く、しっかりした旨みのしいたけ、ぷりぷりのえびに、錦糸卵が酢飯の上で踊る。私が中学生になり、部活動の試合前日に鰻丼を好んで食べるようになると、ちらし寿司の上にも小さく切ったうなぎが乗るようになった。このうなぎと、母の合わせた酢飯を一緒に頬張るのが最高においしい食べ方だった。ピンクや黄色の、心躍る彩りを眺めながら。

 こうして幾春を過ごし、高校卒業後、ついに親元を離れることになった。ただし当時は「サクラサク」の春ではなくて、札幌にある予備校に通うための、試練を背負った春だった。当時は受験に失敗したことで嫌な雰囲気が漂っており、旅立ちの車中で、私はやっと家を離れられるというせいせいした気持ちだった。しかし実際、初めて親元を離れて暮らす日々は、どこか寂しく不安も多かった。

 そんなある日、宅配便が届いた。段ボールの中は私の健康を気遣った内容で、手軽な健康食品がいろいろと入っていた。その中に、お弁当サイズのタッパーが一つ。雛祭りでもないのに、母手製のちらし寿司が忍ばせてあった。ふたを開けると、華やかさを彩るえびはもちろん、小さく切ったうなぎがちりばめられており、思わずその場で一つまみ。同封してあった手紙に涙し、酢のこなれたちらし寿司の優しい味に二度涙したのであった。この「ちらし寿司宅配便」はその後も続き、三年後に妹も札幌に進学すると、届く量は二人分となった。妹を電話で呼び、一緒にちらし寿司をいただくと、「なんだか涙が出てきたぁ」とホームシックを隠せない妹。どうしてだか、以前より美味しく、華やかな彩りはほろほろと涙を誘う味になっていた。

 あれから数年。社会人となり家庭を持つようになってからは、「ちらし寿司宅配便」が届くことはない。しかし、母のちらし寿司はわくわくする食卓の記憶、食事をともにしてきた家族のつながりをしっかりと私の中に刻み込んできた。今、一歳と三歳の我が子に、これからどんな美味しい記憶を残していけるかな、そう思いながらキッチンに立つ毎日である。

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