夫の好物は助惣鱈の煮付けである。結婚前の話だが、夫とドライブに行くことになり、せっせとお弁当を作っていると、
「これ、持ってく?」
と、母は小さな鍋を差し出した。中に入っていたのはなんと鱈の煮付け。しかも昨晩の夕食の残りである。
「え~!やだ!お弁当、臭くなる。」
「いいねっかて。博喜さん、大好物だし。」
この母の一言でポテトサラダやプチトマト、出汁巻卵といったカラフルなお弁当メニューの中に、鶏のからあげにとって替わった黒い物体が鎮座するはめになった。どう見ても不似合いで、私の『カワイイお弁当計画』は無残にも破壊された。何でこんなことになるんだ!自分だってお弁当作る時入れないでしょうが!心の中で母を恨んだ。
私の思いとは裏腹に、お弁当を見せると夫は目を爛々と輝かせ、私が作ったおかずには目もくれず、真っ先に鱈へと箸を伸ばした。
しかも食べている途中で霧雨が降ってきて、
「ねぇ、もう車に戻ろうよ~。」
と促しても全く席を立つ気配はなく、一心不乱に鱈を食べている。
「ねぇ、そんなに美味しい?そんなに鱈、好きなの?」
「うん!」
満面の笑み。なんて素直。私は呆れた。
夫は魚好きなので、食べるのが本当に上手い。最後は見事に骨だけになる。結婚前に実家に食事に来た時、母はよく感心していた。だから多少無謀でもお弁当に持たせたい、という気持ちも頷ける。
そういえば、私の祖父も鱈の煮付けが大好物だった。食べた後は熱湯を注いで即席骨スープを作って飲み、小さなかけらまで食べていた。骨までしゃぶる姿を見て、子供心に
「何だかお行儀悪くてやだな~。」
と思ったが、今思えば最後まで美味しく戴く術を知っていたのだろう。鱈にしてみれば、髄まで食べてもらえば本望である。ゴミも最低限しか出ないし、ある意味究極の食育とエコなのかも知れない。
夫の好物にもかかわらず、私の得意料理ではない。鱈の煮付けは私の憧れの料理だ。義母が作る様子を見ていると実に手際が良い。水と酒、味醂、醤油、砂糖を鍋に入れ、煮立ったところで味見。分量を聞いても、
「う~ん、鱈の大きさにもよるから適当!」
この適当の見極めが実に難しい。夫に言わせると義母の母、つまりおばあちゃんの煮付けはもっと豪快で、美味しかったらしい。
「こんなもんかなぁ~。」
なんて言いながら一升瓶から直接大鍋にドボドボと調味料を注ぎ、味見すらしない。なのに濃すぎず薄すぎず、常に一定の味を保つ。まさに年季のなせる技。このおばあちゃんも食後は骨スープで締めたそうだ。この鱈好きの血を脈々と受け継ぐ家族の口を私が満足させるのは、まだまだ先のことになりそうだ。