「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第1回
最優秀賞作品
「卵焼き」
原 和義さん(福岡県)
優秀賞作品
「じゃがいもの家系図」
小須田 智女さん(千葉県)
「お魚さんの入った黄色いご飯」
大友 淑依理さん(宮城県)
入賞作品
「“おふくろの味”の概念に関する一考察」
髙橋 克典さん(東京都)
「オッパイ・スープ」
丸山 米子さん(神奈川県)
「鱈の煮付け」
幸平 泰子さん(新潟県)
「からあげ」
天野 美和さん(静岡県)
「ちらし寿司宅配便」
山野 華鈴さん(神奈川県)
「思い出のお弁当」
吉田 彩子さん(京都府)
「一度きり焼」
廣野 忍さん(大阪府)
「魔法のおにぎり」
谷中 昌一さん(茨城県)
「爆弾おにぎり」
小西 逸代さん(長崎県)
「嫁と姑と天ぷら」
三枝 夏季さん(愛知県)

※年齢は応募時

第1回
入賞作品「一度きり焼」廣野 忍さん(大阪府)

 一人暮らしを始めてから、よく卵焼きを作るようになった。学校に持っていく弁当のおかずである。

 実家にいた頃は母が台所に立って、すっかり料理番組の料理人きどりでフライパンを握っていた。「じゃがいもが煮えてきたなと思ったら、ここで料理酒を加えまーす」といった具合に。私はそんな母の背中を眺め、作り方に耳を傾ける。テレビよりもボリュームが大きいのでやむ得ず、だが。

 母の卵焼きはカツオだしがよく効いている。カツオ節を削る・・・・・・なんてことはせず、便利な粉末。醤油、みりんは目分量。最後に水道の蛇口をひねって、水を少々入れる。

 中学生から高校を卒業するまで、ずっと母の手作り弁当が昼食だった。もちろん、パンが売っている購買部や高校では食堂もある。それでも私は母の弁当がよかった。母が寝坊しても、そこをなんとかと頼みこみ、弁当を作らせていた。親不孝な娘だとはわかっているものの、卵焼きが食べたいのだから仕方がない。

 一日ぐらい我慢できない理由に「目分量」がキラリと光っている。量る、ということを知らない母は二度と同じ味の料理を作れない。卵焼きに限ったことではないが、とくに厚焼き卵においては味に波がある。甘い、しょっぱい、ふわふわのときもあればカサカサの食感が味わえることもあった。母お手製の最大の魅力である。

 そんな卵焼きに十代は育てられた。今は一人。長方形のフライパンと格闘する日々を送っている。

 このあいだ、厚焼き歴二年の腕を実家で披露することになった。父の笑顔と母の不安を背中に浴びて、おわんに卵を割る。

「え! おわんでやるん?」

 まさか母の第一声がおわんに関することだとは思わなかった。これが使いやすいのだと説明すると、母は納得いかないとでも言いたげな表情を浮かべる。

 カツオ節の粉末を入れると「こぶ茶のほうが美味しいねんでー」と笑われ、みりんはどこかと訊くと、

「あんた、みりん使うん? なんで?」

 と、母は不審な目を向けてきた。

「なんでって・・・・・・お母さん、みりん使ってたやん」

「えー、みりんなんて使えへんよ」

 テレビの音量を超えた、あの料理解説はなんだったのだろう。たしかに「みりん」と言っていたはずなのに・・・・・・。

 母に「まいりました」と言わせるような卵焼きを作るつもりが、完全にオリジナル試食会となってしまった。厚焼き卵の断面には白身の模様が描かれていて、醤油とカツオだしの香りが立ちこめる。

「ちょっと塩っ辛いけど、ご飯とやったら合うな」と味にうるさい父の愛情まじりの指摘。

「しゃあないな。お母さんが主婦歴二十年以上の卵焼き、見したろ」

 そう言いながら腕まくりする母の卵焼きはやっぱり、今まで食べたことない味がした。

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