一人暮らしを始めてから、よく卵焼きを作るようになった。学校に持っていく弁当のおかずである。
実家にいた頃は母が台所に立って、すっかり料理番組の料理人きどりでフライパンを握っていた。「じゃがいもが煮えてきたなと思ったら、ここで料理酒を加えまーす」といった具合に。私はそんな母の背中を眺め、作り方に耳を傾ける。テレビよりもボリュームが大きいのでやむ得ず、だが。
母の卵焼きはカツオだしがよく効いている。カツオ節を削る・・・・・・なんてことはせず、便利な粉末。醤油、みりんは目分量。最後に水道の蛇口をひねって、水を少々入れる。
中学生から高校を卒業するまで、ずっと母の手作り弁当が昼食だった。もちろん、パンが売っている購買部や高校では食堂もある。それでも私は母の弁当がよかった。母が寝坊しても、そこをなんとかと頼みこみ、弁当を作らせていた。親不孝な娘だとはわかっているものの、卵焼きが食べたいのだから仕方がない。
一日ぐらい我慢できない理由に「目分量」がキラリと光っている。量る、ということを知らない母は二度と同じ味の料理を作れない。卵焼きに限ったことではないが、とくに厚焼き卵においては味に波がある。甘い、しょっぱい、ふわふわのときもあればカサカサの食感が味わえることもあった。母お手製の最大の魅力である。
そんな卵焼きに十代は育てられた。今は一人。長方形のフライパンと格闘する日々を送っている。
このあいだ、厚焼き歴二年の腕を実家で披露することになった。父の笑顔と母の不安を背中に浴びて、おわんに卵を割る。
「え! おわんでやるん?」
まさか母の第一声がおわんに関することだとは思わなかった。これが使いやすいのだと説明すると、母は納得いかないとでも言いたげな表情を浮かべる。
カツオ節の粉末を入れると「こぶ茶のほうが美味しいねんでー」と笑われ、みりんはどこかと訊くと、
「あんた、みりん使うん? なんで?」
と、母は不審な目を向けてきた。
「なんでって・・・・・・お母さん、みりん使ってたやん」
「えー、みりんなんて使えへんよ」
テレビの音量を超えた、あの料理解説はなんだったのだろう。たしかに「みりん」と言っていたはずなのに・・・・・・。
母に「まいりました」と言わせるような卵焼きを作るつもりが、完全にオリジナル試食会となってしまった。厚焼き卵の断面には白身の模様が描かれていて、醤油とカツオだしの香りが立ちこめる。
「ちょっと塩っ辛いけど、ご飯とやったら合うな」と味にうるさい父の愛情まじりの指摘。
「しゃあないな。お母さんが主婦歴二十年以上の卵焼き、見したろ」
そう言いながら腕まくりする母の卵焼きはやっぱり、今まで食べたことない味がした。