「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第2回
キッコーマン賞
「おばあちゃんの保存食」
中立 あきさん(東京都)
読売新聞社賞
「母の餃子」
田宮 裕子さん(大阪府)
入賞作品
「父の十宝菜」
勝又 千寿さん(静岡県)
「ほやとおじさん」
福島 洋子さん(長崎県)
「最期の晩餐」
関 巴さん(静岡県)
「温かいポテトサラダ」
山口 美乃さん(神奈川県)
「夏の香り」
曽田 喜人さん(愛知県)
「三十年目のプリン」
松山 広輝さん(兵庫県)
「隠れない味、隠せないレシピ」
梅田 勝之さん(千葉県)
「オムライス弁当」
岩本 瑞紀さん(大分県)
「おいしい時間」
種田 幸子さん(愛知県)
「さっとのお好み焼き」
守内 恵美子さん(鹿児島県)

※年齢は応募時

第2回
入賞「オムライス弁当」岩本 瑞紀さん(大分県)

 私は、オムライスが好きだ。特に、母の作るオムライスは絶品である。少し濃いめに味をつけた、真っ赤なチキンライスに、ふわっとした薄焼き卵。母のオムライスを一口食べれば、私はそれだけで笑顔になれる。

 そんな、オムライスは弁当として登場することもあるのだが、その迫力はすごい。オムライスは、大雑把なタッパーに入れられていて、その蓋を開けるとおかずもない。ただ、一面に、オムライスが広がっている。友達には「なんそれ?」と笑われるが、私はこれが大好きだ。

 だが、オムライス弁当にも、苦い思い出がある。特別な思いをこめて、母が作ってくれたオムライス弁当を家に忘れてしまったのだ。

 私は高校一年生の夏頃に、登校拒否になった。当時、先生との折り合いが悪かった事をきっかけに、クラスから浮き、学校が嫌になった。

 頑なに登校を嫌がる私と、無理にでも登校させようとする母は、毎日、叩きあうような喧嘩をした。「なんで普通の事ができんの!?」怒鳴る母。私は壊れたように泣き出す。本当に苦しい毎日だった。

 ある朝、無理矢理に、朝ごはんを飲み込んでいると、母が言った。

「今日のお弁当、オムライスやけん。これで頑張れん?」好物がお弁当なら、少しは学校に行く気になるんじゃないか。母は作戦を練ったらしい。今思えば、その短絡さには笑ってしまうが、そんな方法にすがる程、当時の私達親子は切羽詰まっていた。私も、純粋に母の作戦にすがった。その朝は、珍しくけんかをせずに、学校に行けた。

 いつものように、その日も学校にいることは辛かったが、オムライスが支えだった。

 そして、昼休みになった時の事。ふと、鞄の中を見てみると、お弁当がない。必死で、お弁当を探したのだが、どこにも見当たらない。「家に忘れたんや・・」ただひたすらショックだった。

 オムライスを食べられないことも悲しかったが、それ以上に、母の優しさに応えられなかったのが一番辛かった。仕方なく、お昼ご飯を買いに学校の購買の前に並んだ。「お母さん、私の為に作ってくれたんに」「忘れたお弁当見て、泣いてないかな・・」考え続けるうちに、どんどん悲しくなってしまい、涙が止まらなくなった。

 登校拒否になり、ただでさえも母に迷惑をかけているのに、母の優しさまで無下にした。そんな、だめな自分が情けなくてしょうがなかった。

 その日、気まずい気分で帰宅すると、母は口をきいてくれなかった。ただ、台所の生ごみ入れに、綺麗な形のまま入れられている、おいしそうなオムライスだけが、私を責めた。それを見た瞬間に、とても苦しくなった。

 後で話を聞くと、母は、私が忘れたお弁当を見て悲しくなり、衝動的にごみ箱に捨ててしまったらしい。

「ごめんなさい」私が謝ると、母はわっと泣き出した。そんな母を見て、私も涙が止まらず、二人でひたすら泣いた。

 その日、母は、夕食にわざとオムライスを作った。悲しいくらい美味しかった。また涙が溢れだした。

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