「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第2回
キッコーマン賞
「おばあちゃんの保存食」
中立 あきさん(東京都)
読売新聞社賞
「母の餃子」
田宮 裕子さん(大阪府)
入賞作品
「父の十宝菜」
勝又 千寿さん(静岡県)
「ほやとおじさん」
福島 洋子さん(長崎県)
「最期の晩餐」
関 巴さん(静岡県)
「温かいポテトサラダ」
山口 美乃さん(神奈川県)
「夏の香り」
曽田 喜人さん(愛知県)
「三十年目のプリン」
松山 広輝さん(兵庫県)
「隠れない味、隠せないレシピ」
梅田 勝之さん(千葉県)
「オムライス弁当」
岩本 瑞紀さん(大分県)
「おいしい時間」
種田 幸子さん(愛知県)
「さっとのお好み焼き」
守内 恵美子さん(鹿児島県)

※年齢は応募時

第2回
入賞「温かいポテトサラダ」山口 美乃さん(神奈川県)

 ポテトサラダが冷たいものだと知ったときの衝撃は、今でも忘れない。我が家のポテトサラダは、いつもホカホカと湯気がたっていた。幼い頃の私は、ポテトサラダとは温かい食べ物であると、信じて疑わなかった。

 母は私が幼い頃、洋裁の仕事をしていた。家計を助けたい、私たち姉弟の学費の足しを得たいと思うものの、ずっと専業主婦だった女性にできることは限られていたのだろう。嫁入り修行のひとつとして身につけていた洋裁の腕で、いわば内職のような感覚で、OLさんたちの洋服を縫っていた。おしゃれなOLさんたちとしたら、リーズナブルにオーダーメイドの洋服が仕立てられ、うれしかったのだろう。クチコミで評判が広まり、一時期はそれなりに繁盛していたようだ。しかし、注文を受けるのも、仮縫いをするのも、OLさんの仕事が終わる時間、つまり夕食の支度の時間と重なった。

 母はいつも、OLさんが帰ると「ごめんね。遅くなって。」と言いながら、慌てて台所に来て夕食の支度を始めた。今のように、便利なインスタント食品や半調理済み食品のない時代である。母はほとんど神業のようなスピードで夕食を作り上げた。育ち盛りの子供が三人、母としては子供達が空腹を抱えているのが心底辛かったのだろう。そこで件のポテトサラダである。要するに、じゃがいもを冷ます時間がなかったのだ。それでも母の作る料理はとてもおいしく、私たち姉弟は母のポテトサラダが大好きだった。

 小学校4年生くらいになっていただろうか。ふとしたきっかけから、ポテトサラダが冷たいものだと知った私は、その誤解を級友たちからかなり笑われた。その恥ずかしさも手伝ってか、私は「将来、結婚しても絶対に職業は持たない。時間をかけてきちんとしたお料理を家族に出す主婦になろう。」と心に決めた。

 あれから40年以上の年月が経った。どうしたわけか私は仕事にのめり込み、結婚しても出産しても仕事をやめることはなかった。「時間をかけたきちんとしたお料理」などとはほど遠い、かつての母以上にドタバタとした夕食風景を過ごしてきた。温かいポテトサラダで育った私の娘は、やはり今、職業婦人への道を歩こうとしている。私は、娘に子供ができたら、話そうと考えていることがある。「ポテトサラダって本当はね、冷たい食べ物なのよ。うちのポテトサラダが温かいのはね、仕事にも子育てにも全力をつくしてきた、母娘三代の勲章なのよ。」

 孫もまた、娘の作るであろう温かいポテトサラダを大好きになってくれるだろうか。

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