「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第2回
キッコーマン賞
「おばあちゃんの保存食」
中立 あきさん(東京都)
読売新聞社賞
「母の餃子」
田宮 裕子さん(大阪府)
入賞作品
「父の十宝菜」
勝又 千寿さん(静岡県)
「ほやとおじさん」
福島 洋子さん(長崎県)
「最期の晩餐」
関 巴さん(静岡県)
「温かいポテトサラダ」
山口 美乃さん(神奈川県)
「夏の香り」
曽田 喜人さん(愛知県)
「三十年目のプリン」
松山 広輝さん(兵庫県)
「隠れない味、隠せないレシピ」
梅田 勝之さん(千葉県)
「オムライス弁当」
岩本 瑞紀さん(大分県)
「おいしい時間」
種田 幸子さん(愛知県)
「さっとのお好み焼き」
守内 恵美子さん(鹿児島県)

※年齢は応募時

第2回
入賞「ほやとおじさん」福島 洋子さん(長崎県)

 二十七歳の夏、一人旅に出た。目的地は東北。青春十八切符を使い、広島からひたすら鈍行列車を乗り継いでの長い道のりだった。

 途中寄ったのが、岩手県宮古市。朝市目当てに漁港へ行くと、ガランとして人気がない。

(あれ、今日はやってないの?)

 がっかりしていると、ふいにうしろから声をかけられた。「娘さん、旅行者かい?」

 ふりむくと、いかにも漁業関係者といったいでたちのいかつい顔をしたおじさんが、トロ箱の上に腰掛けている。

「は、はい」

「朝市ならとっくに終わったべ」

 六十代半ばぐらいか。恰幅がよく、ごま塩頭にタオルでねじり鉢巻。黒光りした顔には深いしわが刻まれ、ぎょろっとした目とドスのきいた低い声がブルドッグを連想させた。

「そうですか。ありがとうございました」

 頭を下げてそそくさと立ち去りかけた私に、ブルドッグがうなった。

「あんた、どこから来た?」

「ひ、広島です……」

 小声で答えると、おじさんは「ほおっ」とぎょろ目を見開き、こうたずねた。

「ほや、好きか?」

「ほや?」

 西日本育ちの私には聞き慣れぬ響き。そう言うと、おじさんは別のトロ箱を引き寄せ、強引に私を座らせた。そして大人のこぶしほどもある球形のものをカゴから取ると、包丁で豪快に刻み始めた。

「これがとれたてのほやだ。食ってみろ」

(え~っ!)

 生まれて初めて口にしたほやは、味も形も衝撃的。海水がついたままのせいかしょっぱく、生臭く、弾力があって噛み切れず、飲み込むのもひと苦労。普段は好き嫌いのない私だが、とうていおいしいとは思えなかった。

「どンだ、うまいべ?」

 おじさんは得意満面の笑顔で、私の返事を待っている。無理してほほえみかえしたものの、心の中では泣きたかった。

 そのときだ。おじさんがぽつりと言った。

「そっか、今日は八月六日。広島の原爆の日だべ。この日に広島の娘さんと会えるなんてなぁ、これが平和ってことなンだなぁ……」

 おじさんはこっくりうなずくと、遠くの水平線へ視線を移した。私もつられて見る。澄みわたった夏空ときらきら光る青い海。カモメが舞い、凪いだ波が静かに打ち寄せている。たしかに平和そのものの美しい風景だった。

 あれから十四年。三月に起きた未曾有の大震災で宮古漁港も変わり果てた。その映像を見る度に、胸が痛む。あのおじさんはどうしておられるだろう。

 ちなみに私は、その後もほやに縁がないまま、現在に至っている。

 だから決めた。今年は宮古市へ行こう。ほやを食べに。今度こそおいしく、心から味わってくるのだ。復興への願いを込めて……。

[広告]企画・制作 読売新聞社広告局