「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第2回
キッコーマン賞
「おばあちゃんの保存食」
中立 あきさん(東京都)
読売新聞社賞
「母の餃子」
田宮 裕子さん(大阪府)
入賞作品
「父の十宝菜」
勝又 千寿さん(静岡県)
「ほやとおじさん」
福島 洋子さん(長崎県)
「最期の晩餐」
関 巴さん(静岡県)
「温かいポテトサラダ」
山口 美乃さん(神奈川県)
「夏の香り」
曽田 喜人さん(愛知県)
「三十年目のプリン」
松山 広輝さん(兵庫県)
「隠れない味、隠せないレシピ」
梅田 勝之さん(千葉県)
「オムライス弁当」
岩本 瑞紀さん(大分県)
「おいしい時間」
種田 幸子さん(愛知県)
「さっとのお好み焼き」
守内 恵美子さん(鹿児島県)

※年齢は応募時

第2回
入賞「三十年目のプリン」松山 広輝さん(兵庫県)

 僕が幼ない頃、家の近所に全国チェーンで有名な洋菓子店ができた。

 その店は喫茶室も有り、その時代には珍しいフルーツパフェやプリンを食べさせていた。

 僕はまだ若かった母に連れられて、その店に行き、プリンアラモードというデザートを初めて食べた。

 その美味しさは、この世の物とは思えないほど美味しく驚いた。

 僕はそれ以来寝てもさめても、プリンをもう一度食べたくてたまらなかった。

 母にそれを訴えると、

「また、今度ね・・・・」と言うだけでなかなか実現しなかった。

 その当時としては、高価なものでそう何回も、その店に行けるものでない。

 僕が何度も言うので、母は自分がプリンを作ってあげると言いだした。

 当時、正確なレシピもなく母は見よう見まねで作り始めた。

 出来上ったプリンのような物を食べた時、

「まずい!」 と僕は正直に言ってしまった。

 それはカラメルソースもかかってなく、甘い茶椀蒸しのようだった。

 母は悲しそうな表情をして、それ以来二度とプリンを作らなかった。

 それから三十年が過ぎた。

 ある日の事だった。

 中学生の娘が

「今日は父の日だから、私が何か作ってあげる」 と言ってくれた。

 僕の母も家に来ていて、家族で食事会をする予定にしていた。

 食事が終ると娘がプリンを持って来てくれた。

「私が作ったプリンです・・・・どうぞ」

 僕のプリン好きを、娘が覚えていてくれた。

 ひと口食べると、僕は思わず

「うまい!」と言った。

 それ程、娘の作ったプリンが美味しかった。

「本当?それはよかった」

 娘は僕の母と顔を見合せると笑った。

「じつはねえ、本当はそれ、おばあちゃんが作ったんよ」

「えっ? どういう事・・・・」

 僕は尋ねた。

 娘は昔、僕が幼かった時に、母が作ったプリンをまずいと言った出来事を母から聞いていた。

「それをおばあちゃんが、ずっと気にしていて、私にプリンの作り方を教えて欲しいと」

 そうだったのか、母はその事をいつまでも気にしていたのか・・・・・。

 僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「美味しいよ。このプリン、ほんまに美味しいよ」

 僕は心の底から、三十年分の感謝を込めて言った。

 母は恥かしそうに笑っていた。

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