私は中学時代、いわゆる不良生徒で先生の手を焼いていた。学校には行けども、授業には出ずに部活も、もちろんさぼり。友達の家でなにするわけでもなく、たむろしていた。
先生達は、私のことなど、邪魔扱いで早く卒業して欲しいという気持ちがあったのだろう。
しかし、唯一人、柔道部の顧問のA先生だけは、私のことを気にかけてくれていた。私は稽古には、ほとんど出なかったが、A先生はしつこいくらい家までやってきては、「背負い投げの練習をさせろ」と言ってから帰った。どんなに無視しても、しつこく来ていた。そして決まってその一言だけ言って帰った。
ある日、また家まで来て「明日は試合だから、柔道着持って、必ず来いよ。」とだけ言って帰った。
翌日言われたとおり、私は柔道着だけを持って試合会場に行った。稽古に出ていない私は、当然試合に出ることはなかった。応援をするだけで退屈な時間だったが、それは覚悟していたことなのでなんともなかった。
しかし、昼食の時間は辛く、みじめな時間だった。
なぜなら、私は一人だけお弁当を持っていなかったからだ。
ところが、A先生が私に「次は出てもらうから、これ食べて、アップしておけ!」と弁当を渡してくれた。
私は素直になれなくて「いるかよ、こんなの。」と突き返した。
するとA先生は、困ったような顔をして頭をかきながら「かみさんがな、お前の分まで作ってくれた。うまくないけれど、食ってやってくれ。頼む。」そう言って、行ってしまった。
私は弁当箱を受け取り、開けてみると涙が出てしまい、しばらく手がつけられなかった。
一口食べた。
うまかった。
嬉しかった。
涙が止まらなかった。後にも先にも、泣きながら食事をしたのは、この時だけだ。あんなに美味しかった弁当が、最後はちょっとしょっぱかった。
A先生にお礼を言って弁当箱を返す時、A先生のお腹が「グー」と鳴った。それを聞いてまた涙が出た。
あの時の弁当のお陰で、いや、A先生の下手な嘘のお陰で(かみさんがな、お前の分まで作ってくれた。うまくないけれど、食ってやってくれ。頼む)という一言のお陰で、私は変われた。
あの時の弁当の味は思い出せないが、A先生のお腹の音は、今でも忘れられない。今でもお腹がすいて、グーというお腹の音がすると、A先生のことを思い出す。
この先どんなに豪華で、どんなに美味しい食事をしても、あの時のちょっとしょっぱい弁当の味に勝るものは出てこないだろう。