正解のない「チョイス」に向き合うために
長岡 健教授
イノベーションを起こす人材が育たないわけ
「選べる自由より、決められない不安のほうが大きいんですよね......」
これは先日、「チョイス(選択)」をテーマに、ビジネスマンを対象としたワークショップを行なった際、参加者から出た言葉です。だから、選択を任せられる時には、あれはダメこれもダメといったように、できるだけ制約条件をつけてほしいというわけです。
現実の世界には、唯一絶対の正解などない問題が存在します。そういった問題に直面したとき、私たちはチョイスすることになります。チョイスとは、「帯に短し襷に長し」といったような候補の中から一つを選ぶ、すなわち「意思決定」ということなのですが、これができない人が非常に多いのです。
たとえば学生が、就職活動の中で複数の内定をもらい、そのうち二社が一長一短、甲乙つけがたいとします。するともう選べない、というより、その先をどう考えればいいのか分からず、途方に暮れてしまう。そしてついには、こんな考えに至ることもあるようです。
「正解がないなら、そもそも真剣に考えることが無意味じゃないの?」
20年ほど前、妹尾堅一郎氏(現・一橋大学大学院客員教授)が、優秀な人ほどかかりやすい「問題解決症候群」という「病気」の存在を指摘しました。その症状は、「問題は与えられるものだと考えること」「その問題には絶対唯一の正解があると考えること」「その正解は誰かが知っていて、教えてくれると考えること」の3つ。「チョイス」を難しいものにするこの病気の主要な原因が、受験偏重の学校教育にあることは明らかですが、それ以外にも考えるべきことがあると思います。
私はかれこれ20数年にわたり、企業の人材育成に関するフィールドワークを続けているのですが、最近10年間に、きわめて大きな変化が見られます。それは、いわゆる教育・訓練ではない「学習」、特に実践の経験から学び、成長していく「熟達化」の重要性が認識されてきたことです。ビジネス実務の世界に「学習」や「熟達化」という概念が浸透してきたことは、企業における人材育成の進展にとって当然プラスに評価できる変化ではありますが、一方でマイナスの面も見逃せません。熟達化には、会社から与えられたシゴトを所与とし、上司や先輩の言うことをよく聞いてシゴトのやり方を身に着けていく側面があることに着目すれば、「問題解決症候群」を進行・悪化させる危険性があることに気づきます。
組織の中で「学ぶ」とは、よい点・悪い点含め、その組織の考え方・やり方を受け入れる、いわば組織の「色に染まる」という側面をもっています。とりわけわが国の企業においては、従業員全員が「一枚岩」であることが重視されてきたといってよいでしょう。そして、安定した環境下、日本企業が好調であった1980年代までは「それの何が悪い」と胸を張ることもできました。
しかし、社会環境が絶えず変化し続ける今の時代、求められるのは組織そのものを変えうる、すなわち、イノベーションを起こせる人材です。それは、自由な発想で自ら問題を設定し、自らの責任で選択肢をチョイスし、実行できる人材にほかなりません。
残念ながら今の日本では、学校も組織もこのような人材が非常に育ちにくい環境に埋め込まれているのではないか、そうした危惧を私は抱いているのです。
脱予定調和、非合目的、そして「好み」の復権
では、どうしたらイノベーティブな人材が育つのでしょう。これはとても難しい問題で、「特効薬」などないことはもちろん承知していますが、まず第一歩としては、目的追求型ではない活動にコミットし、予定調和的ではない状況の中で考え、チョイスする経験をなるべく若いうちから積むことが大切だと、私は考えています。そんな視座に立つ試みの一つとして、3年前から自分のゼミを街中のカフェで開く「カフェゼミ」を始めました。
「なぜカフェで? どういう効果があるんですか?」
こういった予想どおりの質問には、「わからない、だからやってみるんだ」と答えてきました。そして、カフェに飲物代を払えばだれでも参加でき、ゼミを見ているだけでもOKというルールをつくってみました。すると、次第に社会人や他大学の学生の参加が増えていき、ついにはこんなことが起こりました。
昨年7月に開催した「カフェゼミ」は、なんと過半数が外部からの参加者。よそのゼミに来るくらいですから、他大の学生たちは積極的で、どんどん手が上がる。私のゼミ生からの質問は、わずかに1回だったのです。
何かがおかしい、これではいけないと痛感したのでしょう。昨年の秋学期からは、ゼミ生たちがゲストスピーカーとの交渉やプログラムデザインなど、「カフェゼミ」の運営に自主的にかかわるようになりました。合目的型の活動でないからこそ想定外の展開があり、小さいながらもイノベーションが生まれたわけです。
キャリア教育の一環として多くの大学で取り入れられ、期待通りの学習成果をあげた事例も少なくない「プロジェクト学習」にも、最近は気をつけるべき兆候が現れているように思います。
一つは、学生たちがプロジェクト学習をうまくこなすノウハウ、いわばプロジェクト学習における「正解」を探し求める姿勢が見え始めていること。「問題解決症候群」の根深さを物語っています。
もう一つは、活動内容・テーマが自分にとって意味があるかどうかよりも、プロジェクト学習がもたらしてくれる一体感や達成感といった「心地よさ」ばかりを求めるようになる傾向が見えること。これでは創造的なプロジェクトには欠くことのできない問題意識や自主性が置き去りにされてしまう恐れがあります。
「プロジェクト学習」において大切なのは、正解のない問題にチャレンジする際の拠り所となる自分自身の問題意識を育むことだと私は考えています。平たくいえば「好み」とも言えるのですが、ここにもまた大きな問題があると思います。
これも学校教育のある種の弊害かもしれませんが、多くの学生たちは、パブリックな場では客観的で「正しい」ことを語るべきで、「好み」という主観的でインフォーマルなものを語ってはいけない、と考えがちです。
しかし、絶対唯一の正解が存在しない問題にチャレンジするために必要なのは、「インフォーマルなアイディアを、パブリックに語って共感を得る力」です。つまりは、「権威付けられた知識」や「論理による説得」が効果を発揮しない状況に対応するために、従来の教育では見落としがちだった「身の回り半径1メートルの出来事」にかかわることの意義や、「対話による共感」の可能性にしっかりと目を向ける時期なのではないでしょうか。
よく、「ゆとり教育以降の若者は......」という中高年のグチを耳にします。でも私は、イノベーションのきっかけとなる発想力という点で、最近の若者の可能性を大いに感じています。「権威付けられた知識」や「論理による説得」に健全な疑問を抱きながら、「身の回り半径1メートルの出来事」に積極的にかかわりをもち、「対話による共感」の可能性を感じ取っている多くの学生を私は知っています。しかし若者たちは、「KY」どころか空気を読みすぎ、上司・先輩に気兼ねして、言いたいことを言わず、能力を発揮できずにいる。そんな若者たちがもっと自分に自信をもち、積極的にチョイスする姿勢を身に着け、自分の「好み」を出発点に育んだ独自の発想で問題意識を語り始めたら、面白いことになるにちがいありません。
そして、そんな状況を生み出すために、「問題解決症候群」から解き放たれた学生たちが、自らの直感と好奇心に従って主体的に活動していくような学習環境をデザインしていきたいですね。
- 経営学部経営学科教授 長岡 健(ながおか たける)
経営学部経営学科教授。慶應義塾大学経済学部卒、英国ランカスター大学マネジメントスクール博士課程修了(Ph.D. in Management Learning)。産業能率大学情報マネジメント学部教授を経て、2011年4月より法政大学。 http://www.tnlab.net
専攻分野:
組織社会学、経営学習論
研究テーマ:
社会理論、学習理論、コミュニケーション論の視点から、多様なステークホールダーが織りなす関係の諸相を読み解き、集団的な活動の意味を再構成していく研究活動に取り組んでいる。現在、アンラーニング、サードプレイス、ワークショップ、エスノグラフィーといった概念を手掛かりとして、「創造的なコラボレーション」の新たな姿と意味、そして、ソーシャル&ビジネス・イノベーション支援の可能性を探るプロジェクトを展開中。著書:
『企業内人材育成入門』(共著、ダイヤモンド社、2006年)
『ダイアローグ 対話する組織』(共著、ダイヤモンド社、2009年) など。