人の生き方と深く関わる「建築」を通じて
多くの良いきっかけを作っていきたい
赤松 佳珠子教授
多様な学びの場が自然に生まれる空間を作る
田中 赤松先生はオープンスクールの研究をなさっていて、今、大変期待されている建築家です。学校の設計においては教室の数については考えますが、空間の作り方によって学生同士の関係、あるいは学生と教員の関係が変わるということについて私はこれまで意識したことがありませんでした。でも実は、教育のあり方と空間には非常に深い関係にあるということにとても興味がわいています。
赤松 オープンスクールは、簡単に説明すると「廊下と教室の壁を取り払った学校」です。日本にある従来の小中学校や高校の多くは、1950年代以降の高度経済成長期に学校の数が足りなくなって急遽建てられたものが多くを占めます。とにかく爆発的に増加した子どもの数に対し充足するよう、迅速かつ安全に鉄筋コンクリート造の学校を建てようと、当時の文部省と建築学会が共同で作った「標準設計」というものがベースになっています。
田中 だから、日本全国どこへ行っても学校はみな同じような建物になったのですね。
赤松 本来、建築は地域の風土や文化を丁寧に読み解いて計画・設計すべきものですが、当時はとにかく時間がなかったため、一番経済的で早く建てられる学校建築が全国一律に広がっていったのです。教室も一様で、40人から50人が全員、先生の方を向いてぎゅうぎゅうに座っていた。この様式によって日本の教育が発展した側面もあったとは思いますが、今はめざすべき教育も変化し、自ら学ぶという主体的な学習が文部科学省からも推奨されています。1人での学習から少人数での学習、クラス単位、学年単位という学びの規模や、発表、議論、思考といった多様な学習場面を想定すると、従来型の教室空間には限界がきていると思います。
田中 確かに教育の変化に学校建築が追いついていない。
赤松 オープンスクールでは、廊下と教室の間の壁を取り払い、廊下と呼ばれていたスペースに少し余裕を持たせて「コーナー」を作ったりします。例えばこれまでは図書館にしかなかった辞書やその学年の生徒に合った本をその「コーナー」に置きます。するとそこで静かに辞書で調べものを始める子もいれば、2、3人で本を見ながら議論する子たち、本の内容について先生に質問したりする子も出てくる。こんな風に子ども達の多様な学びの場が自然に生まれる空間を作るというのが、オープンスクールの大きな考え方です。
田中 オープンスクールってゼロから作り上げるのではなく、廊下と教室をつなげるだけでできちゃうのですね。
赤松 その通りです。既存の建築でも少子化の影響で余っている教室をワークスペースにリノベーションするなど、教室周りに多様な場を作っていくことで少しずつ空間に新しい変化を持たせる例もあります。また、新たに作る学校は基本的にすべてオープンスクールにするという方針の自治体も出てきています。
田中 面白い流れですね。
赤松 空間が変わると子ども達の活動が変わる。そうすると、先生も今までのやり方を変える必要がでてくる。その影響は大きいと思います。
田中 子ども達が学び方を自分で選択できるということが重要ですよね。実際、生徒の自由度は増していますか。
赤松 たとえば、以前我々が設計した千葉市の美浜打瀬小学校では、総合的な学習の時間などでクラス単位だけではなく、学年全体で同様のテーマに取り組み、グループごとに教室やワークスペース全体に散らばってやるといった取り組みが行われるなど、自主性に任せるケースも増えていますので、いかに多様な学習を許容できる場が作れるかが重要だと感じています。また、クラスのテリトリー意識が薄くなったことで隣のクラスの担任の先生にも受け持ちの担任の先生と同じように接するなど、所属する世界が広がり、閉鎖感から解放されたことで、精神的なゆとりができているといった話を聞きました。100人子どもがいたらそれぞれの個性があります。皆が同じように感じる空間というのは、「強制的・抑圧的な空間」と感じることもあります。理想的なのは、子どもたちがそれぞれに、その子にしか気づくことができない「余白」が空間に存在していることなのです。発達心理学の先生から、例えば少し調子の悪い生徒が、メインのスペースからは少し隠れていられて、でも他の生徒たちの活動の様子が垣間見られるような場所があり、そこにいても他の生徒から変だなと思われることがないような空間のあり方がとても重要だと伺ったことがあります。それぞれが自分らしくいられる場所を探せるというイメージです。
千葉市立美浜打瀬小学校。ワークスペースで過ごす子どもたち
実務をやっているからこそ学生に伝えられることがある
田中 大学の時からオープンスクールについての研究されているのですか。
赤松 日本女子大学住居学科在籍時に私が指導を受けたいと思っていた研究室の先生が1年間サバティカルでお休みされることになってしまったのですが、ちょうどその先生のご主人が東京大学工学部の建築計画研究室の教授をされていたため、ありがたいことに「そこに行ったら面倒を見てくれるわよ」ということで一時、通わせていただけることになりました。その時にお世話になったのが高橋鷹志先生の研究室だったのですが、オープンスクールについていろいろと教えていただき興味を持ちました。また、日本女子大に当時非常勤でいらしていた富永譲さん(現・法政大学名誉教授)や伊東豊雄さんから教わった経験も大きかったです。
田中 建築はセンスや人間観などが深く関わってくるので、非常に総合的な分野なのだろうと思います。単に学校で学ぶだけではなく幅広い学びが生きてくるのではないですか。
赤松 大学の時に伊東豊雄さんの事務所でアルバイトをし、スタッフの働き方を目の当たりにすることができました。模型も作らせていただき、大変勉強になりました。
田中 ご自身でいろいろなチャンスをつかんできたのですね。
赤松 伊東さんは当時から建築界のスーパースターでしたので、このチャンスを逃してなるものかと、授業後に友人と出待ちをしたり、時々食事に連れて行ってもらったりもしていました(笑)
田中 建築学科の人は学生時代からそういうアルバイトをするものなのですか。
赤松 多くの学生が設計事務所やゼネコンの設計部で働いていました。私も、伊東事務所以外に、鹿島建設の設計部でアルバイトしていたこともありました。
田中 卒業後はどうされたのですか。
赤松 自分はアトリエ系の設計事務所でバリバリやれるタイプとは思っていなかったのですが、伊東さんや富永さんに教わって「やっぱり建築って面白いな」と思ったのです。ちょうど4年生のころ、若手建築家がパートナーシップで立ち上げた事務所(シーラカンス)でアルバイトしていたタイミングもあって、卒業後そのままシーラカンスにお世話になることになりました。
田中 法政大学では男女共同参画タスクフォースを立ち上げていますが、残念ながら女性研究者や女子学生がなかなか増えません。建築業界は多くの女性が活躍されていると思いますが、実際はいかがですか。
赤松 確かに、建築業界には男女の違いという感覚はあまりないですね。大きなプロジェクトともなると、何日間も事務所に泊まり込むこともあります。新人の頃は、事務所から銭湯へ通うなんてこともありました(笑)
田中 すごくよく分かります(笑)私も文章を書いている時は寝なくても全然構わないという感じです。そういうことは男も女も関係ありませんね。
赤松 大学の先輩に、建築家になるためには何が大切かと聞いた時に「数学や技術よりもとにかく体力が大事」と言われましたが、今その言葉の正しさをしみじみ実感しています。私は自由気ままにやってきていますが、結婚や育児と仕事を両立させている方も多い。まだまだ日本では育児中は女性に負担がかかっているので、社会のレベルでどうにかしないといけないと実感しています。
田中 現在は法政大学のデザイン工学部の建築学科でも教えてくださっています。事務所の仕事と大学の教員の両立は大変ではないですか。
赤松 大変ではありますが、実務をやっているからこそ学生に伝えられることが確実にある。逆に学生から刺激を受けることも多くあります。
田中 学生にとってはまさにロールモデルです。楽しく仕事をしている姿を見せることが一番大切なことだと思います。
潜在的なニーズをいかに提案していけるか
田中 大学の学びは学習の「時間」を基準にした単位を積み上げるシステムですが、コロナ禍のなか果たしてこのシステムで良いのか考え始めています。確実に言えるのは達成度や達成感こそが学びの本質であることです。そう学生に伝え、それが計れるようになったら良いのですが、方法はまだわからない。赤松先生のように達成感を伝えられる方が学生を教えることは理想的なのです。
赤松 挫折しそうになる学生もいますが、大変だったけれど楽しかったという学生も多い。こちらも試行錯誤ですが、多くは設計課題などで自分の力を出し切った後に達成感を持ってくれているようです。
田中 敢えて言葉にすると、赤松先生のめざしているデザインとは。
赤松 建築はあらゆることと関わっています。経済が悪くなれば新しい建築にお金が回らなくなりますし、大きなプロジェクトであれば様々な業界の方とも関わるため、例えば、どのような業界に勢いがあるのかも見えてきます。そして、建築は必ず人の生き方と関わってきます。私は使う人たちに「気持ちいいな」「楽しいな」と感じてもらえる場所を作りたいと思っています。クライアントの希望を聞いてそのままを図面にしてもだめで、まだ気づいていないクライアントの潜在的なニーズを探って新たな提案ができるよう心がけています。
田中 大学施設も手がけたことはありますか。
赤松 京都外国語大学のラーニングセンターを設計しました。その際には自らキャンパス全体の教室の利用率や、授業の規模ややり方を調べた上で、どのようなスペースが足りていないのかを分析して提案しました。建築がより良い、新しいアクティビティのひとつのきっかけとなったら、と思っています。
(C)ToLoLo studio
京都外国語大学新4号館。メザニン階学習エリアより、1階自律学習支援室を見る
田中 ニーズは時代によって変化しますよね。固定机を備えた大教室が必要な時代からは変わっているはずなのに、法政大学を含めて変化していない大学は多い。
赤松 建築には寿命もありますが、そもそも設計から完成までに時間がかかるので、社会の流れの反映も遅い。特に今は数年先の世の中がどうなっているのか読めない世界になっていますので、今設計しているものが完成する3年後、5年後は全く違う世界になっているかもしれないというギャップが確実にある。そのあたりを読み込んだ上でいかにニーズにフィットさせていくのか、とても難しいところです。
田中 その点、必要に応じて何の部屋か決めることができる日本家屋にはフレキシビリティーがありますね。江戸時代では火事になっても全く同じものを建てていました。部屋ごとの目的を問わないから、同じ構成でもまったく問題ないのです。今後、そういう方向に行く可能性はありますか。
赤松 部屋がダイニングにもなれば寝室にもなる日本家屋のあり方は理にかなったフレキシビリティーを持っていたと思います。事務所のパートナーだった小嶋が、トイレやキッチンなど部屋名が一つの機能で決まっているスペースを「黒」、使い方によって呼び名が変わるスペースを「白」として分析する方法を設計にも取り込んでいました。かつてカタールの大学の校舎を設計した時に、実験室や教室の他に多様に使える空間としてフレキシブルラーニングエリアを提案したことがあります。なかなか現地の人にその考えを理解してもらうのが難しかったのですが、全体の中の空間の役割を先程の「黒」と「白」で説明したところ、海外の人にも通じました。今後、企業や大学でこうしたフレキシブルな「白」のスペースの割合は増えていくと思います。
(C)西川公朗
カタール、リベラル・アーツ&サイエンスカレッジ。1階フレキシブルラーニングエリアと教室を見る
田中 コロナ禍でオンライン授業をやりつつ対面授業も再開した場合、例えば対面授業で大学に来た学生が、次の授業がオンラインであれば構内でオンライン授業を聴く場所が必要になることを、コロナ以前は想定していなかったことに気づきました。こうした想定外の使い方をする空間が突然必要になることってあり得えますよね。「白」の空間の重要性に改めて気づかされました。
赤松 機能に特化する方向に行き過ぎるとそれ以外使えなくなってしまいますが、かといってどうにでも使えるただ広いだけの大空間を作る方向になってもそれはそれでうまくいきません。「多目的は無目的」と言われることがあるのですが、極端な方向に行き過ぎてしまうとだめになる。建築家として、その空間がどういう時にどういう場として必要とされるかを考えなければなりません。
田中 なるほど。やはり丁寧なリサーチと分析をベースにしていくことが大事なのですね。今日は本当に面白いお話をありがとうございました。
- 法政大学デザイン工学部教授 赤松 佳珠子(あかまつ かずこ)
1990年日本女子大学家政学部住居学科卒業後、シーラカンス(のちのC+A、CAt)に加わる。2002年よりパートナー。2013年より法政大学デザイン工学部准教授、2016年より同教授。
現在、CAtパートナー、法政大学教授、神戸芸術工科大学非常勤講師、日本学術会議連携会員。
主な作品に、流山市立おおたかの森小中学校・おおたかの森センター・こども図書館、恵比寿SAビル、山元町役場など。渋谷ストリームのデザインアーキテクツをつとめる。
主な受賞に、日本建築学会賞(作品)、日本建築家協会賞、村野藤吾賞、BCS賞、AACA賞など。
- 法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)
1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒業。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。