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福祉とは自分と異なる様々な存在を通し
自分を広げる大きな機会となる領域である

宮城 孝教授宮城 孝教授

人々の持つ内発的な力を発揮することがエンパワメント

廣瀬 宮城先生とは東日本大震災以来、10年にわたり「陸前高田地域再生支援研究プロジェクト」でご一緒させていただいています。先生は学部時代は政治学を専攻、大学院では社会福祉を専攻され、修了後は中野区社会福祉協議会の仕事に従事されています。政治学を学んだ後、なぜ社会福祉の領域に進もうと思われたのでしょうか。

宮城 私は静岡で生まれ育ちました。高校2年生の多感な時期に、近所で新生児が虐待死される事件がありました。なぜこんなことが起きるのか悩み、政治が良くなれば変わるのではないかと考え、大学では法学部政治学科に入学しました。しかし、当時は学生運動の反動だったせいか、大学で学ぶ政治学はかなり抽象的で、私が抱いていた社会問題への疑問に具体的に応える内容ではありませんでした。卒業後の進路は民間企業に内定していたのですが、3年生から重度の障害者施設にボランティアとして通うなかでライフワークとして社会福祉にたずさわりたい気持ちが高まっていました。そのためには一から学ぶ必要があると思い、日本社会事業学校研究科で1年、東洋大学大学院社会学研究科で2年、計3年社会福祉を学びました。その後、自分を試そうと最前線の現場に行きました。

廣瀬 大きな決断をされましたね。

宮城 多くの自治体などで社会福祉に関する委員会の代表を務めている現在から振り返ると、大学院で専門領域を変えたものの、学部時代に学んだ政策決定のしくみが役立つことも多く、結果的には良かったとも思っています。

廣瀬 中野区には特別なご縁があったのでしょうか。

宮城 大学院の時に社会教育指導員を2年ほど務めた時の知り合いが社会福祉協議会にいて、中野区でボランティアセンター設立のための職員を募集していると聞き応募しました。大変やりがいのある仕事で、運営委員会の方々やボランティアのリーダーと理念や活動のあり方についてとことん話し合いました。当時は20代後半でしたが、実際にボランティア活動や福祉活動に携わっている年齢の離れた多くの方と接する機会も多く、その時に深い交流を持てたことが私の原点の一つです。

廣瀬 1970年代から中野区は区長が選挙で選ばれる契機となった準公選運動の拠点の一つでした。私も同時代に学部生として政治学を学びながら中野区で教育委員の準公選運動に関わった方にヒアリングに行っていたことを懐かしく思い出しました。

宮城 当時は革新区政と言われ、様々な自治体行政のあり方を議論していた時期で、多くのことを学べる良い機会でした。

廣瀬 先生のご専門の地域福祉の領域には行政の福祉政策による公助と地域の人たちが支え合う共助がありますが、近年ともすると公助が及ばないことに対する言い訳のような形で共助がうまく使われてしまう場面も目にします。

宮城 私の研究では、エンパワメントアプローチという視点、つまり人々の持つ内発的な力を発揮することを重要視しています。社会的に弱い立場の人々が、自らの問題の背景や原因を認識し、お互いに理解し、社会に発信をして必要な支援を自ら得ていく。社会福祉の支援というのは、それを側面的に支援していくことが重要なアプローチであると思っています。

復興支援には様々な専門分野との連携が大事

廣瀬 神戸で阪神淡路大震災も経験されたそうですね。

宮城 仕事の関係で神戸に居住して3年目の時でした。直後の被災地は現実とは思えない惨状で、自然の営みに比べて人間の存在は小さく無力だと痛感しました。地球の主人(マスター)は人間ではなく、地球という生命体そのものです。よく私たちは「自然災害」と言いますが、これは人間側の視点で、地球から見たら必然のことです。暑くなれば雨はたくさん降りますし、エネルギーが溜まれば地震は起こる。地球の側から見ることの重要さを実体験から学びました。

廣瀬 あの年はボランティア元年と言われた年でしたが、震災直後はどのような活動をされましたか。

宮城 神戸市内で最も高齢者の割合が高い兵庫区で災害ボランティアセンターの立ち上げと運営の支援を2カ月程行いました。全国から来た若者のボランティア代表、NPO代表、福祉関係者代表などと毎晩どの地域でどんな支援が必要なのかを協議しました。試行錯誤の連続で、日々力が試された経験でした。1人のソーシャルワーカーとして、この経験も私の原点の一つです。

廣瀬 そこから見えたことは何ですか。

宮城 残念ながら、その年の4月から関東の大学に赴任し博士論文の執筆もありましたので、阪神淡路大震災後に被災地がどういう経過を経て地域の再生を果たしていくのかというプロセスには継続的に関われませんでしたが、仮設住宅における孤独死という問題は注視していくべき課題だと思っていました。東日本大震災の時はこの課題をふまえ、震災直後だけではなくその後被災者の人達がどのように乗り越えていくのか見極めたいと考え、岩手県で最も被害が甚大であった陸前高田市をフィールドとし、インタビューやアンケートによる約10年間に渡る長期的な調査や支援活動を行いました。仮設住宅における住民の営みや行政の有り様も含めて、社会福祉だけでなく、都市計画、まちづくり、社会学、公衆衛生など多様な視点から包括的な支援システムをどのように作るかという課題について、阪神淡路大震災ではできなかった成果が得られました。その成果を、昨年12月に『仮設住宅 その10年 -陸前高田における被災者の暮らし-』として御茶の水書房から出版しました。

廣瀬 「陸前高田地域再生支援研究プロジェクト」の立ち上げには私も関わりましたが、復興の過程に伴走する結果10年も続くことになるとは予想していませんでした。法政には学部を超えたサステナビリティ教育研究機構(サス研)という組織があり、ここから東日本大震災に対応していくつか学部横断のプロジェクトが立ち上がりましたが、その一つが陸前高田の復興支援でした。私自身は震災以前から陸前高田市議会と繋がりがありましたが、震災直後から3月下旬まで連絡がつきませんでした。やっと4月下旬に明治大学で開催されたシンポジウムに登壇された際に会うことができ、何が必要とされているかを伺いました。続いて、5月の連休に現地に赴いて市役所の方からも状況を聞き、大学にできることで何かお手伝いにならないか幾つかの案を持ち帰りました。その結果、サス研では原発事故関係、陸前高田市の復興過程における被災者の方の状況・意向調査、津波で汚損した市議会公文書の洗浄・保全の3つのプロジェクトを発足させました。とくに復興支援については、賛同して下さる他大学とも協力して、都市計画や社会学、地方自治など福祉以外の分野の研究者との共同作業を行ったほか、長期の合宿も毎年行い、地元の方、実務家の方々とも連携することができました。

宮城 私たちのプロジェクトの活動に、約10年間で研究者、実務家、大学院生、学部生延べ約600名が参加しました。この貴重な経験から、復興支援には様々な専門分野との連携が大事だと痛感しました。例えば住宅を失った被災者がまず切実に求めるのは、できるだけ早く負担が少なく住宅を再建することです。そういう意味では住宅の専門家のアドバイスは欠かせません。また、被災者にはストレスや健康不安が年々強まるため、保健や医療関係者との連携も大事です。自分の分野の中で解決できないことは積極的に連携を求める。この被災地の経験で徐々にそういう行動様式に変わっていきました。こうした考え方は被災地支援に限らず、少子高齢化や人口減少の問題を抱える日本のあらゆる地域でも必要なものだと思います。

廣瀬 現代福祉学部は、震災以前から岩手県遠野市との連携の中で教育活動を展開されていました。その関係で遠野の社会福祉協議会の方が、津波で一時期市の中心部と分断され震災支援が届きにくかった陸前高田市の広田半島の避難所にサポートに入って下さるなど、現代福祉学部が培ってこられたネットワークが生きていると実感しました。

宮城 現代福祉学部には福祉、臨床心理のほか、地域づくりの分野もあることから、全国でまちづくりに先進的に取り組む自治体と推薦入試制度の関係があります。遠野市はその対象であることに加え、学びのフィールドとして合宿を行って住民との交流を続けるなど、震災前からおつきあいがありました。遠野市は震災時の後方支援基地として注目されましたが、法政大学もゼミやボランティアセンターなどがチームを組んで遠野を拠点に支援活動を行うことができ、良い支援モデルになったと思っています。

人と人との出会いによって自分の有り様が見えてくる

廣瀬 現代福祉学部のある多摩キャンパスでは、地域の方々との対話やフィールドワークを大切にした研究や教育を行っています。

宮城 昨年度まで多摩キャンパスの学生センター長でしたが、その時に八王子市の医療、教育、福祉関係者が連携して行ったCOVID19対策セミナーに協力したり、ボランティアセンター長の時は、学生と住民のリーダーの方と共に活動したり様々な経験をさせていただきました。学生もこうした人と人との交流の中で地域に愛着を感じるようになり、3人の学生が町田市役所や社会福祉協議会などに就職しました。そうした姿を見て、人と人との出会いによって自分の有り様が見えてくるものだと改めて思いました。

廣瀬 私のゼミ生の中に、オンライン授業などで使うIT機器は大学生にとっては難しいものではないけれど、高齢者にとっては難しいかもしれないと考え、埼玉県内のある自治体で地域の高齢者向けのZOOMの講習会を提案して採用された学生がいました。彼らが講習会の講師も務めたのですが、この時期ならではの課題を解決しようと具体的な行動を起こしてくれたのは嬉しかったです。
陸前高田の合宿に参加した学生の中には、卒業して新聞記者となって宮城に配属され、石巻の仮設住宅に住む被災者の家庭に泊めていただいたりもしながら、継続的に復興過程を丁寧にレポートする記事を書いている人もいます。法政大学での学びを経て福祉やまちづくりの現場に入った学生が増え、頼もしく思っています。

宮城 考えてみると、私が陸前高田に通い続けたのは被災者の方に会いたいからなのです。そういう意味では、福祉というものは、学生が自分とは異なる様々な存在を通して自分を広げる大きな機会になる領域だと感じています。我々教育者はその意義を学問的にもしっかり深めて伝えていかなければならないと考えています。コロナ禍でそのような教育機会が限られていますが、決して単に可哀想な世代ではなく、共に悩み考えながら振り返れば貴重な機会となるような教育を行っていきたいと考えています。

廣瀬 多摩キャンパスは東京の郊外にあります。高齢化が進み多くの課題を抱える地域に立地する大学として地域福祉という視点からどのような点で貢献できるとお考えですか。

宮城 近年、高度成長期時代に開発された住宅が一気に高齢化しており、多摩キャンパス周辺もそうした状況にあります。私のゼミでは5年前から「若者の視点から今後の福祉社会を探る」というテーマで、1年ごとにキャンパスが接している八王子市と町田市をフィールドとして学生が自主的にテーマを設定し、データを分析し、インタビューやアンケート調査を行うグループ研究をしています。年末には行政関係者、市議会議員、社会福祉関係者などを招待し、建設的な提案を行う場を設けています。昨年は、オンラインで行いました。特に市議会議員の方はよく質問して下さり、学生にとっては緊張しますが様々な力を養う良い機会となっています。

廣瀬 地域で学ばせてもらい、多少お役に立てれば嬉しいという関係性ですね。おそらく大都市の郊外は現代の社会課題が集約されたような場所でもあるので、地域での生活の質をいかに維持するかという知恵が問われていて、そのことを実地に学べる最適な場所でもありますね。

宮城 都心のように人口の流動が激しいわけではなく、住宅が多く地域に愛着を持った住民がいる。こうした地域住民の方が安心できる形で人生の最後のライフステージをどのように迎えていくのかという問題は、これからの日本の重要のテーマです。団塊の世代が2025年には全て75歳以上になる。健康、家族関係、福祉、住宅、医療など多くの問題が出てくるでしょうし、多摩地域は、全国的に見ても超高齢社会において様々な社会的な実験が行われる地域になっていくはずです。多摩キャンパスには地域交流センターもあり、住民と深く交流でき、学生にとってはその交流を通して自分を見つめ広げる学びの場となっています。

廣瀬 今後も様々な可能性を持った人材が育っていきそうですね。本日はありがとうございました。


法政大学現代福祉学部教授 宮城 孝(みやしろ たかし)

1957年静岡県生まれ。学習院大学法学部政治学科卒業、日本社会事業学校研究科卒業後、東洋大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修了、日本社会事業大学大学院社会福祉学研究科博士後期課程修了。博士(社会福祉学)。東海大学健康科学部社会福祉学科専任講師、助教授などを経て、2001年より本学現代福祉学部助教授に着任。2005年より教授、現在に至る。日本地域福祉学会副会長、東京都狛江市市民福祉推進委員会委員長、東京都町田市地域福祉計画策定審議会会長などを歴任。

法政大学総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)

1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より総長。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。