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コミュニケーションの種を育てる
──自分という花を咲かせるために──

椎名 美智教授椎名 美智教授

英語は世界への窓だと信じて大学、大学院、そして今も学び続ける

廣瀬 本日は、『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』 (角川新書) が話題になっている、本学文学部英文学科の教授で、言語学がご専門の椎名美智先生をお迎えしました。こちらの書籍について伺う前に、まずは先生が現在のご専門にたどり着いた経緯からお聞かせください。

椎名 もともと文法が好きで、高校までは、英語に限らず、古文・漢文も大好きでした。当時、テレビで目にした大阪万博で活躍する著名な通訳者の姿に憧れを抱くとともに、「英語は世界への窓」だと思い、大学では英語を勉強したいと考えました。
 大学入学後、アメリカのボストンに短期研修で訪れたことをきっかけに、卒業後はアメリカに留学したいという目標ができ、学部での4年間は留学の準備期間として英語漬けの日々を過ごしました。その頃は、英語の達人になりたいという思いで、身体は日本にありながらも、心は常にアメリカにありました。

廣瀬 アメリカへの思いがとても強かったのだと思いますが、卒業後はアメリカではなく、イギリス・スコットランドのエジンバラ大学大学院に進学されました。それはどのような経緯だったのでしょうか。

椎名 進路を決めようというタイミングに、アメリカで日本人留学生が犠牲となる悲惨な事件が連続して起き、父の反対もあり急遽留学先をイギリスに変更しました。ただ、ロンドンだと日本人が多く、集中して英語を学べないのではないかという懸念もあり、ヨーロッパで最大の言語学専攻を擁する大学であるエジンバラ大学への留学を決めました。アメリカに行けなかったのは残念でしたが、まったく後悔はありません。その地で人生をかけて研究することになる言語学に出会えたわけですから、人生何が起こるかわかりません。

廣瀬 イギリスで学ばれていかがでしたか。留学先で修めたい専攻分野として、言語学というキーワードをすでにお持ちだったのでしょうか。その後どのようなきっかけで研究者を志すようになったのでしょうか。

椎名 最初の1年間は、留学生のための大学院準備コースで世界中の留学生とともに英文学と英語学を学びました。日本の大学で一通り学んでいたつもりでしたが、まったく違う幅と深さで学ぶことができました。例えば、本や論文を読む際、それを鵜呑みにせず、批判的に読解する読み方を習いました。それまでは論文は常に正しいという前提で読んでいましたが、筆者と対等な立場で批判的に読んでいく態度が身につきました。
 英文学と英語学・言語学をもう一度勉強し直した結果、とりわけ言語学が面白く、分析も得意だと気づきました。先生からも「分析が緻密で洞察力がある」とコメントをいただくなかで、気がつくと、言語学の研究に夢中になっていました。エジンバラ大学で自分が好きで得意な領域に出会えたのはとても幸運なことでした。振り返ってみると、中学、高校と文法が大好きだったことが、この言語学研究へと繋がっていったのだと思います。

廣瀬 英文学科志望の受験生は、はじめから言語学を知る機会は難しいと思いますが、こうした学びもできる可能性があるということが伝わると良いですね。

椎名 そうですね。法政大学の英文学科では英文学と英語学、そして言語学を学ぶことができます。私はたまたま英語をデータとして分析する言語学を学びましたが、英語学でも言語学でも、方法論は世界中の言語に応用できます。私自身、日本語も英語と同じくらい分析してきました。近著の『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)は、博士論文の成果をわかりやすく伝えたいという思いで、一般書として出版したものです。

自分の言葉は思い通りに相手に伝わらないという前提で話すのがコツ

廣瀬 『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』のもとになった研究はどういう経緯で始められたのですか。私たちの多くは、意識はしていないけれどなんとなく自然に「させていただく」という言葉を使ったり、逆に人が話しているのを聞いたりして、「あれ、何かちょっと違う?」とモヤモヤしているのではないかと思います。

椎名 「させていただく」は、「させる」という使役の助動詞と「いただく」という授受動詞が繋がった連語なので、「誰かから許可をもらって自分が行動し、それをありがたいと感じる時」に使うのが正しい使い方だとされていますが、実際にはそのようには使われていません。
 多くの人がなんか違うとモヤモヤしながらも便利な表現として使っているわけですから、言語学者として、それを現在の言語現象として受け入れ、「なぜこんなに流行っているのか」「なぜ違和感があるのか」を調べることを研究課題として設定しました。その現象を長年実践してきた歴史語用論の方法論で調査して分析したら、新しいことや面白いことがわかるのではないかと考えました。結果として、定説を覆す新たな発見ができました。

廣瀬 私たちはネイティブスピーカーとして日本語をあたりまえに話していますが、分析まではしませんからね。そのために正しく日本語が使えていないということが多々あるように感じます。本研究ではどのようなことが明らかになりましたか。

椎名 敬語はもともと相手に敬意を示すために使うものですが、「させていただく」は相手に敬意を示すためというより、「自分の上品さ」や「自分は丁寧な人だ」ということを示すために使われていることがわかりました。「聞き手のことを意識していること」を示す印として使いながら、自分の品性を示すためにも使っていると考えることができます。
 同様の文脈で使える敬語には「~いたします」「~してさしあげます」「~させてください」などがあります。敬語は使われていくうちに徐々に敬意がすり減っていくので、その結果、これらの言い方は少し改まりすぎて、むしろ上から目線で偉そうに聞こえるようになり、敬意不足が感じられて使われなくなってきたという経緯があります。そのため、足りなくなった敬意を補うために、より距離感があって敬意モリモリの「~させていただきます」が使われるようになったと分析しています。

廣瀬 この本の中に、ある会場で係員に「受講票を確認させていただきます」と言われて激怒した年配男性のエピソードが登場します。若い受付の係員は、より丁寧に言いたいと思って「受講票をみせてください」ではなく、敢えて「受講票を確認させていただきます」と声をかけたにもかかわらず、叱られてしまいます。なぜ自分が怒られたのかが分からず戸惑うという状況だったと想像されます。
 しかし、自分の発した言葉が相手にどのように受け止められているのかという視座を持っていれば、理不尽な人に遭遇して怒られるという不運な結果に終わることもないでしょう。今後はこうした誤解がないように努めようと思い至ることができれば、重要な実践知になると言えるのではないでしょうか。

椎名 私の専門の歴史語用論は、「昔の人はどんな風に話をしていたのか」を研究する言語学の一領域です。語用論では自分の発した言葉を相手がどのように受け取るのか、その意味のズレやメカニズムを分析しています。コミュニケーション論といってもよいでしょう。
 学生たちにも、言葉は必ずしも自分が意図した通りに相手に伝わるとは限らない。自分の話したことは、辞書的意味に、人間関係や状況など様々な要因が加わって解釈されるので、それらをすべてくみ取ることが大切だと伝えています。さらに言うと、うまく伝わらないことが普通だと考えて、誤解が起こった際には、なるべく早くインタラクション(意思の疎通)の中で誤解を解く必要があります。言葉は生ものなので、取り扱い注意なんです。
 社会に出ると様々なことがあります。例えば、会社で上司とそりが合わなくても、すぐに辞めてしまわず、なぜそりが合わないのか、なぜ誤解が生じているのかを掘り起こし、言葉のやり取りを振り返る必要があります。些細な行き違いがきっかけで、大きな問題に膨れ上がっていることに気づけば、関係修復ができます。こうした振り返りや気づきは、人間関係の構築にとても大切です。
 今は気づかなくても、将来役に立つコミュニケーションの種を学生時代に撒いておけば、社会に出てから、必ず芽がでて花が咲き、実をむすぶときが来ると考えています。そうした学びは必ず実践知につながると信じています。

自分を客観視・相対化して言語化する力はビジネスチャンスを広げ、世界を広げてくれる

椎名 どの学問分野でも同じでしょうが、自分が学んできた知識は、時代とともに古くなるので、更新する必要があります。そのため私は、研究に専念できるサバティカルの制度(海外や国内の他の大学で研究する制度)を利用して、自身の学びをアップデートしています。1回目は、イギリスのランカスター大学で歴史語用論を学び、そこで得た知識や研究方法を学生に還元することができました。
 現在、私は法政大学大学院人文科学研究科の国際日本学インスティテュートの運営委員長をしているのですが、在学生の9割は海外からの留学生です。その人たちに日本語学を教えるために改めて日本語学を学ぼうと、国内留学で博士論文を書きました。その成果を本にしたのが『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』(ひつじ書房)で、最近さらに一般向けに『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)を出しました。広く社会人に読んでほしいと思ったからです。メディアでもたくさん取り上げられているのですが、誰もが「させていただく」が気になっていて、何か言いたいということがよくわかりました。

廣瀬 これまでの自分の経験や社会関係などを実感したうえで再度古典に触れると、その受け取り方が変わることがあります。「シェイクスピアなんて今どき読んで何になるの?」と思う方も多いかもしれませんが、直接役に立つことだけ学ぶとなると、どうしても視野が狭くなってしまいます。
 私がイギリスに留学した際、ライアル・ワトソンが相撲について解説している内容が、日本でもこんなに深い解説を聞いたことがないと思えるほど深いものでした。リカレント教育というと、最新のビジネステクノロジーをビジネススクールで学ぶというイメージがあるかもしれませんが、グローバルなコミュニティにおいては、自分たちの使っている日本語という言語や、目にしているものを論理的に言語化して解説できる力が、結果的にビジネスチャンスを広げ、自分の存在感を高めるものだと思います。

椎名 存在感を高めることは大切なことです。そのためには「自分はこういうことを考えています」と言語化する訓練ができる場が必要です。18歳人口が減っていく中で、社会人にも改めてそうした訓練ができる機会を大学が提供できると良いですね。

廣瀬 在学生の父母の会合に、文学部を卒業して銀行員になった卒業生がゲストとして招かれていたことがありました。在学生の親御さんから「経済や経営ではなく文学部なのになぜ銀行員なのですか?」という質問があり、その方はこう答えました。「私は4年間言葉と真剣に向き合い、ある程度深いレベルで言葉を捉えることができるようになりました。銀行の仕事は数字を扱うのはもちろんですが、ほとんどが言葉によるコミュニケーションです。文学部で学んだことが今本当に役立っています」と。
 このように、自分が4年間取り組んだ成果をしっかり言語化して説明できる人を育てていかなければなりません。

椎名 私のゼミではまさにそこに着目し、分析力と思考力、そして表現力を鍛えています。学生は講義やゼミで理論を学んで発表しながら、コミュニケーション力を身につけます。面白い話を聞いたらなぜ面白いのか、面白くない話を聞いたらなぜ面白くないのかを分析しながら聞くと、全ての話が面白く聞けるし、勉強になります。社会人と共同プロジェクトを立ち上げて、学生の視点からのビジネスプランを提案してフィードバックをもらう企画も実施しています。こうした視点で学ぶ機会は、一生の宝だと思います。言語学は、大学を卒業してから一生役に立つ生きた学問なんだと教えています。

廣瀬 学生のみなさんは、自分が居心地のいいコミュニティを持つことは大事なことですが、それは閉じられた世界なのだと理解しなくてはなりません。外の世界には様々なトライブ(tribe)があり、その分布図を頭に描きながら、TPOに応じて言語を使い分ける力を磨いてほしいですね。

椎名 社会に出たら、まさに自分がその分布図のどこにいるかを認識し、そこが世界のすべてではないと意識する必要があります。全体の中で自分を相対化しながら、トライブを超えてコミュニケーションをとること、振舞うことが大切です。でも、コミュニケーションで一番大切なのは、他者への愛とリスペクトだと思っています。

廣瀬 コロナ禍でコミュニケーションの形態が変化するなかで、人との距離感も変化し、ますます難しい時代になっています。もっとお話ししたいところですが、本日はありがとうございました。


文学部英文学科教授 椎名 美智(しいな みち)

宮崎県生まれ。言語学者。お茶の水女子大学卒業、エジンバラ大学大学院修士課程修了、お茶の水大学大学院博士課程満期退学、ランカスター大学大学院博士課程修了(Ph. D.)、放送大学大学院博士課程修了(博士(学術))。専門は歴史語用論、コミュニケーション論、文体論。著書は『歴史語用論入門』(共編著、大修館書店)、『歴史語用論の世界』(共編著、ひつじ書房)、『「させていただく」の語用論』(ひつじ書房)など。2022年1月に出版した近著『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』(角川新書)が話題の書に。

法政大学総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)

1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より総長。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。