手妻を通して和の文化の面白さを発信していきたい
藤山 大樹さん
法政大学にはやりたいことが全部あった
廣瀬 本日は「手妻(てづま)・和妻(わづま)」と呼ばれる江戸時代から続くマジックを継承する藤山大樹さんをお迎えしました。さっそくですが、理系学部を卒業してから手妻師に至った経緯についてお聞かせください。
藤山 そもそもマジックは時代の科学と結びついています。例えば、電磁力が発明された時代にはその技術がマジックに応用されるなど、科学はマジックにとって大変重要な要素の1つでした。私もマジックが好きであるのと同時に理工系の学問にも興味がありました。そこで法政大学の工学部経営工学科に入学。少し方向性は違いますが、当時は「ユーザーインターフェース」や「最適化」に関心を持っていました。また法政大学には伝統あるサークル「奇術愛好会」もあり、私がやりたいことの全部がそこにはありました。そして在学中にのちに私の師匠となる藤山新太郎の舞台アシスタントをすることがあり、師匠の和の舞台を見た時に「こんな世界があるのか!」と感激し、それが、今思えばこの道への進路を決定づけたと思います。
廣瀬 高校生のうちからサイエンスやテクノロジーとマジックの関係に関心を持ち、そのような進路選択ができたというのはすごいことです。本を読んだり誰かからヒントがあったりしたのですか。
藤山 ヒントはなかったのですが、自分が勉強したいこと、マジックサークルがあることなど、私の求める様々な要素が一番多いところが法政大学でした。結果論でしかないですが、法政大学では、幅広い人脈をつくり上げることができました。今、自分が望んだ方向に進めているのは、その時感じた自分の興味を大切にして、選択し、全力で取り組んだからだと思います。進路に悩んでいる高校生には、自分がやりたいと思うことを信じてその方向へ進み、多くのことにチャレンジしてほしいと思います。
廣瀬 工学部で学んだ経験は現在の仕事に役立っていると感じますか。
藤山 はい。学んだことがそのまま活かせているわけではないですが、物事を考える際の基礎になっているとは感じます。現在は自分で事務所を経営しており、経営工学科で学んだ考え方が役立っています。
廣瀬 卒業後は藤山新太郎さんに弟子入りされていますが、手妻師を目指すきっかけは何でしたか。
藤山 明確なきっかけはないのですが、まず学生の時はプロマジシャンを目指すか就職するかでかなり悩みました。そして自分の力を試してみたいと、大学卒業後すぐに藤山新太郎師匠に弟子入りしました。藤山流では和も洋も習います。いろいろなことを学び、独立の際に自分で方向性を選ぶことが出来ます。3年半の弟子修行を通し和の文化に興味関心を高め、藤山大樹の名前をいただき独立するときに、手妻の道一本で行くと決意しました。
廣瀬 学生時代にプロとしてやっていける手応えはあったのですか。
藤山 はっきり、あったとは言い難いのですが、今思えばある程度戦略的に考えていました(笑) まず師匠の技術は素晴らしいものでしたので、この人のもとで修業すれば、マジックで生計を立てられるようになれると思っていました。また師匠の手妻はこれから10年20年たっても廃れないと思うと同時に、手妻の演じ手は非常に少なく、世代間のブランクが10年、20年以上あるため、自分が次の世代の先頭にいれば十分やっていけるのではないかと考えていました。また、入門当時には東京オリンピックも決定し、和の文化への需要が高まることは目に見えていたので、どちらかと言えばうまくいくような気はしていました。但し簡単な道ではなかったですが...
廣瀬 なるほど、経営工学科出身者らしい考え方ですね(笑) 先を見据えた決断が今のご活躍につながっているのだと感じます。
本当に興味がある分野なら将来の選択肢に入れてもいい
廣瀬 藤山新太郎さんのところではどのような修行をされたのですか。
藤山 入門してすぐ手妻は教えてくれません。まず半年間、日本舞踊と鳴り物を習わされます。舞踊をやると、所作や着物の着こなしが身に付きます。また和の音楽は5線譜で表現できる洋の音楽とは違うので、和の音を知らないと音楽と動きを合わせることができず、お遊戯のようになってしまいます。そのため和の音楽が聴こえるようになるために鳴り物を習います。そして舞踊と音楽をある程度身に付けてから、やっと手妻を教えてもらえるようになります。舞台上で緊張していても自然な所作で動けるようになるためには、これらの素養が必要だというのが師匠の考えでした。
廣瀬 師匠と弟子の関係とはどのようなものなのでしょうか?伝統を継承する点では、生徒とも立場が違いますよね。
藤山 弟子は将来、師範格になることを前提としていますが、生徒は免状的なものを出して好きにやってもらうので、立場は大きく異なります。徒弟制度は今の時代に流行らないかもしれませんが、こと芸能に関して言えば人から習うことは重要だと思います。師匠が弟子を感化し、弟子は技術だけでなく思いも未来に継承していくものだと私は思っています。
廣瀬 落語家さんの世界はまずは雑巾掛けから入って落語は一切教えてもらえないと聞きます。でも、近代的なカリキュラムで育った人にしてみたら、こうした「見て盗め」の世界では困ってしまうかもしれませんね。
藤山 落語は10年で一人前と言われていますが、藤山流は3年半で独立します。指導に関しても「見て盗め」ではなく、しっかり理論的に説明されます。師匠が修行中の頃は「違う」としか言われず、何が違うのかが分からず、あまり意味がないと感じたそうです。間違いをきちんと説明した方が理解も早く、才能を早く見極められます。入門してすぐに辞める人もいますが、自分には合っていないと早く気づけば、お互いストレスも少なくて済みます。また藤山流では弟子入りすると、師匠の事務所の社員となり、給料制で、生活を保障することで芸に集中させると同時に、仕事を身につけさせて社会に出すことができます。3年半もあれば自分の進むべき道もわかります。
廣瀬 しっかりとしたノウハウですね。芸が板につくまではどれくらいかかりましたか。
藤山 気負いしなくなったのは、入門して10年弱でしょうか。つまりここ最近です。それでも未だに緊張する舞台はありますし、まだまだこうしなきゃいけないなと思うことが沢山あります。
廣瀬 2019年には文化庁芸術祭で新人賞を受賞されました。入門してから約10年、本気で取り組んだ全てが血となり肉となったのでしょう。お話を伺い、本当に興味がある分野だったら将来の選択肢に入れてもいいということが伝わってきました。
藤山 ただ、好きなことで生きていくには耐えるべきことも絶対にあると思います。私の大切にしている言葉に「日々一歩前へ」というものがあります。半年や1年くらいでは結論はなかなか出ないもの。だからと言って急いで大きな歩幅で進む必要はなく、むしろ毎日少しでいいので一歩ずつ前に進むことが大切だと思います。例えば、私が踊りを面白いと思えたのは習い始めてから5年も経った頃でした。ここがここに結びつくと具体的にわかってから、より開花することもあると実感しました。
廣瀬 藤山さんは海外でも高い評価を得ていられます。演目「七変化」では和傘、歌舞伎の隈取りや狐のお面などの和のデザインアイコンを上手に取り入れていることもさることながら、人を楽しませる力量も評価されたのだと思います。海外でパフォーマンスしようと思われたきっかけは何だったのでしょう。
藤山 元々はマジックの世界大会に出場するのが目的でした。コンテストに挑む中で、自分のある部分が評価されていることに気がつきました。それは私の演技が自国の文化を背負い、表現しているということです。それに気付いてからは、海外へチャレンジしようという思いが一層高まりました。マジックは言葉がなくとも老若男女に楽しんでもらえるコンテンツです。そこに和の文化を加えることで、見る人に事前知識がなくても日本の伝統を伝えることが出来ます。
「伝統は残すものではなく活かすもの」
廣瀬 手妻とはどういう意味があるのでしょうか?またいつ頃からあるのでしょうか?
藤山 日本の奇術の歴史は明確には言えない部分があります。なぜなら、おそらく奇術ではあるが、解説されているわけではないので、本当に何か怪しい術かもしれないからです。そのため、解説されるようになってからを奇術の始まりと考えるとおよそ300年と言われています。そして奇術に該当する言葉は、その時代時代によって変わっていきました。「手妻」という言葉はその変遷の中の、ある一時使われていた言葉です。いわれは諸説ありますが、私たちは意味の明快さから「手を稲妻のごとく素早く動かすこと」に由来するという表現を使っています。明治時代になると西洋の文化が入ってきて、もともと日本にあった奇術と、西洋のものを分けるため日本奇術を「和妻(わづま)」と言い始めました。そして平成になって、国の無形文化財になりました。
文献によると日本奇術には1000以上の種類があるそうなのですが、奇術として成り立つものが約1割で、残りは妖術のような怪しいものや、今の時代では奇術として成り立たないものがほとんどです。そのため、今後この文化を伝えていくためには今の時代に合った新たな演目を作る必要があります。例えば、お面を使用した私の演目「七変化」もその一つです。師匠の「伝統は残すものではなく活かすもの」という言葉で私も腑に落ちました。
廣瀬 お面のマジックは藤山さんのオリジナルだったのですね。
藤山 はい。中国には変面という伝統芸があり、日本にも石見神楽という芝居で、お面が変わる要素があります。私としてはお面が変わるのがビジュアル的に面白いと思ったので、それを取り入れ演目を作りました。ここを入口にして日本の文化に興味を持ってもらえればと思っています。
廣瀬 お座敷でも定期的に公演をされているそうですね。
藤山 師匠の紹介で日本橋人形町にある鳥料理の老舗「玉ひで」の社長(山田耕之亮氏/1983年 社会学部卒)とお会いし、社長一家が親子三代法政大学の卒業生とわかり意気投合しました。今ではテレビ撮影の度にお座敷をお借りするほど親しくさせていただいています。法政には様々なつながりと結束力があり、卒業生で本当によかったと実感しています。
廣瀬 法政大学憲章に「世界のどこでも生き抜く力を有するあまたの卒業生たちと力を合わせて...」という文章がありますが、様々な場所で様々な卒業生が活躍していて、縁でつながると大学の力が発揮されますね。お座敷での公演は楽しそうですね。
藤山 お座敷は舞台とはまた違い、お客様との距離が近く、より手妻の世界に入り込んでいただくことが出来ます。タイムスリップした感じになって手妻をより楽しんでもらえるのだと思います。一気にとりこになってくださる方も多いです。
廣瀬 劇場公演とはまた違った雰囲気が楽しめそうですね。一方で、新型コロナウイルス感染症による影響はありましたか。
藤山 はい。劇場公演や企業のパーティーが減って大変でした。しかし、こういったときこそ自らを見つめ直す機会と思い、改めて今自分のしていることを振り返って考えました。
廣瀬 動画も拝見しました。演目、色彩、演出全てに魅せられました。
藤山 ありがとうございます。本当は生で見ていただきたいのですが、公演に足を運んでいただくきっかけになればと思い、動画を配信しています。コロナ禍でのステイホームということもあり配信サイトでの再生回数や登録者数も増え、ニーズを肌で感じることができました。
廣瀬 確かに、紙吹雪の流れや傘を開く音、演者の呼吸など、実際の舞台での空気感やインパクトは動画では伝わりにくいかもしれません。
藤山 来てくださるお客様も実は演出の一部です。涙や笑いなどの反応につられて感情も動いていきますが、映像ではそこまで表現するのは難しいですね。
廣瀬 まさに観客みんなが息を呑む瞬間というものがありますね。
藤山 あの空間、あの瞬間でしか得られないものを求めてお客様は来てくださる。だから芸能というものが残っているのだと思います。
廣瀬 本当にそうですね。ぜひ、生の舞台を見に行きたいと思います。本日はありがとうございました。
- 手妻師 藤山 大樹(ふじやま たいじゅ)
1987年東京都生まれ。2010年工学部経営工学科(現 理工学部経営システム工学科)卒業
日本古典奇術の数少ない継承者。2010年に手妻の大家 藤山新太郎に師事して手妻師の道を歩み始める。2014年マジックのアジアチャンピオンになり、2015年マジック界のオリンピックと称される世界大会「FISM(フィズム)」にて5位に選ばれる。これを皮切りに世界デビュー。2019年文化庁芸術祭において日本マジック界歴代最年少で「新人賞」を受賞。「伝統の新しい形」をテーマに繰り広げられるパフォーマンスは日本国内にとどまらず世界中で注目されている。現在までに世界10カ国、20都市以上に出演。手妻を通して世界中に日本の伝統文化を伝えている。