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教育者として、南極観測隊越冬隊長として
夢や憧れが現実と繋がっていることを伝えたい

澤柿 教伸准教授澤柿 教伸准教授

学んだ知識を応用できれば人生が豊かになる

廣瀬 本日は本年秋に南極に向けて出発予定の第63次南極地域観測隊の越冬隊長に就任された社会学部の澤柿教伸准教授をお迎えしました。ご専門は氷河地質学、自然地理学とのことですが、その分野を選ばれたきっかけから教えていただけますか。

澤柿 私は富山県に生まれ、目の前に北アルプスの山々が広がる環境で育ちました。小学校の理科の教員だった父と川で石を拾ったり、山菜採りをしたりしながら、自然に興味を持つようになりました。

廣瀬 近年、地域散策を楽しむテレビ番組の影響もあって、地層や土地の断面の観察も人々に浸透してきたように思いますが、そういうこともご専門と理解してよろしいでしょうか。

澤柿 まさに私が扱っている分野です。私は大学で地質学を学び、大学院で環境科学の分野に進みました。この環境科学は人と自然が触れ合った所に環境ができるという考え方ですので景観も含まれます。

廣瀬 法政大学で言えば小金井キャンパスの近くに「はけの道」と呼ばれる大昔の多摩川沿いにできた河岸段丘がありますね。人が住む所と自然環境が触れ合う場所にあり、自然現象であるとともに、文化でもある。「高校の地理で河岸段丘って習ったな」という知識があって現物を見ると理解が深まりますね。

澤柿 学生の皆さんは、自分が学んだ知識が実は身近にあって、それを応用できればもっと人生が豊かになることになかなか気づけていないような気がしています。たとえば、社会学部がある多摩キャンパスは相模川と多摩川とのちょうど境界の山の中にあるのですが、その地形を意識している学生は少ないと思います。駅からキャンパスまでのバスの中で、スマホから少し目を離して車窓を眺めて気づいて欲しいです。

廣瀬 できれば、丘陵地帯における暮らしやニュータウンの歴史にも思いを馳せてほしいですね。

澤柿 確かにあのあたりは明治、大正、昭和という近代史の中で丘陵地の開発と自然環境の変遷を学ぶには非常によい舞台です。ただ、私の専門はもっと時間的スケールが長く、数万〜数百万年単位です。多摩丘陵が丘陵になる前、まだ相模川の川底だった時代がありました。その時代から、徐々に現在の多摩川と相模川に挟まれた丘陵地になるまでの数十万年にわたる地質時代が研究対象です。

廣瀬 ご専門の氷河地質学について教えてください。

澤柿 地球上の大部分が氷に覆われている氷期と、暖かくなって地面が出てくる間氷期を繰り返しているのが今お話しした過去百万年くらいのスケールの地球の変動です。氷には意外と力があって、大地の形も作ってしまいます。スイスアルプスのマッターホルンなどは2万年前にヨーロッパを覆っていた氷が地面を削ってできたものです。氷が大地をどのように削り、削った土砂を運ぶのか、そして氷がなくなった後にどのような景観が残るのかということを総合的に研究するのが氷河地質学です。

廣瀬 大学時代は山岳部に所属されました。

澤柿 高校時代の先生から南極探検家のアムンセンやスコットの話を聞かされ、探検史にのめり込みました。調べていくと日本で冒険や探検をするなら北海道に行くのが良さそうだということ、なかでも北海道大学山岳部には南極観測の草創期の方が在籍していたことを知り、そこに行くしかないと考えました。大学で何を学ぶかというよりも山岳部に入って南極に行きたいと思って北大を目指しました。実際、入ってみると1次隊で犬ぞりの訓練をした経験を持つOBが話を聞かせてくれて感激しました。

廣瀬 南極探検への夢や憧れで大学に行ってみたら、いきなりホンモノが目の前に現れた。そんな違った次元のリアリティーが自分の前に待っていたということですね。

澤柿 まさにその通りです。逆に教える立場になった今、夢や憧れと現実は繋がっていることを伝えたいと思っています。それを意識して、実は私のゼミの名称には「地質学」を入れず、「探検と冒険ゼミ」と名乗っています。

チャンスは意識的に手に入れる

廣瀬 南極探検に話を移しますが、隊を成立させるためのサポート体制はどのようになっているのでしょうか。

澤柿 現在は国家事業となって予算規模も大きくなりましたが、南極探検の歴史は今から110年前の明治時代までさかのぼります。アムンセンとスコットが南極点到達競争をしていた頃、実は秋田県出身の白瀬矗(のぶ)が日本人として初めて南極への到達に成功しました。戦後、国際的な南極調査が計画された際、敗戦国だった日本は参加が難しかったのですが、日本は白瀬矗の時代から南極に行っていたのだと主張したところ、国際社会が「そういう経緯があるなら資格がある」と認めてくれたのです。これを機に統合推進本部ができ、今ではほとんど全ての省庁が入ってオーソライズされた組織になりました。海上自衛隊が保有する砕氷船の「しらせ(二代目)」は世界でも最強レベルの砕氷能力があります。「しらせ」は南極まで3ヶ月かけて往復し、昭和基地で1年間活動するための食糧や燃料や物資を運んでいます。通常時には、観測隊員は飛行機でオーストラリアまで行き、そこで「しらせ」と合流するのですが、去年はコロナ禍だったため観測隊員も日本で乗り込み史上初の無補給航海で日本と南極を往復しました。

廣瀬 今年も引き続きコロナ対策が大変になりそうですね。

澤柿 例年は南極に行く前の夏訓練として、長野県の避暑地で南極観測の意義、組織体制、国際的な南極の位置付けや、領土権凍結・平和利用・国際協調の三本柱からなる南極条約などについて学び、救急救命訓練、消火訓練、体力づくりなどを行い、お酒を飲みながら交流を深めてお互いの気質を知るということをしています。しかし、今年の夏訓練はオンラインで実施したため、出発後に初対面の隊員同士でいきなり共同生活を始めることになります。多少の不安はまだ残っていますが、今年もオーストラリア経由ではなく日本から「しらせ」に同乗して行くことになったため、その間に夏訓練でできなかったことを船の中でやろうと考えています。

廣瀬 隊員の33名はどのような方たちで構成されているのですか。

澤柿 気象、地質、雪氷、生物、海洋などの観測研究者が半分、料理人、医師、通信や建築、環境保全、廃棄物、焼却炉など基地の維持に関わる人が半分という構成ですが、お互いの分野を手伝わなければ隊が回らないのが実態です。33名で70以上の建物がある基地や多数の乗り物等も維持しますので、一人の隊員も欠かせません。また、万が一出発間際に感染者が出たときのためのバックアップクルーとして4名の待機をお願いしています。

廣瀬 これまで3回南極に行かれていますが、今回は越冬隊長ですね。以前とは違いますか。

澤柿 全く違います。隊員の時は隊長の指揮下で気楽な部分もあり、自分の研究分野に集中することができましたが、隊長となると全体の責任者となります。人命や安全を最優先しながら、それぞれの分野のプロフェッショナルでもある隊員の要望を調整する役割もあるので、敢えて鬼にならなくてはいけない時もあります。

廣瀬 先生のように何度も南極へ行ける人は珍しいのでしょうか。

澤柿 私の場合は最初に大学院生で参加でき、運に恵まれていました。南極観測隊は丸1年間以上日本を空けるので、社会人やある年齢になればどうしても職場や家族などの理解が必要で、ちょうどタイミングが合った人がチャンスを手にすることになります。逆に言いますと、私は意識的に南極に行くことを想定して調整しながら生きてきました。法政では在職5年目から在外研究制度がありますので、まさにこれを活用して南極に行かねばとも思っていました。

廣瀬 法政の場合は、最長で2年間行くことができます。他の大学ではなかなかない制度だと思います。澤柿先生にご活用いただき、長年の研究の進展にもつながり、この制度があって本当に良かったと思います。

澤柿 大変感謝しています。

多様性を認める価値観に気づいてほしい

廣瀬 今までのお話を伺い、明確な意志を持ち、実現に向けて調整していくことによって、最初はとても遠くに見えた夢を、いずれ現実のものにすることもできる。そのために行動できる力を学生たちに伝えていただきたいです。

澤柿 やりたいことが見つからない学生は多いようですが、見つけられれば長期的視野が持てるようになります。そのためには本を読み、人とふれ合いながら、とにかくいろいろなものをインプットすることが大事だと教えています。

廣瀬 若い世代は自分の内側ばかり見つめる傾向にあるような気がしますが、内側からはそう簡単に答えは出てこなくて、自分の外側にこそ答があることもしばしばあります。偶然面白いことに出会ったのが自分にとっての大きな転換をもたらしてくれることがある。社会学部は、社会問題や社会運動に関心がある学生が多いと思いますが、自然科学に関しては限定的な知識しかないと思います。学生には今まで知らなかった地平を少しずつでも開いていけるようになれば素晴らしいですね。

澤柿 ちょうど「地平」という言葉が出ましたが、「地平線会議」という探検家や冒険家の団体があり、毎月様々な方をお呼びして話を聞いているのですが、そこにゼミ生を参加させています。40年前の発足時に法政で初めて会議が開かれたのですが、私も法政大学で教える立場となり、縁を感じながらその活動に関わっています。少し前に、ゼミ生の一人がこの会で出会った冒険家に自らアプローチし、北極圏の島を徒歩で回る活動に参加しましたが、これが私にとってのこの活動の一番の成果だと思っています。また一昨年、スリランカを中心とする遺跡調査で法政大学探検部出身の岡村隆さんが「植村直己冒険賞」を授賞されたことも喜ばしいことでした。

廣瀬 それは学生にとっては良い経験になりましたね。今はなかなか外での活動が制限されていて難しい部分もありますね。

澤柿 コロナ禍以前は、週末に「巡検」と言って学生とともに外で実地調査をする活動をしていました。多摩丘陵や多摩川河川敷をよく歩きました。夏休みのゼミ合宿では、法政の施設があった白馬村で北アルプスの様子を見学し、スキーリゾート施設やインバウンドの変遷など、社会学的な視点も含めて学びました。現在は北海道の十勝やニセコに場所を移し、開拓の歴史や失われた自然を調べ、自然と経済の関係を学んでいます。合宿では敢えて現地集合、現地解散にしています。そうすると、フェリーで来たとか、3日間かけて鈍行電車を乗り継いで来たとか、自分なりの体験を積めますし、合宿後に知床などを周って帰る学生もいます。こちらがきっかけを与えると学生たちは自分で考えて行動するようになると感じています。

廣瀬 近年は法政も首都圏出身、自宅通学の学生の比率が上がっていますので、学生たちにとっては貴重な経験ですね。

澤柿 地元の人の生活は東京とは違う論理で動いていることを総体として捉えてほしい、多様性を認める価値観に気づいてほしいと思って指導しています。合宿では廃校を活用した宿泊施設を利用し、現地の方から食料を調達し、地元の方をバーベキューにお招きして、土地の人と触れ合う機会を積極的にもうけるようにしています。

廣瀬 多くの学生にとって南極観測隊の越冬隊長を務められる先生は別世界の人に見えるのではと推察しますが、その距離は学生が思っている程大きくはないことをどのように伝えていますか。

澤柿 例えば越冬隊は33名で構成されていますが、一人一人が各業界を背負って南極観測に参加しています。そういうプロ中のプロとも言える隊員との付き合いの中で感じていることを率直に学生に話すようにしています。どんな職種にしても何かを望めばチャンスはあるし、特定の分野でエキスパートとして認めてもらえれば必ずチャンスが巡ってくるというナマの例を、現実との繋がりの中で話すようにしています。それをロールモデルにして、大学卒業後、自分がどんな風にプロフェッショナルを極められるかを追求してほしいと願っています。

廣瀬 本日はありがとうございました。南極から戻られた際にまたお話を伺うことを楽しみにしています。


法政大学社会学部准教授 澤柿 教伸(さわがき たかのぶ)

1966年富山県生まれ。北海道大学大学院環境科学研究科修了。博士(環境科学)。専門は氷河地質学、自然地理学、第四紀学。北海道大学低温科学研究所研究員、同大学院地球環境科学研究科助手、助教を経て、2015年より法政大学社会学部准教授/国立極地研究所客員准教授。近著に『フィールドに入る(FENICS100万人のフィールドワーカーシリーズ)』(編集/分担執筆、古今書院)など。2014年日本雪氷学会論文賞、2017年北海道地理学会論文賞受賞。学術論文多数。第63次日本南極地域観測隊副隊長兼越冬隊長として、2021年11月に南極に向けて出発予定(2023年3月31日帰国予定)

法政大学総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)

1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より総長。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。