食べることは生きることだ!そして「美味しいは笑顔の源」であり、辛い時も苦しい時も悔しい時も優しく寄り添ってくれる温もりだ!もうすぐ二十歳になる僕は、そのことを実感すると共に、本当に大切な宝物は細やかな日常の中にあると気付いた。
僕は平成六年、予定日より二ヶ月半早く誕生した。母に生命の危機が迫っていて、手術を受けなければならなかったからだ。僕もたくさんの線に繋がれ、小児専門の病院で必死に生きようと頑張った。だが僕は、全身の運動麻痺という障害を抱え生きることになった。人間が成長と共に、自然にできるようになる全ての動作ができないということだ。だから、僕は0歳からずっと、脳や全身の訓練を続けている。その中でも母が最も力を注いだのが、食事とそれに伴う訓練だった。不自由な分、できるだけ多くの美味しい物を食べさせてあげたい。強い体を作りたい。様々な食材を食べられるようになれば、必ず脳や体に変化が出るという信念を持っていたからだ。
幼児期は、初めて食べる物に胸を躍らせる毎日だった。何より食べることが楽しみだった僕は、口の訓練を喜んで熟した。太い鯣をしゃぶったり、ガーゼに包んだ飴をなめたり、フランスパンにつけた蜂蜜を吸ったり、成長に合わせ「美味しい訓練」は今も続けている。
何より僕が一生忘れることのないギフトは、中学三年間の手作り弁当だ。食べ易い工夫とバラエティーに富んだメニューには、愛情がこもっていて感動を隠しきれなかった。毎朝それを楽しみに起床し、勉強・訓練・学校生活など、様々な難局を乗り切ることができた。
全身の運動麻痺という障害を抱え、健常者と変わらない体を作るのは至難の業だ。驚くかもしれないが、現在の僕は一八〇センチ五五キロ、肩幅が広く筋肉質で、水泳選手のような体型だ。おかゆ以外はなんでも食べられる。歯医者での治療もできる。カラオケも歌える。数多くのスポーツも経験し、現在はトレーニングジムや水泳などを続けている。五年以上、熱も出していない。この頑丈な体の根源が、母の手料理であることは言を俟たない。
その料理には母なりの法則がある。まず、七割が野菜で十種類以上使い、その他の食材もできる限り多く使う。メニューは、その日の活動量に合わせて決める。メインは、母が三品提案した中から僕が選ぶ。だから、僕の腹時計も心の時計も夕食が待ちきれない。食べ始めると、思わず赤ちゃんの笑顔になってしまう。全てを支え命を繋いだ「美味しい」は、僕の心のアルバムにずっと綴られている。
料理はまるで宇宙のようだ。あらゆる自然の恵みが、多くの人の努力で様々な食材として生まれる。そして、料理する人によって無限大の感動を呼び、微笑みの逸品として輝く。食べた瞬間、心がカラフルになり笑顔が生まれ、そこにしかない味に五感を奪われる。だから、このときめきと感謝を込めて伝えたい。
「美味しいは幸せの合い言葉」だから!!