「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第5回
キッコーマン賞
「キュウリの糠漬け」
対比地 百合子さん(愛知県・66歳)
読売新聞社賞
「コトコト、ホクホク」
宮島 英紀さん(東京都・52歳)
入賞作品
「アイツの握り鮨」
城田 光男さん(東京都・58歳)
「おむすびの記憶」
関根 徳男さん(栃木県・60歳)
「黒い手」
北村 大次さん(福岡県・41歳)
「ひじきのいなり寿司」
三輪 咲枝さん(千葉県・50歳)
「弟の手料理」
船本 由梨さん(兵庫県・28歳)
「きりたんぽ」
木村 良子さん(栃木県・60歳)
「サンマが旨いぞ」
印南 房吉さん(神奈川県・85歳)
「ぐるぐるケーキ」
三上 真名美さん(東京都・45歳)
「主夫奮闘記」
佐藤 哲也さん(千葉県・42歳)

※年齢は応募時

第5回
入賞作品「きりたんぽ」木村 良子さん(栃木県・60歳)

 三十年前、夫の両親と同居を始めた頃の私は、圧力鍋でご飯を炊くのが下手だった。ご飯が柔らかすぎて、ふっくらと炊けない。退社して帰宅すると、義父が硬い表情で居間に座っている。「ただいま」と、挨拶しても返事をしてくれない。晩の食事中に急に立ち上がって、

「なんだ、この飯は! 飯の味がしねぇ」

 と、ドアをバンと力任せに閉めて、出ていくことが何度かあった。

 見かねた義母が、水量は圧力鍋の内鍋に入れた米から一センチの高さになる、と教えてくれた。内鍋には水量線がない。教えられたとおりの水加減で炊いたが、うまくいかない。米をとぐ度に、自分が情けなくて、涙が出た。一旦、米と水を内鍋に入れ終え、蓋をしようとすると、緊張のせいか、入れた水が多すぎるように思えて減らした。減らすと今度は少なすぎたのではないかと、又、水を足した。これを繰り返しては、途方にくれた。

 ある日、めずらしく祖母から電話があった。「今日は祭りだ。きりたんぽを作ったがら、飛んで帰ってごい」

 義父の怒気を含んだ顔は、もうこりごりだ。帰れるものなら、心底、実家に帰りたかった。

 秋田では、きりたんぽはごちそうだ。祭りには無くてはならないものだ。

 数日後、思いがけず、母から手作りのきりたんぽが届いた。母の作るきりたんぽ鍋は、箸で持てる硬さのきりたんぽを口に入れたとたん、たんぽに染み込んでいる醤油と具の渾然一体となったスープが口いっぱい広がり、たんぽと共に溶けていく。母の味の記憶をたどりながら、悪戦苦闘した。鶏ガラで出汁をとり、椎茸とネギ、せりを入れ、醤油と酒で味を調えた。その中に切ったたんぽを加え、煮崩れないように注意した。鍋から白い湯気が立ちのぼり、きりたんぽのお焦げの香ばしいかおりが、鼻をくすぐった。

 晩酌が終わった義父に、熱々のきりたんぽを出した。義父が丼を持ち上げて言った。

「うまいな!」

 なんと義父の目が細くなり、口元がゆるんでいるではないか。

 不思議なことに、この日が契機となり、義父は口を利いてくれるようになった。あれほど激怒していたご飯も、「まだ下手だな」と、口調も穏やかになった。

 きりたんぽは、義父と私の仲を取りもってくれた。きりたんぽがなかったなら、上手にご飯が炊けるようになるまで、針の筵に座っているような日々を過ごしていただろう。

 男性を射止めるには、胃袋を掴めと言われている。男性だけでなく、家族が仲良く暮らすにも、胃袋を掴むのは大事だと、痛感した。

 毎年暮れに、実家の兄嫁がきりたんぽセットを送ってくれる。その箱を開けるたびに、今は亡き義父の顔がクローズアップする。飯がまずい、といきり立った顔ではなく、きりたんぽがうまい、と相好を崩した顔が。

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