「あなたの 『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテスト

読売新聞社と中央公論新社は、キッコーマンの協賛を得て、「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」コンテストを開催しています。笑顔や優しさ、活力などを与えてくれるあなたの「おいしい記憶」を、私たちに教えてください。
第5回
キッコーマン賞
「キュウリの糠漬け」
対比地 百合子さん(愛知県・66歳)
読売新聞社賞
「コトコト、ホクホク」
宮島 英紀さん(東京都・52歳)
入賞作品
「アイツの握り鮨」
城田 光男さん(東京都・58歳)
「おむすびの記憶」
関根 徳男さん(栃木県・60歳)
「黒い手」
北村 大次さん(福岡県・41歳)
「ひじきのいなり寿司」
三輪 咲枝さん(千葉県・50歳)
「弟の手料理」
船本 由梨さん(兵庫県・28歳)
「きりたんぽ」
木村 良子さん(栃木県・60歳)
「サンマが旨いぞ」
印南 房吉さん(神奈川県・85歳)
「ぐるぐるケーキ」
三上 真名美さん(東京都・45歳)
「主夫奮闘記」
佐藤 哲也さん(千葉県・42歳)

※年齢は応募時

第5回
入賞作品「サンマが旨いぞ」印南 房吉さん(神奈川県・85歳)

 地震・大津波、テレビや新聞に宮古、釜石、気仙沼の名が出るとサンマ漁船で一緒だった船の仲間達の顔と海面を翔んだサンマの大群が次々に浮かんで来る。ずーっと以前、鰯・鯵・鯖・サンマ等の群魚を海から真空で吸い揚げる装置を開発した時の事、陸上のテストではまあまあになったので愈々沖でやろうと装置を積み込み宮古の第六豊丸に乗組んだ。成功すれば画期的新漁法の開発となり金メダル獲得級の期待一杯だった。

 サンマは夜行向光性、多数の集魚灯を順次操って集めたサンマを最後に左舷赤灯をカーッと点灯すると海面がグヮーンと盛り上がった。此れを今迄は大網で絞り掬っていたのを今日は私の出番、絞ったサンマの塊に直径二十㌢の透明ホースをズボリと突っ込む、ワーッと歓声、ホース一杯にサンマが真っ白な柱になって魚槽に躍り込んだ、跳ねる、跳ぶ、サンマの顔、顔、五㌧をアッと吸い揚げた。乗組員一同唖然、大拍手。サテ今度は本命の網無し漁法、海面ビッシリのサンマの層にホースを突っ込んだ、揚がって来たのは水ばかり、覗くとホースの口からサンマが逃げる、ピョンピョン逃げる、サンマだって命が惜しいんだと今頃判った。ガックリ座り込んだ私を皆が口々に

「半分は成功したんだ、大したもんだよ」と慰めてくれたがショックが大きく黙り込んだ。

 朝、泳いでいるサンマを捌いて大皿山盛りに刺身を作ってくれた。刺身といっても三枚に卸したぶつ切りの山である、此れが又旨い。箸で山盛りの刺身にホンの一寸醤油をつける、噛む、コリッと歯応え、パッと拡がる味と香り、絶妙である。

「旨い!こりゃあ旨い!」と刺身ばかりゴッソリ食べていたら船頭(漁労長)が

「おっ、そんなに旨いか」…「ウン、旨い!」

「陸者(オカモン)でこんなにサンマ喰うとは」と妙に感心し以後帰港までの三日間、毎食サンマの刺身を腹一杯食べた。お陰で揚魚装置は使える所に使えばいいんだと割り切れた。

 最後の夕食は豊丸恒例の釜ラーメンだった。此れが又凄い、一㍍はある鉄の平釜の沸騰した湯にサンマのぶつ切りをごっそり入れて醤油で味を調える、此処にインスタントラーメンの塊を次々に入れる、掬う、食べる、サンマの脂が凄く濃い、旨い!入れ替わり立ち代わり人が来る度にラーメンを継ぎ足す、誰もが黙々と次々に食べる、此れがホンとのサンマーメン、山ほどのラーメンが綺麗に消えた。

 下船する私に船頭がホイヨッと

「これ持ってけや、ご苦労さん」と大箱をくれた、重かった。家に帰って開けたらサンマの開きがぎっしり詰まっていた。炙って食べる、一口ごとに太陽の味がした。三陸の人達の人情が沁み込んでいた。

 今、皆、どうしているかな。

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