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縦横無尽な感覚と思考が
フィクションの可能性を拓く

島田 雅彦教授島田 雅彦教授

誰もが自発的に服従する国でいかなる抵抗が可能か

田中 私は島田さんの小説の世界が大変好きで、本日は伺いたいことがたくさんあります。

島田 総長が法政大学のホームページに掲載された「総長から皆さんへ(第15信)」では過分な評価をいただきありがとうございました。あんなにたくさん読んで下さっていたとは思いもよりませんでした。

田中 『悪貨』はすごく面白かったです。

島田 あの作品はドラマ化もされまして、現在韓国でリメイクプロジェクトが進行中です。うまくいけば動画配信サイトでも放送されるかもしれません。

田中 それは楽しみですね。『悪貨』の「悪」が意味するものは「お約束事に反している」ということですよね。読んでいくと、何が悪なのかわからなくなってしまう。

島田 あの作品は貨幣というものを考察する際に、非常に良い補助線になると思っています。そもそも紙幣は単にプリンテッドマターで、価値はお約束事です。通貨が安定している時には誰も疑問に思いませんが、実際にソビエト連邦崩壊とかユーゴスラビア内戦の際には、入国時に両替したお金が1週間後に5分の1になったことがありました。

田中 それは貴重な経験ですね。作品では地域通貨を作るという発想がありました。

島田 地域通貨というものは歴史的にも多くの試みがありましたが、必ず中央銀行や国家から妨害され頓挫するという運命にあるようです。

田中 島田さんの作品の多くは歴史や現実に基づいて書かれていますよね。でも、本当の現実ではないからパラレルワールドになっている。現在、東京新聞に連載中の『パンとサーカス』も興味深く読んでいます。

島田 統治の問題を簡略に言い表しているローマ時代の言葉をタイトルにしましたが、それなりの教養や批判精神を持っている現代の人にはパンとサーカスだけでは足りない。彼らを騙しきれていないというのが現状の政治だと考えます。

田中 パンとサーカスだけでは無理ということですね。

島田 そうです。飴と鞭でも無理です。作品では「誰もが自発的に服従する国でいかなる抵抗が可能なのか」という問いかけを行っているつもりです。

田中 「いかなる抵抗が可能か」というテーマは『悪貨』以来続いています。

島田 不思議なことにアメリカの支配層の上から1%の人は完全にローマ帝国側にシンパシーを抱き、奴隷解放で帝国に戦いを挑んだスパルタクスには否定的なんです。でも、かつてのソビエト連邦ではスパルタクスが英雄です。日本はというと、基本的には今も昔もアメリカや中国といった帝国の辺境として存在しています。独立した政治と独自の魅力的な文化を実現しようとする気はない。そのあたりから自発的な服従が出てきてしまうのではないかと思います。例えば、日本における沖縄は世界における日本に近い。ただ、沖縄は服従せずしっかり抵抗運動をしています。その抵抗を日本全体に置き換えた時に、反帝国という動きになりうるのかを考えてみたのが今回の目論見です。

田中 これまでの作品では、島田さんは抵抗をテロリズムのようには書いていません。一つのイデオロギーの下、皆が突っ走るという書き方は絶対しませんね。

島田 例えば、中国の指導者が恐れているのはキリスト教や他の宗教団体だったりします。清も太平天国の乱で弱体化しましたし、キリスト教もローマ帝国に対する抵抗のグループでした。基本的には宗教は世俗の政治権力に異議を申し立てる最も有効なユニットになります。

田中 日本でも中世は一向宗に対して、近世初期ではキリスト教に対して弾圧がありました。

島田 その通りです。しかし今の日本では宗教による抵抗は考えにくい。そうなると、最後は市民の良心による抵抗ということになる。ある意味「優しいサヨク」が原点なのです。その可能性を問うということです。

田中 私が学生だった頃は70年代で、学生運動の真っただ中でイデオロギー色も強かったのですがお金をめぐる内部対立もありました。そういう要素はどこにでもありますが、どう乗り越えていくのかはすごく難しい。

島田 宗教の教義やイデオロギーが欲望に一定の歯止めをかける面もありますが、教義が意味をなさなくなった時代では、人の行動原理は金と欲望になってしまう。今の政治家を見ていると一目瞭然です。彼らにあるのは単なる権力欲と利権だけですよね。こちら側が倫理や思想をベースに不法を暴いたとしても、反論できないけれども対話を成り立たせない戦略を取りますからね。

自由自在に時空間を移動する世界を描く

田中 『徒然王子』では格差時代の到来が書かれていました。

島田 連載時に年越し派遣村が注目された時期と重なっていたこともあります。金融資本主義が進行し全世界的にそういう傾向が顕著になっていました。

田中 小説を構想する時は常に現実の中に種があって、その先を予想しながらパラレルワールドのような世界を構成していくのですか。

島田 現実は一見支配者の思惑に従って設計されているように見えますが、実際は不確定要素が多い綱渡りのような状態で、その都度どう転ぶかわからないという偶然性に満ちていると思います。ご指摘の通り、私の頭の中のかなりのパーセンテージをパラレルワールドというものが占めていますが、パラレルワールドのとらえ方としては平行で交わらないというよりは、至る所に口を開けているというように考えています。

田中 なるほど。だからこそ今ある世界がこうなったら素晴らしいという世界は書かれていない。ディストピアになっている。

島田 ディストピアに生きているという現実認識からの逃げ場をどうにか探すという感覚です。ちょっと複雑になりますが、現実とパラレルワールドは完全に乖離しているわけではなく、相互干渉しています。一般的に私たちは三次元に存在すると言われていますが、空間は一つではない。現実の空間は複合的に組み合わさっていると考えると、実は私たちは既に四次元の空間を生きていることになる。これに想念やインターネットのような仮想空間を加えると、もっと多元的な複合空間になるわけです。さらにここに時間の問題を入れると五次元になる。過去や未来までも想像すると、現在時を超えるわけです。

田中 確かに、作品にはあらゆる歴史的過去が出現します。

島田 その辺の縦横の頭の使い方はフィクションライターには不可欠な部分だと思っています。

田中 我々と関係がない物語だとしたら興味を持ちにくいですが、島田さんの作品には過去のこのことと関係していると気づける物語性がある。こうした部分はご自身で日夜探検しながら豊かにしているのでしょうね。

島田 努力しているわけではありません。私はO型の魚座なのですが、占いでは「現実に生きていない」と分析されています(笑)

田中 小説のために物語に触れているわけではなく、しっかり遊んでいるのですね(笑)

島田 最近の映画でいうと、クリストファー・ノーランが多元的宇宙論に基づいて「インターステラー」や「テネット」のように、現在・過去・未来が全部同時に存在しているという世界を描いていますが、あれは脳の中で起こっていることと同じだなと感じました。今哲学のことを考えていたと思ったら、ふとためいきをついた瞬間に今日の夕食のことを考えていたり、思考は並列的に展開されるものです。

田中 私もこの頃よく時間について考えます。一つにはコロナ禍で大学における時間の秩序に疑問符がついてしまったことが大きい。もう一つは最近、石牟礼道子論を執筆した際に感じたことに関連します。彼女は頭の中で古代の人のような時間の飛び方をするのです。実際、彼女自身も言っていますが、数や年代順にものを考えることができないらしいのです。常に頭がいろんな年代に飛んでいて、子どもの頃の記憶が突然出てきて話し始めたりする。ただ私も書いているうちに、時間に解き放たれるとそうなることに気づきました。またそれだけではなく、私たちは時間を一本の線のようなものだと勘違いし、右肩上がりにならなければいけないという考え方に固執していることも気づきました。

島田 おっしゃる通りです。自由自在に時空間を移動する感覚は、通常のリニアな時間軸に従って生きる人の感覚からすると狂っているという風に思われてしまう。

田中 しかし江戸時代を見ると、リニアな時間感覚なんて全然ありませんでした。

島田 キリスト教や商業が入る前はそうでしょうね。特に商いではいつまでに仕事ができて、いくらかかるかを計算するために時間という尺度が重要ですから。

田中 やはりお金と時間は密接な関係にあるのでしょうね。江戸時代の時間感覚は歌舞伎なんかが典型的ですが、助六が実は曽我五郎だったりと、500年位の時間を簡単に超えてしまう。見ている人も歴史的な時間の順番なんかどうでもいいと思って平然と見ているのも面白い。

島田 絵巻もそうですよね。普通は同一空間に同じ人がいないという西欧の感覚と違って、いうなれば一つの画面の中に時間も入っている。この間亡くなった古井由吉さんの晩年の小説も一見、現在時制で書かれている身辺雑記なのですが、時空が自由自在に飛んでいく。そして、時系列で整理していようともしていない。

田中 島田さんの小説もそういうところありますよね。かなり制御されているのでしょうけれど。

島田 読者が混乱しないようサービスしていますが、基本的にはいつも飛んでいます。

田中 ということは、読者サービスをしなくなればもっと自由になれる。

島田 その世界観を共有してくれる人が増えればもっと書きやすくなるかもしれませんね。

現実を作品に盛り込むことで"記録"する

田中 『スノードロップ』には驚かされました。この人を主人公にするのか、と。

島田 ついやってしまいました。20年前に3部作を書きましたが、今回の作品を入れて4部作となりました。三島由起夫の『春の雪』が好きで、彼がそれを書いた歳になったので書いてみたらやめられなくなりました。

田中 作品から日本女性へのシンパシーを感じました。ある種の抵抗の軸を持った主人公が魅力的ですし、別の女性と組んでインターネット上で別の自分を作るという展開も面白い。

島田 作品に出てくる「ダークネット」のようなものは実際あります。最近では内閣情報調査室が政権に対する書き込みをチェックして頻繁に削除請求を繰り返しています。実は、こうして現実を作品に盛り込むというのは記録という意味合いもあるのです。

田中 事実だけでは記録にならないですものね。

島田 生きている人の営みを書いておかないと10年も経てば忘れられてしまいます。

田中 コロナ禍を予言したと話題の『カタストロフ・マニア』執筆時には何を感じていましたか。

島田 執筆を開始したのは2016年です。既にSARSやMERSなどの感染症が起こっていましたし、ウイルスの蔓延が人間の思考を変えるというテーマは古代から文学に反映されてきましたので、私も今後のパンデミックの有り様を考察してみようと考えました。ウイルスに関しては陰謀説も流布していますが、実はそういうことは資本の原理で行われていると考えることもできる。
先日機会があってiPS細胞の山中伸弥先生とお会いしました。iPS細胞は医薬品の開発にも応用できるそうですが、山中先生は製薬大手からのオファーを断っているそうです。「医薬品は平等に安く配分されなくてはいけない」という彼の信念とオファーが合わないというのがその理由です。医療における不平等を資本の原理が進めてしまうことを危惧する先生の志に政府も共鳴してもっと補助金を出せばいいのに、逆に政府が製薬会社に近づこうとしている歪んだ構造があるようにも見える。

田中 それを現実として伝えようとすると邪魔されるかもしれませんが、フィクションの形でなら可能かもしれない。

島田 内部告発すると妨害され、社会的信用を失わされ、泣き寝入りすることになる。泣き寝入りしない人は物書きになっています。その意味で物書きはあらゆる職業のターミナルになりえます。今後は文学プロパーだけではなく多彩な業界から小説に参入する人が増えるはずです。

田中 様々な隠された情報が表に出現する、スリリングな世界になりますね。話は変わりますが、私は島田さんが机の前で書いている姿がどうしても想像できないのですが、毎日どんな風に執筆されているのですか。

島田 20世紀までは手書きでした。岩波書店の原稿用紙に書いていたのですが、もうその原稿用紙は刷らないと言われ、仕方なくパソコンを使うようになりました。マックユーザーになってから7年位になります。開けばすぐ電源は入るので通勤電車内でも座れたら書くこともあります。見晴らしの良い研究室もありますが、基本は自宅です。ちょっとずつでもコンスタンスに書くと効率的ですね。休むと取り戻すのに時間がかかりますから。

田中 わかります。私も時間を見つけて立って書いているので、結果的に細切れになっています。現在、学生を教えていて感じることはありますか。

島田 文法やアルゴリズムなどロゴスに還元できる技術は教えやすいですが、クリエイティブに脳を使う方法を教えるのは難しい。大学院では創作のクラスを担当していますが、そこではやや精神分析的なゆるやかな対話を通して、学生の発語のメカニズムを分析し、その人に合った書き方を助言しています。

田中 文章を書かせますか。

島田 創作の授業では毎回書かせて発表させます。

田中 そういう体験は大事ですね。

島田 学問にショートカットはありません。寄り道が教養を形成する。「試験の準備にはどんな勉強をしたらいいですか」という質問には「とにかく瞑想しろ」と答えています(笑)

田中 オンライン授業はいかがですか。

島田 できないことはないですが、やはり面と向かっての対話が重要です。オンラインだとその人の精神状態が隠せてしまいますからね。

田中 私も同じように感じました。私たちは対面でものすごく多くの情報を受け取っているのですね。ほんのちょっとした表情の変化や手の動かし方からいろいろなことがわかる。画面ではほんの一面しか見えません。

島田 オンラインではなく、古代ギリシャみたいに校舎の外でやってもいいんじゃないでしょうか。

田中 今度、市ケ谷キャンパスに大きな広場ができますから、そこで突然講義を始めたりしてね(笑)さすが、今までにない状況を生み出す小説家です。今日はとても楽しいお話を伺い、ありがとうございました。


法政大学国際文化学部教授・小説家 島田 雅彦(しまだ まさひこ)

1961年東京都生まれ。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。小説家。法政大学国際文化学部教授。1983年、大学在学中に『海燕』掲載の『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビューし、芥川賞候補作となる。1984年『夢遊王国のための音楽』で野間文芸新人賞、1992年『彼岸先生』で泉鏡花文学賞、2006年『退廃姉妹』で伊藤整文学賞、2008年『カオスの娘ーシャーマン探偵ナルコ』で芸術選奨文部科学大臣賞、2016年『虚人の星』で毎日出版文化賞、2020年『君が異端だった頃』で読売文学賞受賞。その他著書多数。近著に『スノードロップ』(新潮社/2020年4月発売)。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)

1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒業。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。


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