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政策的な思考を持つことで看護の現場を変えたい ―大学院での学びによって進むべき道が見えた

野村 陽子さん野村 陽子さん

現場を経験した後、看護技官として27年間勤務

廣瀬 本日は名寄市立大学学長の野村陽子先生をお迎えしました。野村先生は助産師、看護師、保健師として10年間現場を経験した後に、本学の社会人大学院で政治学を学ばれ修士号、博士号を取得されました。今日はなぜ政治学を学ぼうと思われたのか、また北海道の地方都市の公立大学を預かる立場としてどのように取り組まれているのかなどを伺えればと思います。ではさっそくですが、大学院で学ばれるまでの経緯についてお聞かせください。

野村 高校卒業後、看護の道へ進むために聖路加看護大学(現聖路加国際大学)に入学し、助産師と保健師、看護師の資格を取りました。卒業後は助産師から始めて、次に聖路加病院で看護師、続いて保健師として新宿区の保健所に勤務し、計10年ほど看護の現場を経験しました。そのあと神経科学総合研究所で2年間研究員として勤務していたときに厚生労働省(以下、厚労省)に移り、結局、厚労省で27年間も勤務しました。

廣瀬 厚労省での最終のポジションは看護課長ですよね。看護師の資格を持った厚労省の職員として、その専門性を活かしてどのような仕事をされてきたのか具体的にご紹介いただけますか。

野村 最初は保健指導室に配属されました。そこでは研修を行いながら、上司とともに保健師が社会のなかでどういう役割を担っていくのかということを日々考えて、方向性を示していきました。その後は看護と保健の分野を行ったり来たりしていたのですが、大きく分けて保健指導室、医療課、看護課に所属。看護課では人事も担当し、私が入省した頃は11人しかいなかった看護技官を30人まで増やしました。今はさらに増えて60人ほどが活躍していると聞きます。厚労省のなかで看護技官が活躍できる場所が広がっているということです。

廣瀬 公務員の定員は増えていないのに、看護技官が大きく増えているというのは驚きです。

野村 看護技官はどこにいっても活躍の場があるため、「もう1人欲しい」「うちも欲しい」となって、どんどん増えていきました。看護の仕事というのはとても幅が広いのだと、厚労省で働いていくなかで実感しました。

これまでの経験を整理するために政治学の分野へ

廣瀬 大学院でさらに専門性を高めようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。

野村 現場で10年、行政で30年弱。私の経歴は看護職としてはとても変わっていると思います。現場で経験を積み上げていくのが看護職の通常ルートですから。だからこそ、この珍しい経験を看護の世界の方々に伝えたいと思いました。ただし、伝えるのであれば働いたという経験だけでは不十分。それならば大学院でこれまでの経験を一度整理してみようと考え、厚労省から通える大学を探して、法政大学の大学院に行きつきました。

廣瀬 そこでまったく違う分野の「政治学」を選ばれたのが興味深いです。政府の組織のなかで、どのような仕組みを作れば看護の現場を変えられるのか、そこを考えるのに「政治学」がふさわしかったのでしょうか。

野村 まさにその通りです。自分がこれまでやってきたことを整理できる分野はどこだろうと探したところ、政治学が1番しっくりくると思いました。もちろん葛藤はありました。看護学しか知らない私が修士に行ってもいいのかと。ただ挑戦して大正解。自分の頭の中で看護学と政治学を融合させることができて、次の課題が見えてきました。

廣瀬 それは興味がありますね。どのようなことが見えてきたのでしょうか?

野村 看護教育の中で、政策的な思考を持った看護師を育てなくてはいけないと考えるようになりました。看護政策論は修士で学ぶのですが、修士だとどうしても学ぶ人数が少なくなってしまうので、やはり学部の基礎的な看護教育のなかに科目として入れたいのです。そこで現在、研究費を取って看護政策を学ぶプログラムをどう作っていったらいいかを研究中です。これを実現しないと看護をとりまく環境は良くならないと思っています。

廣瀬 次の課題が見えてきたことも1つだと思いますが、大学院で学んで良かったと思う点についてお聞かせください。

野村 たくさんありますが一言でいえば"霧が晴れた"ということでしょうか。仕事をしているとどれだけ長い間一生懸命に取り組んだとしても、なかなか全体が見えないものです。しかし大学院で系統的に学んだことで、見えなかった全体像が目の前に現れました。

廣瀬 なるほど。自分が立っている場所の周辺だけではなく、全体が見渡せるようになったわけですね。まるで地図を手にしたように。

野村 そうなんです! 地図を手にしたおかげで自分が立っている場所がよく分かるし、次に進むべき道も見えてきました。仕事をしていて不安に思う時期が訪れたら、それは勉強するタイミングなのではないかと思います。

名寄市立大学の特長は「地域連携」

廣瀬 名寄市立大学に学長として赴任されたのは2020年ですよね。ちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が始まった頃ですが、この2年半はどのように過ごされてきたのでしょうか。

野村 まさかこんなことになるとは夢にも思わず着任しました。コロナ禍という異常な状況に置かれ、大学の運営にも慣れていなかったため、ものすごく苦労しました。ただ私自身が公衆衛生を専門としていましたから、ある程度先が見えたのには助けられました。

廣瀬 看護はカリキュラムの中で実習が必須となっています。しかし、2020年の春はもう人が集まること自体が困難で、その辺りは相当ご苦労されたと察します。

野村 実習先は病院ですから、当然実習生を受け入れられません。ですから看護に関してはある意味、パッと諦めがつきました。ただうちの大学は栄養学科も、社会福祉学科も、社会保育学科もそれぞれ実習があるため、そちらの方は「なんとかならないか」とギリギリまで模索していましたね。

廣瀬 コロナ禍の大学運営という意味では、私も2020年は教学担当の副学長でしたから、どうやって授業を成立させるかには非常に頭を悩ませました。とくに理系は実験があるので大変で。先生方が相当手間をかけて実験動画を作っていました。

野村 うちも栄養学科は実験があるのでそのご苦労はよくわかります。みなさんの協力もありコロナ禍でもなんとか大学を運営してきましたが、実習が抜けたままで国家資格を取ることに対する不安は残っています。

廣瀬 未知のウイルスであった新型コロナウイルスについては、テレビをつけると、いろいろな立場の人が情報を発信していました。そういうなかで学生たちに、飛び交う情報に対しての受け止め方を指導されたりしたのでしょうか。

野村 それは意識していました。やはり学生は発展途上にいる人たちなので学ぶ材料はしっかりと与えなければいけません。そこで本学の健康サポートセンターが情報を整理して、正しい情報を分かりやすい形で出していました。たとえば新型コロナウイルスの患者が出た場合も非難しないとか、人権を大事にするということも含めて。それでなくとも看護や福祉、保育の人たちは、今後またこういう事態が起きたときに現場の中心にいる存在です。その意識を持ってこの事態を捉えてくださいというアナウンスは、可能な限りやっていました。

廣瀬 名寄市立大学の1学年200人という体制は、比較的コンパクトに感じますが、その分、地域が連携して人との関わりが非常に豊かだと伺いました。

野村 1学年200人ですが、4学科あるので1クラス40人から50人。ちょうど昔の小学校くらいの人数で学んでいます。特定の人とだけ仲良くなるのではなく、全体で仲間意識が持てるちょうどいい人数だと思っています。私から見てもすごくうらやましい環境です。地域との連携教育には非常に力を入れていて、「地域と協働」という科目もあるほど。学生は地域の人のところへ行って楽しく学んでいます。地域との連携はまさにうちの大学の"売り"ですね。

廣瀬 学科間の連携には取り組まれていますか?

野村 基礎演習では4学科の学生が一緒に1年間学んでいるので、そのなかで他の学科の友人ができれば、卒業後に自然と他職種間連携はできるのかなと思っています。

廣瀬 基礎ゼミが学科間に必ずまたがるようにしているとパンフレットに書いていたのを見て、これはおもしろいと思いました。法政大学でも別の学部のゼミが一緒に活動する機会を積極的につくろうと、若干の補助金をつけているのですがまだ浸透度は低いです。一部、デザイン系とマーケティング系の学部が合同でゼミを行ったり、建築系と地方自治系の学部が街づくりについて一緒にフィールドワークをしたりというケースが出てきているので今後に期待しています。

野村 動き出したら絶対におもしろいと思います。そのためには、まずは教員同士のつながりですよね。

廣瀬 そうです。教員同士が知り合いになって、「一緒にやったらおもしろそうだね」と動き始めるパターンが多いようです。

野村 これは札幌市立大学の先生に伺った話なのですが、札幌市立大学は修士が看護学研究科とデザイン研究科なんです。違う分野なので最初は心配していたけれど、学生同士は一緒に勉強するのがまったく平気だそうで、「違うからこそおもしろい」とどんどん活動の輪が広がっていくと聞きました。むしろ戸惑ったのは教員の方だったそうです。やはり若い学生はすごく柔軟です。その感性のままのびのび学ばせてあげるのが大事だと思います。法政大学のような大きい大学と、うちのような小さい大学では、強みも違うはず。学生のために、それぞれの"大学らしい"取り組みを実践していけるといいですね。

廣瀬 本当にその通りだと思います。法政大学も名寄市のお隣の下川町とSDGs関連で連携をしていますので、これからも協力し合えるところは協力しながら、お互いに大学教育を盛り上げていきましょう。本日はありがとうございました。


名寄市立大学 学長 野村 陽子(のむら ようこ)

神奈川県出身。2012年3月法政大学大学院政治学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。専門分野は看護政策、地域看護学、看護管理学。助産師、保健師、看護師の免許を持つ。
国立病院医療センター、新宿区保健所、(財)東京都神経科学総合研究所を経て、1984年厚生省入省。健康政策局計画課、看護課、保険局医療課を経て、保健医療局地域保健・健康増進栄養課保健指導室長、医政局看護課長を歴任。退官後、京都橘大学教授、岩手医科大学教授を経て、2020年4月名寄市立大学学長に就任。
著書に『看護制度と政策』(法政大学出版局)、『保健医療福祉行政論』(共編著、メヂカルフレンド社)など。

法政大学総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)

1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より総長。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。


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