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キャンパスに自分の「居場所」をつくる。
空間設計から考えるwithコロナ時代の大学改革

小堀 哲夫さん小堀 哲夫さん

キャンパスのなかに「居場所」つくることで対話が生まれる

田中 コロナ禍のなかで私たちはいま、従来の大学の在り方を問い直し、今後どう変わっていくべきかを考え始めています。そんな折、小堀さんが設計を担当された、梅光学院大学の新校舎「The Learning Station CROSSLIGHT」について知り、大変関心を持っています。

小堀 大学とは「地域の財産」と考えています。単体で成立しているわけではなく、そこに通う学生、地域住民とのかかわりなど、様々な要素を併せ持っています。そのため、地域づくりの一環として、大学の在り方を検討する必要があります。「CROSSLIGHT」の設計においては、これまでのように一つの場所に集い学ぶのではなく、分散して動きながら学ぶ。閉じられたキャンパスから開かれたキャンパスへ。つまり「教育を開く」ことを意識しました。具体的には、日本の「間」に近い空間をイメージしています。間の連続性が日本家屋の特徴で、間さえあれば何でもできる、何にでも使える。間の連続例を意識していたわけです。学生はそうした間の連続を突っ切って移動する。廊下を移動するだけだと、何の経験もありませんから。

田中 私は2015年にデンマークのロスキレ大学を訪れました。そこにはキッチンやフリースペースがある「ハウス」と呼ばれる学習拠点があり、学生たちが生活するように過ごしていました。1ハウスにつき約60人の学生が、数名の教員とともに、言葉でのやり取りだけではなく、創作活動を行ったり、フィールドワークに出かけたりする様子を見て、これこそ理想の大学の姿だと感じたのですが、27,000人の学生を擁する法政では到底無理と諦めていました。ところが、小堀さんのお話を伺い、法政でもできるのではないかと思うようになりました。

小堀 大学とは学生にとって一つの居場所であり、家です。「ハウス」という概念はまさに家そのもの。家とは自由空間であり、絶対的な安心感がある場所です。安心できる学びの場だからこそ、自由にお互いを批評しあえるのです。それが、自分の居場所ではないと感じてしまったら、自分への批評が憎しみに変わってしまうでしょう。つながりを持った共同体だからこそ、学生同士の活発な議論が可能になるのです。それが真の教育ではないでしょうか。

田中 多摩キャンパスを学生たちの居場所にしたいと、かねてから考えてきましたが、学生たちは授業が終われば帰ってしまう。その理由を私たちは、周辺にアルバイト先がないとか、駅から遠く都心から離れているからだと考えてきました。しかし、きちんと居場所をつくっていなかったからではないかと思い始めています。

小堀 街には、「あそこに行ったら、自分は天才になれるかも!」「もしかしたらすごい人と出会えるかも!」とその気にさせられる場所がたくさん存在します。そんなふうに「場のキャラクター」がキャンパスにもちりばめられていることが大切です。

田中 小堀さんがいらっしゃって下さったことで、法政大学は外からは見えていない、と分かりました。これまで、大学にとって何が大切か、言葉を尽くして説明してきたつもりですが、見えていたのは看板だけで、リアルな姿が見えていなかったと気付くことができました。

創造的なジャンプができる場所づくりのサポートが建築家の役割

田中 大学改革を考える際まず取り組むのは、カリキュラム改革になりがちです。もちろん多様な学びの選択肢があるのは良いことですが、本当は、こうしたカリキュラムと、大学という場でいかに過ごし、学ぶかということが、密接な関係で繋がっていることが大切なのですね。

小堀 それらが互いに影響を及ぼしながら、変化していくことが大切だと思っています。同志社女子大学現代こども学科の上田信行名誉教授とプロジェクトをご一緒したことがあるのですが、「教育で人は変わらない。場が人を変える」と話されていました。建築空間やデザイン、ランドスケープまで含めた場を通して、教育をサポートしていくという考えが大事であるという考えなのですが、私も賛同しています。

田中 教室といえば、みんなが同じ方向を向いて、先生の話を聞くというイメージをずっと持たれてきました。でも、江戸時代の寺子屋では、決してそうではありませんでした。自分の机を携えて入学し、好きな場所に机を置き、自分のレベルに合わせて学ぶ。一方で教師は一人ひとりを見ています。そして、それぞれにふさわしい教科書を使う。稽古し続け、それで読み書きが覚えられれば良かったのでしょう。

小堀 建物の設計やデザインを依頼する際、建築家からそれらを「提供してもらう」という感覚を持っている方が多いと思いますが、実はそうではないのです。そこで暮らしたり、働いたり、学んだりする当事者こそが、デザインの主体にならなければなりません。そのためには当事者と建築家がパートナーになる必要があります。そうすることで自分事化でき、完成した後はその建物に愛着が湧いてきます。また、建築家の仕事は、建物の形や色、デザインなどを設計することだと思われがちですが、実際私たちがデザインしているのはその中身で、人々の生活や活動そのものです。だから、僕はどんなオフィスや研究室の設計を行う際も、そこで働いている人や学ぶ人をデザインの過程に巻き込みます。創造的な環境をデザインする際に大切なのは、「ジャンプ」するマインドです。イノベーティブなジャンプをするために必要なことが3つあり、まずは劇的かつ創造的な環境の変化。これはまさに建築が果たすべき役割です。そして、個人の経験。例えば、失恋や死別、感動やショックなどです。最後に、人との出会いです。ですから、私たちの役割は、皆さんがジャンプできるような環境づくりをサポートすることなのです。

空間設計を考えるうえで多大な影響を与えてくれた法政大学

田中 小堀さんは法政大学の学部時代、建築学科の陣内秀信先生の研究室で学ばれていましたが、建築史が専門の「陣内研」を選んだのはなぜですか?

小堀 実は、設計系のゼミか歴史系のゼミか迷っていたのですが、映画「インディ・ジョーンズ」のように、挑戦して、冒険して、それを題材にアクティブに授業を行っているように思えた陣内先生に興味を持ちました。実際もアクティブにフィールドサーベイを通して緻密な図面化と類型化によって都市や建築の構造化を行なっていました。大学院の時、「騙されたと思って、海外調査に行ってみない?」と海外のフィールドサーベイに行くことを勧められ、インドネシアの「ジャカルタ」の調査を経て、南イタリアの「レッチェ」の調査や中国の「北京」の調査に参加させていただきました。その時から様々な文化や建築を体験できるフィールドワークの面白さにはまり、今でもいろいろな国に行って建築や都市を調査し続けるきっかけをつくっていただきました。特にイタリアに行って気付いたことは、そこに暮らす人たちが「シビックプライド」を持っているということ。自分の街を愛していて、みんなが自分の街について語ってくれるのです。そういう社会は素晴らしいと思いました。自分の地域を愛していける文化を設計者として復活したいと強く思いました。

田中 日本では、経済発展している都会の方が面白いと考えがちで、地方の空洞化が始まっています。フィールドワークなどで地域に入っていくと、面白いところがまだまだあることに気付くことができるのですが、自分の地元の魅力にすら気付けていない学生も多いです。

小堀 いま法政大学で講義を持っていますが、自分の家から半径100メートルくらいの場所について、どのくらい知っているのかという議論から始めるようにしています。まずはそのエリアの住民を幸せにする計画を考えてみようと。新型コロナウイルスの影響で遠くには行きづらい時期だからこそ、身近なところを見直すことで、いろいろなことが発見できるでしょう。それが一つのきっかけになり、地域とつながる。このように足元をしっかり見ることを学生に推奨しています。

田中 小堀さんが大学の空間を考えるうえで、どうやって教師と学生が関わるか、大学と地域と関わるかということと、空間設計が大きく関連があるという視点を持たれているのは、陣内研の影響も大きいようですね。

複数キャンパスは、分散化してネットワーク化する時代の強みに

小堀 広場や道などのパブリックとプライベートの場所との間には、「どちらのものでもない」というゾーン、つまり無縁地帯のような場所を設けることで、人々は流動的に行き来できるようになります。この境界のデザインがとても大切なのです。例えば大学であれば、学生はもちろん地域の人々が行き来する低層階の境界デザインを考えることが重要です。

田中 江戸時代から近代に移行した際、ずいぶんと境界となる部分、例えば入会地や縁側といったものが消えていきました。教育現場も同じで、私塾はいろいろな人が出入りし、いつ卒業してもいい、誰が来てもいい。それが江戸時代的オープンネスの本来の在り方でした。

小堀 例えば、ここ多摩キャンパスにも複数の学生食堂がありますが、「食堂」と聞くと食べるという目的以外では利用できないと思われがちです。それであれば名前を変えればいいのです。境界のデザインという視点で考えていくと、それだけで人間の感性が変わるし、人が集まってきます。

田中 この数カ月、コロナ禍で今までの大学のやり方が通用しなくなり、法政大学に限らず、多くの大学がオンライン授業を経験してきました。反転授業という考えがずいぶん前から議論されてきましたが、待ったなしでそれを考える必要に迫られる中で、学びの空間をどうするかという点についても、例えば大学設置基準で定められた概念で良いのかということまで含め、考え始めなければなりません。

小堀 コロナを機に、働き方、住み方、さらに地域が見直され始めています。場所もつながり方も選択できる。それが世界とつながる新たな価値観になり始めています。これまで都心回帰が叫ばれていましたが、これからの時代はむしろ、分散化してネットワーク化することが可能となります。法政大学のように都心にも郊外にもキャンパスがあることは強みとなるでしょう。

田中 このような変化の時期に小堀さんが法政大学に来て下さったのはまさに運命でした。これからもよろしくお願いします。


建築家 小堀 哲夫(こぼり てつお)

1971年岐阜県生まれ。1997年法政大学大学院工学研究科建設工学専攻修士課程修了。久米設計を経て、2008年小堀哲夫建築設計事務所設立。名古屋工業大学非常勤講師を務め、2020年から法政大学デザイン工学部建築学科教授、梅光学院大学客員教授。2017年度には、建築家に与えられる二大建築賞の日本建築学会賞とJIA日本建築大賞をダブル受賞。2019年度には、「NICCA INNOVATION CENTER」で二度目のJIA日本建築大賞を受賞した。そのほかBCS賞、Dedalo Minosse International Prize 2019 Special Prize(Italy)、The Architecture MasterPrize 2019 (U.S.A.)、 International Architecture Awards 2019 (U.S.A.)など受賞多数。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)

1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒業。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。


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