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人生や社会をもっと自由にする
"ジェンダーリテラシー"のすすめ

ダイアナ・コー教授ダイアナ・コー教授

コロナ禍で気づいた学生たちの頼もしさ

田中 コロナ禍のなか、海外交流も多いグローバル教養学部はどのような状況ですか。

コー 学生は大変意欲的で対面授業と同じか、それ以上にオンライン授業に真剣に取り組んでいます。デジタル機器を使いこなす学生も多く、逆に教員が教えられているようです。また、2〜3年生が1年生の状況を心配し、主体的に何かできないかとアイデアを出したり、相談役になってくれたりしていて本当に頼もしいです。

田中 そうしたことは対面授業では気づかなかった面ですね。

コー 私もナレーション付きの映像などの準備を通じて、従来の授業展開を見直す良い機会となっています。

田中 プラスに転ずる面も多そうですね。一方、私はやはりフィールドワークや留学などの体験が大事だと改めて感じています。知っている者同士はオンラインでもいいのですが、大学という未知との出会い「場」を学生に提供できず残念です。まだ入国できない留学生もいますよね。

コー はい。オンライン授業は中国では一部のオンラインサービスが使えないですし、欧米では時差の問題もありますし大変です。

田中 コー先生は香港ご出身ですよね。

コー 1960年に香港で生まれました。

田中 先生がいらした頃の香港はどんな雰囲気でしたか。

コー 日本の経済成長期と似ていますが、政治と深くかかわる雰囲気はありませんでした。我々の親世代は移民が多く、穏やかに生活することを求めていたと言われています。実際に私の父も戦時中は大学生で苦労したので、戦後は安定志向になりがちだったのかもしれません。

田中 学校教育はいかがでしたか。

コー 私は中高一貫のアメリカミッション系の学校に通っていたため、中国史と国語以外の授業は英語で行われ、欧米の民主主義制度については習いました。カリキュラムはイギリスのもので、「インドへの道」などの植民地文学も含まれていましたが、香港の植民地制度については何も学びませんでした。

田中 公用語は英語ですか。

コー はい、ずっと英語で、広東語も公用語になったのは70年代後半のことです。当時、政府のトップも行政長官もイギリス人でした。初めて選挙が行われたのは私が修士課程の時で、私が生涯で投票したのはその時だけです。

田中 選挙はイギリスの植民地時代からあったのですか。

コー はい。それも中国への返還が近づいていた時からです。私のアイデンティティーはイギリスでも中国でもなく、また香港人という認識もありませんでした。今の若者世代は、自分たちは香港を愛する香港人であるというアイデンティティーがあるという意味で、私たちの世代とは意識が変わっていると思います。
97年の返還後に香港に帰ったとき、以前よりも英語が使われていることに驚きました。返還後も英語を話す人の社会的地位が高かったからでしょう。以前イギリス人が住んでいた高級住宅地やメンバー制の倶楽部には、かわりに香港の富裕層が入っていました。富裕層は豊富な資金があり、いざとなったら外国で暮らせばいいという考えがありました。しかし香港は経済格差が激しく、富裕層ではない若い世代には香港しかない。だからこそ、国家安全法によって自由が制限されていることに抵抗を感じているのでしょう。

欧米中心主義からの脱却を

田中 コー先生も留学をされましたね。

コー 香港大学修士課程終了後、スタンフォードに行きました。

田中 大学からジェンダーを専門に学ばれたのですか。

コー いいえ。父がファッションの輸出関連会社を経営していたので、私も手伝いたいと思い、香港大学でビジネスを学ぶつもりでしたが、残念ながら私には向いていないことに気づきました。どうしようかと思っていた時に社会学の授業を受け、「これだ!」と思えたため、この道に進むことを決意。その後修士に入りましたが、当時はジェンダーを専門とする教員はいなかったので、階級論を通じてジェンダーを学びました。
博士課程での学び先を検討していた際、イギリスのある奨学金の面接で「女性学を学びたい」と言ったところ、「人類の半分にしか関わらない分野の研究をするのか」と聞かれました。私は「今までの学問も、人類の半分である男性しかみてこなかったので、同じですよ」と答えたんです。結果は補欠でしたが、最終的にはアメリカのスタンフォードで奨学金をもらえました。アメリカでは60年代から女性学があり、スタンフォードでは80年代にフェミニスト・スタディーズ・プログラムが立ち上がりました。ただ、私が所属していた社会学研究科は遅れており、ジェンダーの専門家がいませんでした。そこでジェンダーの研究を続けるなかで、「女性解放運動は欧米で始まり、アジア諸国はそれを輸入しただけだ」と思われていると感じました。でも、私自身はそうは思わなかった。中国や日本の歴史を見てもその国ならではの文化があり、女性解放運動も欧米と同じものではないと考えていたのです。その頃から私自身のジェンダー論は欧米中心から離れなくてはならないと考えるようになりましたが、博士論文の段階ではどうすればいいのかわかりませんでした。最近になって、今まで学んだ欧米の概念を一度クリティカルに見なおし、アジアならではの理論を考える必要があると思うようになりました。

田中 日本のフェミニズム運動は平塚らいてうから始まりましたが、そこには仏教が関わっています。らいてうは座禅に通う中で人間の才能について考え始めました。彼女は大学を出たエリート層ではありましたが、欧米寄りに物事を考えることなく、座禅を入口にして男と女という概念は仏教には存在しないことに気づいたわけです。彼女は「青鞜」に「元始女性は太陽であった」という文章を書きます。そこで強調しているのが「女性よ、才能に目覚めましょう」ということ。つまり、目指すべきなのは自分の才能の開発であって、男を目指すのはやめようということです。

コー まさにその通りです。日本のフェミニズムは「男になる」ものではなかったということです。一方、アメリカで主流のリベラルフェミニズムは男性が基準。もちろん向こうのフェミニズムには向こうなりの歴史や考え方があります。黒人の差別的分離もありましたし、「分離すれども平等」という隠れ差別もあったので、平等であるためには同じでないといけない、という考えがあるかもしれません。

田中 アメリカの平等という概念は、一番上にいる人たちと他の人たちが同じになるというもので、どうしても白人や黒人、女性や男性が同一であるべきという考え方になってしまう。「女性も男性と同じように生きろ」ということになると、私は違うと思っています。日本の女性解放運動の場合には「自分でありさえすればいい」というのが根本で、それは「一人一人が持っている才能を開花させよう」ということ。実際、女性は昔の方が尊重されていたというらいてうの歴史観に共鳴する女性は多かった。生活感覚の中で理解されたのでしょう。そういう比較は重要です。

ジェンダー論が私たちの思い込みを溶かしてくれる

田中 最近では政府も女性活躍に力を入れているようですが、見ると「とにかく働きましょう」「経済社会に貢献してください」と経済的な側面で言っているだけですよね。しかも「非正規でもいいでしょう」という扱い方で「不満があるなら役員になったら」という感じです。女性を経済活動の道具として見る視点が気になります。人権や哲学の視点こそ重要だと思います。

コー ジェンダー論には複雑な理論や研究がありますが、それが社会に伝わっていない。そもそも世の中には男女という枠におさまらない様々な人がいるのに、なぜ男女の区別を意識しなくてはいけないのでしょうか。テレビを見ても、いまだに男性の名前は青、女性の名前はピンク色になっている番組があります。男性が甘いものを食べると「スイーツ男子」なんて呼ばれてしまう(笑)男女をカテゴリー化することは問題だと思います。

田中 生物界だってオスとメスだけでなく、いろいろ変化するのが普通です。人間だってそう。江戸時代を見ても女性でも男性でもない人はたくさんいました。男と女とはそもそも乱暴過ぎる分け方なのです。ようやくこの頃LGBTQという言葉で認識され始めましたが、現実はもっと多様であることを考えると個性としか言えなくなる。「男」「女」という言葉自体をなくす方向に行くべきかもしれません。

コー そういう議論も出てきています。私もジェンダーをなくしたら、面白い社会になると思います。ワークライフバランスの問題でも、基準とされている労働者は、実は母親や妻に支えられている男性である、という面にも目を向けるべきでしょう。そこを社会が意識しないと根本的な改革になりません。

田中 家族もジェンダーに縛られています。本来家族はどんな組み合わせでも成り立つ共同体であるはずです。なのに、未だに夫婦別姓が認められない。このような家族観があるから結婚したくないという現象もある。

コー 家族や婚姻制度は歴史的、社会的に作られたものなのに、それが自然なものとされている。同性婚も無理やりこの制度に入れようとしている。そうなると、制度自体の存在感がますます強くなってしまうことを危惧しています。

田中 確かに、同性婚を一夫一婦制に入れようとしていますね。

コー それでは結婚したくない、しない人が引き続き差別されることになってしまう。結婚すると経済的な補償や社会的承認が付いてくるのが婚姻制度ですが、個人に補償を付ければいい。

田中 婚姻は政権の統制のための制度ですね。だからフランスでは未婚のカップルのほうが多い。

コー カトリックの影響が強いため、パックス制度にも反対する人が結構いました。それでも、実際には婚姻以外の選択肢を用意することができていますね。

田中 なるほど。面白いですね。日本でも結婚しない家族が増えれば変わります。

コー 以前、メディアリテラシーという言葉が流行りましたが、これからは"ジェンダーリテラシー"を提案したいと思っています。あからさまなジェンダーによる差別があるだけではなく、根本的な社会構造面での不平等など、気づくのが難しい部分もたくさんあります。だから、ジェンダーを学ぶことで人生や社会がもっと自由になれると確信しています。

田中 思い込みを解くことが自分を自由にしてくれるということですね。"ジェンダーリテラシー"は人生に役立つ教養になる。

コー 私がスタンフォード在籍中、ジェンダー・セクシュアリティや人種・エスニシティが全学部の必修科目になりました。日本でも取り入れてほしいです。

田中 2020年までに企業は役員の30%を女性にする目標を掲げましたが達成されませんでした。法政大学でも2016年にダイバーシティー宣言をしましたが、それでも女性の教員や部長や理事がなかなか増えません。女性が30%いると組織が変わると言われているので、具体的な数値目標を作って増やす必要があると考えています。ところが、「部長になってください」と言われても「私なんて」と言う女性が多い現状もある。コー先生はどう感じていますか。

コー 香港でもアメリカでも女性が責任のある仕事に就くのは当たり前になっています。ところが、日本の職場は男性同士のネットワークが強く、女性はその中でやっていけると思えない。私が法政大学に来た頃の研究は日本の女性運動のネットワークの分析でしたが、女性が責任ある仕事に就くためにはワークライフバランスのサポートに加え、女性同士のゆるやかなネットワークが必要だと感じています。私が学部長を務めていた時も他の女性の学部長との情報交換がとても役立ちました。

田中 学部長を経験されてよかったですか。

コー 本当によかったと思っています。大学全体のことが見えるようになりましたし、法政の一員としての意識や使命感が強くなりました。他の仕事にもこの経験が役立っています。

田中 まさにその通りです。役に就かないと見えないものがありますから、これからもコー先生に話が来たら必ず受けてくださいね。先生の背中を見て次の世代も頑張れると思います。

コー はい(笑)。大変だけど楽しい仕事だと次の世代や学生たちに伝えていきたいです。

田中 本日はありがとうございました。

コー ありがとうございました。


GIS(グローバル教養学部) ダイアナ・コー

香港生まれ。香港大学修士課程、スタンフォード大学大学院博士課程修了。
本学国際交流センターのフェローシップを得て来日、1996 年より本学非常勤講師。
その後第一教養部専任講師、法学部教授を経て、2008 年、立ち上げから関わったグローバル教養学部教授に就任。2015年度・2016年度・2019年度グローバル教養学部学部長。主な研究に ‘Lesbians’ in East Asia ( 編 著 ), “Global Norms, State Regulations and Local Activism: Marriage Equality Rights in Japan and Hong Kong”, “Practices of Intimacy: Mother-Daughter Relationships in Hong Kong and Japan”などがある。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)

1952年神奈川県生まれ。1974年法政大学文学部卒業。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。


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