日本の国会の現状と課題~衆議院議員になってみて
伊藤 俊輔(いとう しゅんすけ)さん/衆議院議員
はじめに
私が生まれた昭和54年は、第35回衆議院議員総選挙が行われた年。私の父はすでに政治活動をしていて、昭和51年に初当選し、2期目の挑戦をしましたが惜敗となり、私が生まれて1ヶ月後の選挙でした。
当時は、大平首相就任後の初の選挙で、一般消費税導入を試みるも反発多く断念し、またロッキード事件をはじめとする金権政治への批判も未だ収まっていない状況でした。
父は、日本三大名所、桜で有名な長野県高遠町からゆかりのない当時日本で最も有権者数の多い選挙区の東京の三多摩地域全域を選び、金権政治から脱却すべく庶民派の政治家としてドブ板の活動を貫いておりました。
昭和55年僅か8カ月間で衆議院解散となり、国政に返り咲き、激動の時代、通算衆議院議員9期を努め、国務大臣国土庁長官も歴任しました。私は小さい頃から政治を身近に見ながら育ち、政治の光と影を感じながら、政治に対する想いを強くしていきました。
中国北京大学に留学へ
学生時代、将来何をするかは明確ではなかったが、漠然と経営者か政治家と考えていました。どちらにしてもお金がかかることはわかっていたので、学生時代はアルバイト三昧の日々で興味があることには何でも挑戦しました。プール掃除やペンキ塗り、夜間のコンビニ、アメリカの雑貨屋では仕入から価格決め利益を計算してと実践で経営を学びました。冬は、ホテルやペンションに住み込みでホテル業を学びながら好きだったスノーボードも教えるまでになり、イベント業や旅行業など関連する仕事も実践で学びました。17歳の夏に初めてアメリカのサンフランシスコへ短期留学もしましたが、将来のことを決める前に必ず海外に留学したいと、日本の大学卒業後に、それまで周りはアメリカが主流でしたが、身近にも徐々に中国の方が増えてきている事を実感し、これからはビジネスも政治も中国を相手にしないといけない時代が来ると感じて23歳の時に中国北京大学に留学を決心しました。北京大学に世界中から集まってくる学生はとても優秀な方々ばかりで世界中に友人をつくれたことは財産です。13カ国ほどから集まった1つの語学研修クラスで、中国語を使い、自国の保険制度について発表する場があり、みんな自国のことをよく勉強していて、他の国のこともよく研究しているのに、日本人は自国のことすらよくわからず、むしろ他の国の学生の方が日本のことをよく知っていました。
海外に出て初めて他の国のことを知り、日本の良いところも悪いところも気付かされることを痛感しました。また中国やアメリカなど諸外国では、地方都市がそれぞれ特色と競争力のある都市を作ることで国全体を引き上げている一方、日本は東京一極集中が進み、地方が人口減で競争力も失い過疎化していく問題意識を強くしました。その後、2003年SARSが流行し、僅か1年ほどで日本に帰国することになりました。
会社起業と中央大学編入へ
中国から日本に戻り、中国留学経験を活かし、中国の大手航空会社数社と契約をし、日本から海外向けの航空貨物の会社を25歳で起業しました。当時は日中関係が悪化する度に、物流が止まり、経営にも大きく影響して非常に不安定でした。経済の後押しをするはずの政治が、むしろ経済の足を引っ張っていると強く感じ、経営感覚の無い政治に対して問題意識を強め、また政治は、大企業には優遇するのに、なぜ若い世代にこんなにも支援がないんだろうと考えるようになり、決して公平でも平等でもない制度が沢山あり、政治への憤りと怒りを噛み締めていました。その後、様々な業種で3つの会社を起業経営し、経営の面白さも苦悩も含め、国政にたどり着くまでの14年間経営をし、仲間に託しました。会社経営の傍ら、日本の東京一極集中をどうするか、その答えを探しに、地方分権や道州制などの専門家でもあった中央大学経済学部の佐々木信夫教授に学ぶために、26歳で中央大学に編入しました。当時19歳ぐらいの学生の方々と一緒に学び、一度社会に出てから大学で学びなおすという貴重な経験もできました。
いよいよ衆議院選挙に出馬へ
33歳、2012年衆議院解散の僅か数日前に出馬を決め、結果は59,166票で惜敗、2014年2回目の挑戦も惜敗し、5年間の厳しい浪人生活となりました。始発から毎日駅頭に立ち続ける日々でしたが、温かい声をかけてくれる方に救われながらも、時に人間以下のような扱いをされることもあり、その度に悔し涙を堪えながら政治に対する憤りや怒り、想いを強くすることができました。「逆境は人を創る」厳しい時にこそ人は問われ、乗り越えられれば、必ず大きな学びとなると信じて。2017年38歳、3回目の挑戦で76,450票で初当選。これまで支援して頂いた多くの方々の顔が浮かんだ。そして2021年42歳、5万票近く伸ばし126,732票で2期目の当選を果たしました。
初めて現職としての国会
与野党ほぼ全党とパイプのある人材としてまた中国への留学経験や経営感覚などを活かし外交面からも議院運営委員会に所属させて頂き、ほぼ全ての大事な事案を決定する中枢の現場で経験を積み、以後現在に至るまで継続して同委員会に所属しております。
衆議院議長と党を代表して中国への視察にも行き、民間の時から交流がありましたが、国会議員としても中国の主要な要人との外交にも関われることは、これまでの経験が活き、やりがいを見いだせました。
国土交通委員会や法務委員会など多数経験し、現在は、最も難しい国際情勢に対応する安全保障委員会の理事として参画しています。
若い世代との交流
若い方に政治に興味を持って頂き、参画してもらえるきっかけになればと学生インターンも受け入れています。母校中央大学の学生をはじめ様々な学生を対象にし、本会議や委員会の傍聴、政策の勉強会、政策づくり、朝の駅頭活動、チラシ配りやポスティングなど一通りの体験が出来ます。自分が学生の時とは比較にならないぐらい本当に真面目でやる気のある学生ばかりで毎回驚いてます。
学生から沢山の質問を頂き、よく挫折や緊張、プレッシャーなどにどのように対応すればいいか聞かれることがあります。あらゆる逃げ道をたくさん作っておくこと、どんなことにも、上には上がいるので同じ土俵で出来るだけ戦わないようにして、人と比べて過度な劣等感や敗北感、また嫉妬などの感情を持つことに体力を使わないようにしていると話すとよく驚かれます。私は勝手にかっこよく「逃げの哲学」と言ってますが、自分にとって都合のいい言い訳を作ってでも良い解釈をして、少しずつでも前進している感覚を大事にしていると伝えています。人は同じ土俵に立つと嫉妬や妬みなど知らず知らずのうちに余計なことに体力を使ってしまう時があります。今頂点に向かって山を登っているつもりでも、たどり着いてみたら、さらに頂点が先だったり、周りを見たらもっと大きな山は幾つもあることに気付いたり、頂点に入れる時間があまりに短かったりします。
昨今では、孤独孤立、自殺対策など政策として重要視するようになりました。チャット自殺相談窓口には、一度無理にキャラを作ってしまって変えられずに追い込まれてしまう子供達や弱音を吐けないキャリアのある女性、またLGBTQの方々などからの相談が増えています。みな誰かに相談することが出来ないという共通点があります。
学校や職場以外にも自分の居場所を作ったり、あらゆる選択肢(逃げ場)を準備出来るかも大切です。
政治の現状認識
国会は私よりも経験も知識もある議員ばかりです。しかし学歴が頭の良さではありません。国会議員も役人も嘘や誤魔化し虚偽答弁が平気で横行し誰も責任を取らない。更には、失われた35年といわれる今、国力、競争力が低下し、世界から安いニッポンと言われる時代になっています。なぜ真面目に働いても所得が上がらないのか。なぜ生活は苦しいのか。この現実を見れば、これまでの延長では日本の未来はありません。
これからの課題と私の想い
政治の仕事で大事なものに税制があります。誰にどれだけの税負担をお願いするのか。高齢者か若者か、高所得者か低所得者か。それを政治が決めています。給与から天引きされるなど、国民が税に疎くなるような仕組みになっていますし、疎くなればなるほど損をするし、一方で得をしている人がいるということです。
法人税において、大企業は中小企業より税負担率が軽く、中小企業の方が税負担率が重い。
所得税は、所得4,000万超から税率が上がらないことや金融所得の分離課税もあり、所得1億円を超えると税負担率が軽くなり、1,500万円の方と100億円の方がほぼ同じ税負担率になっています。
消費税は、生活に必要なものを買っても高級品を買っても同じ10%がかかり、所得が低いほど負担が大きい税です。
これまでアジア通貨危機からリーマンショック、東日本大地震、コロナショックと経済に大きな影響のある中で、度重なる消費増税がのしかかり、GDP6割を占める個人消費や設備投資も冷え込み、法人税や所得税の税収は減り、中小企業など6割が消費税を払えず、GDPは成長せず、税収も増えない。結果、実質賃金は下がり、賃金もあがらない状況に陥っています。
決められた法律、ルールの中で、得をする人、損をする人、損をしてても気づかない人、また声も出せない人もいます。政治が変わるか、国民が理解を深めた時に初めて、政治も経済も生活も立て直しが出来ると考えます。頑張っている人がちゃんと報われる社会にすべく私の役割を果たし続けて参ります。
伊藤 俊輔(いとう しゅんすけ)さん/衆議院議員
東京都町田市出身。1979年生まれ。私立桐蔭学園小・中・高・大卒業後、中国・北京大学留学を経て、2004年中央大学経済学部国際経済学科入学。佐々木信夫ゼミナールに所属し、2006年卒業。
在学中に起業し、会社経営を経て、2012年、2014年衆議院議員選挙に立候補し、惜敗。 5年間の浪人生活を経て、2017年に衆議院議員選挙で初当選。2021年衆議院議員選挙にて126,732票で2期目当選。現在、衆議院議員2期目。衆議院安全保障委員会理事、議院運営委員会。立憲民主党東京都連選挙対策委員長。