人ーかお

日本の境界地域へのまなざし

――「領土という病」への処方箋――

川久保 文紀(かわくぼ ふみのり)さん/中央学院大学副学長・法学部教授
専門分野 境界研究(ボーダースタディーズ)

はじめに

 日本における海洋基本計画(第1期)が閣議決定されたのは2008年であり、有人国境離島法が施行されたのは2017年といったように、日本の境界地域の保全・振興が海洋国家戦略として確固として位置づけられたのは、近年になってからである。筆者は、国境を含めた境界を多面的に扱う境界研究(ボーダースタディーズ)を専門分野としているが、領土・国境政策は中央政府の見方ばかりではなく、領土・国境問題の最前線に位置する境界地域(ボーダーランズ)の実情を視野に入れながら分析する必要があると考えている。国家間のパワーポリテイクスを背景とした「領土という病」から脱するためには、真の国益とは何かという大局的な視点に立って領土・国境問題を理解する必要がある[1]。そして、空間的広がりを有する生活圏として境界地域を認識し、国境を越えた外部世界へと通じる交流と機会の空間として捉えれば、境界地域は国家間関係の従属変数ではなく、主体的な戦略アクターとして位置づけることができるのである。

1. 日本の領土・国境問題:「固有の領土」論の陥穽[2]

 日本の国土面積は約38万平方キロで世界第62位であるが、領海と排他的経済水域(EEZ)を入れた日本の面積は約447万平方キロになる。これは国土面積の約12倍であり、米国、オーストラリア、インドネシア、ニュージーランド、カナダに次ぐ世界第6位になる。また、日本は1万4,125の島嶼(とうしょ)により構成されており、本州、北海道、四国、九州、沖縄本島を除けば、1万4,120の島が離島という位置づけになる(国土地理院 2023年2月28日現在)[3]。離島は、その立地条件等から、日本のEEZなどの保全、海洋資源の管理・利用、自然環境の保護、食料の安定供給などの重要な役割を担っており、こうしたデータからは、日本が海洋国家であるということに加えて、島嶼国家でもあるという国家の地理的性質が明らかになる。

写真1:日本の有人離島の最南端、波照間島(沖縄県八重山郡竹富町)

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筆者撮影

写真2:日本の最西端、与那国島(沖縄県八重山郡与那国町)

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筆者撮影

 国際社会の目からみれば、日本が北方領土、竹島、尖閣諸島という領土・国境問題を、それぞれロシア、韓国、中国・台湾との間に抱えていることは知られている(図1を参照)。日本政府は、それぞれが歴史的にも国際法上も日本の「固有の領土」であり、とりわけ日本が実効支配を行い、「国有化」した尖閣諸島に関しては、領土・国境問題それ自体が存在しないとの立場をとっている。しかしながら、境界・国境画定に関する世界的な研究機関であるIBRU(International Boundaries Research Unit:英国ダラム大学)の研究主任であるマーティン・プラットは、世界の島をめぐる領土紛争マップを作成し、そのなかには尖閣諸島が含まれている(図2を参照。21が尖閣諸島であり、中国名の「釣魚島およびその付属島嶼(Diaoyu Islands)」が併記されている)[4]。中国や台湾が尖閣諸島を自国の領土だと主張するかぎり、法的に認められるラインは存在しないのである。

図1:日本の領土をめぐる情勢

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出所:外務省ホームページ 〈https://www.mofa.go.jp/mofaj/territory/

図2:世界の島をめぐる領土紛争

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出所: Martin Pratt, "The Scholar-Practitioner Interface in Boundary Studies,"
Eurasia Border Review, Volume 1, No.1, p.35.

 日本政府が主張する「固有の領土」とは、「一度も外国の領土となったことがなく、日本の領土でありつづけている土地だと強調する概念」だとされる[5]。そもそも「固有の領土」は、外国には存在しない「翻訳不能な言葉」であるとされ、国境線を歴史的に何度も引き直してきた西欧諸国や、先住民の土地の奪う形で国土の拡張を図ってきた米国やロシアにとっては「自己否定」になりかねない言葉でもある[6]。日本の歴史的文脈においても同様である。アイヌの存在を無視した形で北海道を日本の「固有の領土」ということができるのだろうか。また、琉球王朝という独自の王朝が存在したことを考慮すれば、尖閣諸島は日本という国家の「固有の領土」なのだろうか。まして、八重山諸島に属する石垣や与那国は琉球王朝の版図でもなかった。琉球王朝は薩摩藩によって支配された歴史をもっているが、琉球王朝は薩摩藩による支配・収奪を宮古諸島や八重山諸島の人々に転嫁し、その肩代わりとして人頭税が課せられた[7]。苦悩と差別によって語られることの多い沖縄といっても、琉球王朝以外の離島の歩んだ険しい道のりを同列に扱うことはできないのである。

 日本という国家の長い成り立ちの歴史を考えてみれば、明治時代以降の近代国家という枠組みで「領土」を理解してしまう連続的な思考が、「固有の領土」論の陥穽でもある。考古学者の藤本強は、日本列島の文化を、「北の文化」「中の文化」「南の文化」という3つに大別した(境界域は「ボカシの地域」)。ヤマトという「中の文化」が、「北の文化」や「南の文化」を組み込んでいく歴史によって国家形成を語る日本の歴史は、他の地域や文化を捨象した形で、ヤマトのなかに日本の「固有性」を見出すことになってしまうのである[8]

 このようにみると、「固有の領土」という言説に固執すればするほど自家撞着に陥り、係争国どうしのあらゆるレベルでの外交交渉の糸口を探ることも困難になっていくことがわかる。これは日本との係争国にも同じことがいえる。日本の侵略の歴史と領土・国境問題を一緒くたに結びつけ、領土ナショナリズムを声高に煽る外国の一部の政治家やそれに呼応する国民は、冷静な議論にもとづかないポピュリズムを具現化してしまうことにも留意しなければならない。

2. 漁業と国境:不可視のボーダー

 日本の抱える領土・国境問題の大きな特徴は、目に見えないボーダーが海に引かれているという点である。陸域国境と比較して、海域国境の不可視性は、海をめぐる係争の解決を困難にする要因を含んでいる[9]。第一に、現在はメディアを通じて海域国境で生じるさまざまな問題が映し出される場面が多くなったとはいえ、境界地域の住民や漁民などを除けば、一般国民の目からは遠い場所での争いという位置づけになってしまいがちである。第二に、海底に眠る資源の在りかは広範囲にわたるために、係争国=利害関係国が数多く存在し、状況を一層複雑にする。だからこそ、不可視化された海域国境の存在は、竹島や尖閣諸島に代表されるような可視化された島々を地図上におけるナショナリズムのシンボルへと変質させる。

 領土・国境問題の膠着化の影響を受ける事例としては、大陸棚の開発やEEZの軍事利用をめぐる問題など多岐にわたるが、とりわけ顕著なものは日本の漁業である[10]。広大な海域国境を有する日本の国境の海は、島の帰属をめぐる対立が顕在化している「問題水域」となっており、海と共存していかなければならない漁民は、主権どうしが衝突し合う国家間対立に常に翻弄されてきた。北方領土は日本政府の立場では日本の領土であるにもかかわらず、「安全操業協定」もとづきロシアに協力金を支払わなければホッケやコンブなどの漁業を行うことはできず、竹島に関しては日韓の中間ライン付近に暫定水域が設置されたが、韓国漁船が竹島より本州に近い水域で漁業を行っている。北方領土と竹島はそれぞれロシアと韓国が実効支配している現状を鑑みればある意味当然といえるかもしれないが、日本が実効支配している尖閣諸島に関しても、台湾漁船が日本のEEZである先島諸島の沖合で操業をしている。国家間の領土・国境問題が固定化されるなかで、日本の漁業はますます衰退する一途をたどっているが、国家を超えた漁民どうしの視点によって難局を打開していくアプローチが求められている[11]

3. 境界地域をつなぐネットワーク:「下からの」国境アプローチ

 領土や国境のマネジメントに関しては、マクロ・レベルにおける中央政府の専権事項であるという「上からの」国境アプローチが前面に押し出されてきたが、近年では、離島を含む形で日本の「端っこ」に位置する境界地域の自治体関係者と研究者などが連携しながら、地元住民の声を中央政府の国境政策に反映させる「下からの」国境アプローチが活発化している[12]。2011年には、境界地域の実務者と研究者の意見交換の場として、境界地域研究ネットワークJAPAN(Japan International Border Studies Network:JIBSN)が設立された[13]。これは、海洋国家日本の境界地域が抱える諸課題を多角的に検討し、政策提言を行う研究ネットワークである。事業活動の内容として、(1)国内外の境界地域に関する調査および研究の企画、実施および支援、(2)境界地域の地方公共団体の交流、連携および情報発信の支援、(3)境界地域研究の成果の相互活用と共有化および公開、(4)境界地域の自立と活性化に寄与する政策提言、(5)人材育成のための連携および協力が挙げられており、日本の境界地域の安定と振興のために活動している。2014年には、特定非営利活動法人国境地域研究センター(Japan Center for Border Studies:JCBS)が設立され、自治体関係者や研究者のみならず、一般市民による参画を基礎とすることがその大きな特徴となっている[14]。2017年には、国境をツーリズムの資源とする観点から、ボーダーツーリズム推進協議会(Japan Border Tourism Association:JBTA)が、当該地域及び近隣諸国などへの旅を素材としたボーダーツーリズム(国境観光)の普及、定着、需要の拡大を目指して設立された[15]。これは、観光事業者などの民間企業や地方自治体などとの密接な連携を通じて、経済的な振興、観光の活性化、伝統文化の紹介などを行い、境界地域の地方創生に寄与している。

図3:境界地域をつなぐネットワーク

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出所:筆者作成

 国家主権はグローバル化や安全保障環境の変化によって常に影響を受けており、領域的に固定化された領土や国境という考え方に立脚すれば、今日の変容する国家主権の在り方を説明することは困難になる。こうした視点に立てば、国境政策に関与する国家以外のアクター(地方自治体、研究・教育機関、企業、ローカルメディアなど)の存在も視野に入れながら、生活圏としての境界地域のまなざしを意識した見地に立って、領土・国境問題を理解する視座が必要になってくる。

おわりに

 国益をめぐる国家間対立がクローズアップされることの多い領土・国境問題は、最近ブームとなっているいわゆる古典地政学の代表的な事例であるが、生活圏としての境界地域を重視し、国家以外のアクターやスケールを分析の射程に入れた境界研究は、対立や摩擦を乗り越えた境界地域の安定と平和こそが日本全体の繁栄につながるという問題意識を有している。一般的に、境界地域=地理的辺境と考えられる傾向があるが、境界地域は、空間を超えた接触や越境を通じて常に新しい現象や関係性を生成させるフロンティア空間と捉えることもできる。その表象を「領土という病」にとりつかれたマイナスのイメージから、新しい協力の可能性を秘めたプラスのイメージへ転換させることによって、境界地域=地理的辺境という固定観念を打破し、境界地域を戦略的なアクターとして位置づけることが可能になっていく。境界地域に住む人々の身体性を視野に入れながら、冒頭でも述べた真の意味での国益とは何かを考える柔軟かつ確固たる姿勢をもつことが重要であり、そうした学術的な受け皿を研究仲間とともに作っていくことが目下の研究課題である。


[1] 岩下明裕編『領土という病―国境ナショナリズムへの処方箋』北海道大学出版会、2014年。
[2] ここでの記述は以下にもとづく。川久保文紀「領土・国境問題」山田敦ほか編『新版・国際関係学』有信堂高文社、2025年、近刊予定。
[3] 国土地理院「日本の島の数」2023年2月28日<https://www.gsi.go.jp/kihonjohochousa/islands_index.html>
[4] Martin Pratt "The Scholar-Practitioner Interface in Boundary Studies," Eurasia Border Review, Volume1, No.1, 2010, p.35.
[5] 和田春樹『領土問題をどう解決するか―対立から対話へ』平凡社、2012年、24頁。
[6] 同上書、28-35頁。
[7] 谷川健一『埋もれた日本地図』講談社、2021年、32頁。
[8] 藤本強『日本列島の三つの文化―北の文化・中の文化・南の文化』同成社、2009年。
[9] 岩下明裕「辺境からの問いかけ」同編著『日本の国境・いかにこの「呪縛」を解くか』北海道大学出版会、2010年、1-2頁。
[10] 以下が詳しい。濱田武士・佐々木貴文『漁業と国境』みすず書房、2020年。
[11] 同上書、5-6頁。
[12] 川久保文紀「境界地域をつなぐネットワーク」中央学院大学社会システム研究所NewsLetter、第26号、2024年。筆者は、中央学院大学社会システム研究所プロジェクト研究(2023年度-2025年度)「危機の中の境界地域―稚内・根室・八重山列島を事例として」を立ち上げ、日本の境界地域の現状と課題について研究を進めている。以下のサイトを参照されたい。<https://www.cgu.ac.jp/socialsystem/kyoukaitiiki/>
[13] 境界地域研究ネットワークJAPAN(JIBSN) <http://borderlands.or.jp/jibsn/>
[14] 特定非営利活動法人国境地域研究センター(JCBS) <http://www.borderlands.or.jp/>
[15] ボーダーツーリズム推進協議会(JBTA) <https://www.border-tourism.com/>

川久保 文紀(かわくぼ ふみのり)さん/中央学院大学副学長・法学部教授
専門分野 境界研究(ボーダースタディーズ)

福島県南相馬市出身。1973年生まれ。1996年中央大学法学部政治学科卒業。1998年中央大学大学院法学研究科博士前期課程政治学専攻修了。2005年ニューヨーク州立大学ビンガムトン校大学院社会学修士号取得(M.A.in Sociology)。2007年中央大学大学院法学研究科博士後期課程政治学専攻単位取得満期退学。博士(政治学)(中央大学)。中央学院大学法学部専任講師、准教授を経て、現在、副学長・法学部教授。

現在の研究課題は、米国の国境の壁をめぐる政治、日本の境界地域の振興政策。

主要研究業績として、単著『国境産業複合体―アメリカと「国境の壁」をめぐるボーダースタディーズ』(青土社、2023年)、論文“Privatizing Border Security: Emergence of the ‘Border-Industrial Complex’ and Its Implications,” Public Voices, Vol. XⅦ No. 1, 2020、編集委員・項目執筆『現代地政学事典』(丸善出版、2020年)、バリー・ブザンほか著(共訳)『「安全保障化」とは何か―脅威をめぐる政治力学』(ミネルヴァ書房、2024年)、アレクサンダー・C・ディーナーほか著(単訳)『境界から世界を見る―ボーダースタディーズ入門』(岩波書店、2015年)などがある。