亀裂のなかのアメリカ大統領選挙
飯田 稔(いいだ みのる)さん/亜細亜大学法学部教授
専門分野 憲法学
1. 第60回大統領選挙
2024年は、4年に1度のアメリカ大統領選挙の年に当たる。2月上旬現在、共和党の候補はまだ確定していないが、前回と同様、民主党の現職ジョー・バイデンと共和党前職ドナルド・トランプの一騎打ちになるだろうというのが大方の見立てである。だが、いずれが当選するにせよ、亀裂の深まりつつあるアメリカ社会に新たな統合がもたらされるかといえば、いささか疑わしいとしなければならない。
2. 大統領選挙をめぐる幾多のトラブル
アメリカの大統領選挙は、その初期から、しばしば政治的混乱の元となってきた。第1回(1788〜89年)、第2回(1792年)こそ、国民的信頼を得ていたジョージ・ワシントンが選挙人の圧倒的支持を集めて選出されたが、早くも第3回選挙(1796年)では党派対立が顕在化する。当時の憲法規定の下、大統領には連邦派のジョン・アダムズが、副大統領には民主共和党のトマス・ジェファソンが選ばれるというねじれ現象が生じた。
両者は第4回選挙(1800年)でも政権を争い、アダムズが敗れて、史上初めて選挙による政権交代が実現する(1800年の革命)。だが、政党に基づく投票の結果、ジェファソンと同派のアーロン・バーが選挙人票で同数となり、大統領・副大統領が決まるまで連邦議会下院で30数回の決選投票が繰り返されねばならなかった(こうした制度上の不備は、後の憲法修正により解消)。また、権力の温存を図った連邦派が多数の裁判官を任命したものの、新政権は辞令の交付を拒んだため、裁判官らが連邦最高裁に提訴、裁判所の違憲審査権を確立したマーベリ対マディソン事件(1803年)を生む契機となった。
アメリカ史上最も大きな混乱をもたらしたのが、1860年の第19回選挙である。当時有力であった州権論の下、奴隷制をめぐる国内の分裂が顕著となり、とりわけ新領土(西部フロンティア)への拡大について世論が大きく対立した。政権にあった民主党が北部・南部に分かれて選挙戦に臨んだ結果、奴隷制に抗して結成されたばかりの共和党からエイブラハム・リンカンが当選を果たすことになる。
この選挙結果は、南部諸州の激しい反発を引き起こした。奴隷制の存続を危ぶんだサウスカロライナが1860年12月に連邦からの離脱を宣言し、他の6州も追随、アメリカ連合国(The Confederate States of America)を結成する。1861年4月に南北戦争が勃発すると、さらに4州が連邦を離脱して連合国に加わったが、連邦政府は一貫して分離独立を拒否、国を二分する内戦となった。連邦側の攻勢により武力衝突自体は1865年半ばに収束するも、1860年選挙最大の争点を決着させるには憲法修正を必要とし、その社会的影響は現在にまで及んでいる。
3. 当選者決定の遅延と法廷闘争
このような対立と混乱は、決して国家体制が確立過程にあった過去の出来事にとどまるものではない。分離独立とまではいかなくとも、選挙をめぐる争いは近年も生じている。
2000年の第54回選挙は民主党の副大統領アル・ゴアと共和党ジョージ・W・ブッシュの対決となったが、開票時の票の読み取りに問題のあった州の結果が判明せず、開票手続の当否をめぐって訴訟が提起された。最終的には、最高裁が票数の数え直しの停止を命じて選挙結果が確定(ブッシュ対ゴア事件)、国民による一般投票でゴアに及ばなかったブッシュが、選挙人投票では僅差で多数を獲得し、100余年ぶりに一般投票で敗北した候補が逆転勝利を収めた(こうした逆転は、第58回選挙(2016年)まで全5回)。
さらに、前回第59回選挙(2020年)では、民主党のバイデンが共和党現職トランプを破って当選したが、トランプとその支持者は「不正選挙」を主張して各地で提訴に及んだ。だが、裁判所はこれらを却け、また訴えの取り下げも相次いで、連邦最高裁もこのような主張を認めなかったことから、司法手続により選挙結果を覆そうとする試みは潰えた。ところが、翌2021年1月、連邦議会の上下両院合同会議で選挙人投票結果の集計と確認が行なわれようとしたとき、多数のトランプ支持者が議会に侵入してこれを占拠し、作業を一時中断させる事態を引き起こす。しかし、このような行動に国民の理解は得られず、結局、警察や州兵により侵入者が排除された後、会議が再開されて選挙結果を承認、バイデンの勝利が確定した。
4. 慎ましき勝者と良き敗者と
アメリカでは、大統領選挙の帰趨が決した後、敗者が支持者に向けて敗北宣言(敗北演説 concession speech)を行なうことが長年の慣行であった。敗者自ら負けを認めた上で、支持者や国民に向けて感謝の意と将来への展望を述べる演説である。1800年の選挙に敗れたアダムズが当選者ジェファソンに内々に祝意を伝えたのが始まりとされているが、20世紀に入って、ラジオやテレビを通じて広く一般国民に公表されるようになった。
大統領選挙と同時に連邦議会議員選挙も行なわれるが、その敗者が全国的に(まして世界的に)注目されることはあまりない。それは、これら二つの機関の相違に基づくだろう。
議会は多数の構成員からなる合議制の機関である。そこでは国民の多様な意思を多様なままに反映することが期待され、議論と譲歩、ときには妥協を通じて最終的な決定に至る。各議員の個性はこの意思形成過程で希釈されるから、政党の領袖のごとき有力議員は格別、1人や2人の落選が大勢に影響を及ぼすことは少ない。
これに対し、大統領は、行政権を一身に担う独任制の機関である。その選挙において、国民は、自らの支持する候補が当選するか否かにつきall-or-nothingの選択を迫られるから、しばしば敵・味方の対立構造を生んできた。勝者と敗者の差があからさまとなる大統領選挙は、そもそも社会に亀裂をもたらす傾向をもっている。そこで、選挙に敗れた側が支持者に対し、民主主義への信頼と新しい大統領の下での結束を呼びかける。例えば、第56回選挙(2008年)の共和党ジョン・マケインや第58回選挙(2016年)の民主党ヒラリー・クリントンを想起することができよう。それは敗者の義務ではないが、ある種の儀礼として根付いてきたものである。他方、当選者の勝利宣言(declaration of victory)もまた、決して自らの勝利を誇るばかりではない。しばしば敗者の健闘がたたえられ、彼らの主張にも耳を傾ける政権運営が誓われる。こうした双方のやり取りを通じて、選挙で生じた国民の亀裂がより大きな分断、さらには断絶へと至ることを回避し、改めて社会の統合を図る試みが始まるのである。
だが、前回選挙では、ついにこのような敗北宣言が出されることはなかった。のみならず、大統領就任式に前大統領が出席しなかったことも、極めて異例の事態であったとしてよい。選挙過程を通じて深まった国民の亀裂は、修復の儀式を経ることなく、いっそう拡大しているようにみえる。その同じ当事者が、再び選挙戦を闘うという。選挙の結果が何であれ、アメリカ社会の統合に結びつく要素を、あまり期待することのできない所以である。
今秋アメリカで、また大統領選挙が行なわれる。それは、われわれに投票権のない、遠い異国の出来事であるには違いない。だが、現在アメリカが世界で果たし、あるいは果たし得ていない大きな役割に鑑みるとき、決して無視することのできない出来事であるのもまた確かである。
飯田 稔(いいだ みのる)さん/亜細亜大学法学部教授
専門分野 憲法学広島県出身。1959年生まれ。1983年中央大学法学部卒業。1986年中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了。法学修士(中央大学)。1990年中央大学大学大学院法学研究科博士後期課程退学。明海大学不動産学部専任講師、同助教授、亜細亜大学助教授を経て、2007年より現職。
専攻は憲法学、とくにアメリカ憲法との比較研究を行なってきた。
最近の論文として、「地方議会議員の出席停止処分と司法審査(1、2・完)」亜細亜法学56巻1号、2号(2021年、2022年)、「客観訴訟における違憲審査―最近の選挙訴訟を手がかりとして」法学新報127巻7・8号(2021年)、「地方議会議長の発言取消命令と司法審査(1、2・完)」亜細亜法学53巻2号、54巻2号(2019年、2020年)等がある。