• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

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vol.6 春休み シンガポール 都市開発プロジェクト体験ツアー

シンガポール生活文化体験

青山 彩香(16歳) 茨城県立水戸第一高等学校1年
青山 彩香

刺激を与えてくれたRaffles Junior College

 4日目は民族文化体験として市内観光を行った。

建物の下では、おじさん達が中国式将棋で盛り上がっていた建物の下では、おじさん達が中国式将棋で盛り上がっていた
 多民族であるシンガポールには大きく分けて、マレー系、中国系、インド系が混在している。彼らはHDBと呼ばれる公団住宅に隣り合いながら暮らしている。公団住宅地区ではLRT(無人トレイン)が走り、都心へはMRT(基幹鉄道)がいたる場所をつなぎ交通に不便することがない。狭いお国柄、車の交通渋滞を防ぐため、車には高い関税がかけられる。日本の車は、通常の3倍もするそうだ。また、朝と夕にERPというゲートで、車で通る人からお金を徴収する。ラッシュを防ぐ代わりに鉄道が発達し、シンガポールでは日本のSuicaと同じようなものである「ez-linkカード」が10年も前から普及していたそうだ。日本は遅れているのかもしれない。駅名の看板には英語、中国語、マレー語が書かれている。

アラブストリートのシンボル、サルタンモスクアラブストリートのシンボル、サルタンモスク
 今でこそ宗教も文化も越えて暮らしているが、昔は地区ごとに分かれていたそうだ。その名残がチャイナタウン、アラブストリート、リトルインディアだ。スリ・ヴィラマカリアマン寺院と呼ばれる多くの彫刻を施された有名な寺院を外から見た後、リトルインディア・アーケードへ向かった。サリーやスカーフ、アクセサリー、お香などが所狭しと並んでいた。フリーマーケットに屋根が付いているような形で、絵本で読んだ魔法のランプの世界が広がっていた。私たちは宝物探しでもするかのように狭い路地を探索した。次にサルタン・モスクに赴く。モスクを私たちが見学している間もイスラム教の人々は“我、関せず”といった具合に、足を水で清めていたり、祈りをささげていたりした。次に車で10分足らずでシアン・ホッケン寺院と言うシンガポール最古の中国寺院に着いた。この寺院は1841年に、中国の移民たちが無事、シンガポールに上陸したことを感謝して建てられた。千里眼や千里耳の彫刻、また海の女神、日の神や月の神がまつられていた。

 多くの人々は、とても朗らかで、活気にあふれていた。見ているだけでとてもわくわくした。このシンガポールは、貿易都市にふさわしく異文化が交錯していた。互いの宗教や文化を認め合い共存しているとても魅力的な国であった。この21世紀においても未だに他の文化や言い分を認めず、戦争などをすることはとてももったいないことである、とこの国を見て改めて思う。

RJCの学生と一緒に。後ろのラッフルズ像のポーズでパチリRJCの学生と一緒に。後ろのラッフルズ像のポーズでパチリ
 3日目の28日、私たちはRJC(Raffles Junior College)を訪れた。大学進学率15パーセントのシンガポールの中で、多くの進学者を出す名門校だ。到着後まず広い講堂に案内された。階段状に椅子が並んでおり、ステージの上には大きなスクリーンに「歓迎 welcome to Raffles Junior College 海外プロジェクト探検隊の皆様」という文字が映し出されていた。生徒の一人のセリーヌの流暢な日本語で、式が始まった。簡単な自己紹介の後、作文の発表になった。2人の生徒が、自分が日本語に興味を持った理由、今後の抱負などを日本語で語ってくれた。一人は、ドラえもんで日本語に興味を持ったことを話してくれた。様々な夢の道具を出してくれるドラえもんは、日本への関心や夢もそのポケットの中から出して、シンガポールの人々に与えてくれたようである。もう一人は自分の夢について話してくれた。どんなにつらくても夢を諦めないと言っていた。たった5年間の日本語の学習で、ここまで日本語で自分の思いを伝えることができるようになったという事実にとても驚いた。また日本に興味を持ち、日本語を勉強してくれている事実に触れ、日本人として、もっと勉強しなくては申し訳ないという気持ちになった。その後、学校を案内された。学校には食堂があって、多くの生徒がそこで食べたりしていた。お弁当は持ってこないそうだ。食堂には福建麺のシャーフーフェンというライスヌードルを揚げた麺や、譲豆腐などマレーシア、シンガポール独特のものもたくさん取り扱っているそうだ。

 図書室は、円形状に吹き抜けになっていてとても広かった、生徒は、カードで出入していた。壁に沿ってたくさんの本がびっしり並んでおり、日本語の本やCDも置いてあった。部活動のクラブには、大体の生徒が所属し、五時まで活動する。中国舞踊、インドダンス、獅子舞、フランス文学部と日本に無い部活があるそうだ。多民族国家らしい学校の雰囲気に触れ、違った文化や伝統を学べるチャンスに恵まれている環境を羨ましいと感じた。学校案内の後インド音楽の発表を聴いた。最後に山手線ゲームをした。みんなで輪になって、テーマに添った名詞、例えば食べ物や動物などを、日本語で言っていった。シンガポールの生徒たちは誰一人としてつまることなく答えていた。盛り上がったところで時間となってしまった。同じ高校生として、とても楽しい時を過ごすことができ、良い刺激になった。

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後藤 和隆(16歳) 私立聖光学院高等学校1年
後藤 和隆

『出会い』という財産

19・20階に三菱商事のオフィスが入るミレニアタワー19・20階に三菱商事のオフィスが入るミレニアタワー
 様々な場所を訪れたシンガポールでの5日間の日程は、とてもハードではあったが充実していた。

 その中で特に印象に残っているのは2日目の三菱商事シンガポール支店の訪問だ。そこで北川支店長や宮崎部長から三菱商事の取り組みなどについて説明を受けた。19階にあるオフィスからはマリーナ地区のランドマークであるシンガポール・フライヤーの姿が見える。また、窓の向こうに広がる街では三菱商事の手がけたごみ焼却炉や、シンガポールでの重要な交通機関であるMRT・LRTが機能していることを思うと感慨深かった。

 4日目には支店長宅で開かれた夕食会に招かれた。僕たちは北川支店長を囲みながら、ビジネスのことだけでなく、様々なおもしろいお話も伺うことが出来た。また北川支店長と宮崎さんが中国語で歌を披露して下さり、楽しい時間を過ごした。宮崎さんには今回のツアーにずっと同行していただき、とても感謝している。そして北川支店長の「新しいことにどんどんチャレンジして、人間としての幅を広げて欲しい」「世界で起きていることにもっと目を向けて欲しい」という僕たちへのアドバイスを、今後の人生に活かしていきたい!

ナイトサファリの「火の踊り」はまさに迫力満点!ナイトサファリの「火の踊り」はまさに迫力満点!
 一方で僕たちが訪れた様々なシンガポールの観光名所の中でも、3日目のナイトサファリでの体験は特に貴重なものであった。まず驚いたのは、僕たちがサファリ内のレストラン「Ulu Ulu」で夕食を楽しんでいた時のこと。いきなりどこかの部族のような格好をした人々が踊りながらレストランの中に入ってきたのだ!彼らと手をつないで一緒に踊ることができ、いい思い出になった(笑)。その後外のステージでトライバル(部族)ダンス・パフォーマンスが行われ、「吹き矢」や「火の踊り」はまさに迫力満点だった!

 いよいよ本命の動物園の方へ向かう。僕たちはトラムに乗って約40分のコースを回った。フラミンゴやサイ、スイギュウ、ライオン、ゾウ・・・。月明かりのような柔らかい光に映し出されたそれらの動物の姿は、とても幻想的な光景であった。思わず幼い頃に返っている自分に気付いたのだった。

 4日目にはリトルインディアやアラブストリート、チャイナタウンを訪れた。多民族国家シンガポールを象徴するこれらの地域は、周りの高層ビル群に囲まれながら独特の雰囲気を醸し出していた。古い物を残しながら新しい物を作っていくというシンガポールの街づくりがここに現れていた。

ラッフルズ・ジュニア・カレッジの学生たちともすっかり仲良くなりましたラッフルズ・ジュニア・カレッジの学生たちともすっかり仲良くなりました
 そして僕が今回のツアーで最も楽しみにしていたのが、現地学生との交流会だ。交流したのは、ラッフルズ・ジュニア・カレッジというシンガポールでも有数の進学校で、日本語を学んでいる学生たちだ。海外の学生と交流するのは僕にとって初めての機会だったので、一抹の不安を抱えながら交流会に臨んだのだった。

 学校に到着すると、僕たちはまず講堂に案内され、そこでお互い自己紹介を行った。僕は日本側のトップバッターとなってしまった上に、壇上で話すということで、正直かなり焦った。だが、皆笑顔でうなずきながら聞いてくれたので、無事落ち着いて話すことが出来た。

 次にシンガポールの学生も自己紹介を行ったのだが、皆日本語を喋るのがとてもうまいのに驚いた。特にアランの日本語には感服した。彼は自己紹介の後の日本語スピーチで、日本人顔負けの素晴しいスピーチを披露したのだ!

 その後二つに分かれて学校内を見学させてもらった。僕がまず話しかけたのはチェン。彼とは学校のことやスポーツのこと、またお互いの国のことなど色々な話をした。他にもジャクという女の子とも仲良くなった。僕が野球をしていると言うと、彼女はとても驚いた様子。実は彼女もソフトボールをしているからだった!共通の話題を持てた僕たちは大いに盛り上がった。

 その後講堂に戻ってきて、シンガポールの学生による民族音楽の演奏や、山手線ゲームを楽しみ、プレゼント交換の時間がやってきた。渡した相手はあのアラン!僕の用意したプレゼントは和紙でできた便箋とはがきだった。果たして彼は気に入ってくれただろうか・・・?

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、いよいよお別れの時間である。僕はチェンとジャクのメールアドレスを教えてもらった。別れ際の「いつか一緒にbaseballをしましょう!」というジャクの言葉は忘れられない。

 今回の交流会を通して、英語を話す機会が少なかったのは残念だったが、異文化の人々と立派にコミュニケーションできたということの意義は大きいと思う。そして、多くの言語を自由に操る彼らに追いつき追い越すべく、これからも一層努力していこう、と決意したのだった。

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椎名 剛士(17歳) 千葉県立市川東高等学校2年
椎名 剛士

遠い国の新しい友人たち

 今回私が探検隊に応募するに至った理由の大きなものに「外国での友人作り」が挙げられます。それはラッフルズジュニアカレッジでの交流会の形で希望を叶える事ができました。

迎えてくれた遠い国の友人たちと!(ラッフルズ胸像前)迎えてくれた遠い国の友人たちと!(ラッフルズ胸像前)
 私たちを迎えてくれたのは8人の同年代の学生たち(男6人、女2人)。大変温かい歓迎のスピーチや自己紹介をしてから、私達探検隊はすぐに打ち解けて多くの事を話し合う事ができました。

 正直なところ、どのように接してくれるか期待と不安の入り混じった気持ちだったのですが、不安はすぐに打ち消されました。我々の話す不安定な英語と彼らが話す大変流暢な日本語でより親密感は増していきました。

 そして、何よりも驚いたのは現地のみんなさんが日本について勉強しており、知識を豊富に持っていることでした。私も予習はしては行きましたが、私のレベルではとてもありません。確かにシンガポールの町を歩けば日本製品がかなりあり、「ドラえもん」や「ネギま」など私も慣れ親しんだ日本の漫画が英語版になって多く売られておりましたが、彼らの知識は日本の政治や経済の細部に渡るまで勉強をしている様子でした。また一緒にやった「山手線ゲーム」で、彼らが出したお題が「欧州連合加盟国」だったことから、彼らの教養の高さにまた驚かされたものです。因みに、このお題では日本勢は大敗して「映画スターの名前」で巻き返しました。日本がそうした彼らの興味の対象になっていることは誇らしく思う反面、内心、自分の勉強不足や海外への知識の乏しさを恥ずかしく思うこともありました。

自然との調和の取れた素晴らしい学校環境自然との調和の取れた素晴らしい学校環境
 もちろん、話題はそんな難しいことだけではなく、日本の秋葉原で売っているアニメやゲームの話題やお互いの趣味や生活のことなど、本当に多岐に渡りました。その中で一人が「もうじき徴兵にいくこと」や「日本に遊びに行きたい」ことなどを話してくれました。冗談の言い合いのような中での会話でしたが、平和が当たり前になっている私には特に心に残ることでした。

 探検隊の恒例となっているプレゼント交換では私は美しいシオリを頂き、私からは去年の大河ドラマになった戦国武将・武田信玄のTシャツと、少し古いですが日本の三船敏郎が侍としてアメリカ西部で大活躍する、私の好きな映画「レッドサン」のDVDの日本語版を差しあげました。日本人は外国の人から見て、「よく分からない」とか、「何を考えているか分からない」と聞いたことがありましたので、この機会に勇敢で真摯な日本人の歴史や心にも関心を持ってもらいたいと考えたからです。

日本の本や漫画もたくさんある巨大な知識の宝庫・図書室日本の本や漫画もたくさんある巨大な知識の宝庫・図書室
 2時間ほどの楽しい交流会は耳に心地よいシンガポールの音楽演奏や清潔で巨大な学校の案内なども経て、アッという間に終了しました。短い時間でしたが、我々を温かく歓迎してくれたアレン君、ジョナサン君、ジャクリーヌ、セリーヌ達とリポーター仲間とのこの会は、貴重な体験と大切な思い出となりました。本当に感謝しています。ありがとう。またいつか、再会できる日を願っています。

 私はいつか世界はひとつになることを希望しています。それは戦争の形でなく、技術提供や貿易など友好的事柄を数限りなく重ねていくことで、互いを信頼しあうことでこそ出来ると思います。そうなったときは国境の意味もなくなるような平和で豊かな世界がくると考えております。

 日本には経済力と技術力があります。それを世界に繋げる商社があります。いま高校生の私がシンガポールに渡って、三菱商事を通じて日本とシンガポールの現実の結びつきを見学し、生涯の貴重な体験として日本に持ち帰り伝えることが出来たことを心から感謝しています。

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高沢 幸広(17歳) 私立慶應義塾高等学校2年
高沢 幸広

生涯の財産となった出会い

ラッフルズ卿上陸地点の対岸には、シンガポールの昔ながらの街並みがみえるラッフルズ卿上陸地点の対岸には、シンガポールの昔ながらの街並みがみえる
 シンガポール川の河口付近の川沿いに、シンガポールの発見者スタンフォード・ラッフルズ卿の像がある。島の沿岸に埋立地が多くつくられたため、今ではその像のあるラッフルズ卿上陸地点は奥まってしまった。埋立地によってマリーナ湾やシンガポール海峡を形成し、その埋立地にはマカオに続き、米企業のラスベガスサンズがカジノを建設する予定である。このカジノは、シンガポール人が使う場合には高い料金を支払わなければならず、つまり外国人用なのである。シンガポールはこのように観光産業にも力を入れている。

 また、その像の対岸にはシンガポールの昔の街並みが残っている。URA(Urban Redevelopment Authority)は都市開発をする一方で、民族や宗教をテーマに建造物や街並みの保存に取り組んでいる。チャイナタウンやリトルインディア、アラブストリートなどもその一部で、英植民地時代の民族分割統治の名残でもある。現在は民族や宗教に関わらず、国民の8.5割以上が政府のつくったHDB(Housing Development Board。高層の公共住宅)に住んでいるところがシンガポールの特徴だ。残りの人はもう少し高級な民間のコンドミニアムに住んでいる。

リトルインディアの商店リトルインディアの商店
 リトルインディアはインド人街で、チャイナタウンやアラブストリートともならび、手軽にその風俗・文化が楽しめる。この辺りに来ると中心部と違ってごみひとつないわけでなく、生活のにおいがしてとても興味深い。といってもただの商店街で、観光客向けなところもある。CDも、日本でいうJ-POPみたいなものがたくさんあった。それと奥の方に、教科書を売っている本屋があった。私は現地の人が使う英語の教科書が欲しかったのだが、それはオーチャード通り(日本でいう銀座通りのようなもの。このツアーではバスで通った)にあるといわれた。その時、その本屋の店員がとても丁寧に英語をしゃべってくれたのがなんだか嬉しかった。

 街では建設中のビルをよく見かけた。働き手には、スリランカなどの近隣の国から出稼ぎに来ている人が大半だという。なんでもマレー人はよく働くのだとか。

 ニュートンサーカスにはたくさんの屋台が集合していて、大食堂のようだ。そのような形態のものをホーカーズセンターといい、政府が衛生管理のために彼らを集合させ、屋台ごとに清潔度をABCと基準をつけている。認定証は本当は表に掲示しなければならないが、Cなどはあまり見かけない。ニュートンサーカスは夜の場所で、私達が行った8時ごろには大勢の人が集まっていて(駐車場があり、みんな車で来ている)、アメ横のようににぎやかだった。

 このようないろいろな場所に、車ですぐにいけるところが面白い。ただ、シンガポール政府は自動車の量を制限し、所有率は5人に1台程である。約700km2という国の狭さゆえに、政府は徹底的に街を良く作り上げることができているといった印象を受けた。

ラッフルズ・ジュニア・カレッジの校門で記念撮影ラッフルズ・ジュニア・カレッジの校門で記念撮影
 シンガポールでは中学が4年間、高校が2年間である。RJC(ラッフルズ・ジュニア・カレッジ)は2学年で約2500人もいる規模の大きな学校だ。迎えてくれたみんなは主に日本語を勉強している人たちだったのだが、聞いているとみんなイントネーションはうまいし、口をついて出てくるし、これにはあせった。日本人の英語より流ちょうだ。日本や日本語は人気なのかと尋ねてみると、別にそうでもないらしいが。私とずっと話していた彼は日本語がしゃべれないので、私には英語を試す良い機会になった。

 また、シンガポールでは男子は18歳から2年間兵役があり、それがいやで外国に移住する人もいるとか。シンガポールは、国土の20%が軍の空港でもある。2年間学問が遅れてしまう彼らの話を聞くと、私はどうも気負ってしまう。

 シングリッシュは、やはりみんな普段話すそうだ。シンガポール・フライヤーの係員の英語はアクセントが面白く、トゥアス南ごみ焼却炉の人もすごいなまりで、なんて言っているのかほとんど聞き取れなかった。

 私達は学校内を案内してもらった。図書室では騒ぎすぎてちょっと怒られたが、みんなと話しているのはとても愉快だった。シンガポール随一の高校ともいえるRJCのみんなと友達になれたのは、生涯の財産だ。

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田山 友紀(16歳) 私立慶應義塾湘南藤沢高等部1年
田山 友紀

シンガポール文化との出会い

 本当に充実した4泊5日だった。シンガポールは小国にもかかわらずたくさん見どころがある上、三菱商事がかかわっている事業が数多くあった。今回のツアーではその中のほんの一部、シンガポール・フライヤー、ごみ焼却プラント、都市公共交通などを見学した。

にぎやかなニュートンサーカス。色々な種類の食べ物があったにぎやかなニュートンサーカス。色々な種類の食べ物があった
 シンガポールの電車、MRT(基幹鉄道)には4日目に乗った。その変電設備を、三菱電機と共に手掛けたのが他ならぬ三菱商事だ。確実に安定的に電気が送られなければ電車は運行できないため、変電設備はMRTの最重要部分のひとつと言える。都市公共交通に関してはLRT(無人トレイン)の車両の受注もしたそうだ。

 MRTの車両はかまぼこ形で、天井やつり革が低かった。背の高くない私は楽につり革につかまることができ、快適だった。が、座るとなると日本の電車の方がはるかにいい。なぜなら車内の椅子は1人分の幅は広いが、プラスチック製で硬いのだ。様々な違いの中でも私が一番感心したのは清潔さだ。日本では車内に雑誌や空き缶を見かけることがあるが、MRTでは全くなかった。そもそも飲食禁止で、違反したら約3万7千円の罰金なのだ。

 見所の一つ、ニュートンサーカスは、屋台が集結している場所だ。働く女性が多いため、シンガポールの人は家庭料理ではなく外食が多いそうだ。店は活気に溢れ、真夜中までにぎわっていると聞いた。各屋台にはAやBと書かれたペラペラのA4大の紙が貼ってある。紙は、そのお店の衛生状態をランクづけした政府発行のものだそうだ。じゃあAのお店に行けば安心だ、と思っていたらガイドさんに「でもね、Aのお店に行けばいいってわけじゃないよ。衛生的でもまずいお店があるから。私はおいしいBのお店によく行くよ」と言われ笑ってしまった。

リトルインディアのシンボルであるヒンズー教の寺院リトルインディアのシンボルであるヒンズー教の寺院
 リトルインディア、アラブストリート、チャイナタウンではシンガポールの多人種文化を肌で感じた。それぞれの地域に全く違う世界が広がっていた。リトルインディアで最初に気付いたのは香辛料のにおい―クミン、ガラムマサラ、香菜など―で、サリーと金のアクセサリーを売る店が多かった。アラブストリートにはモスク。チャイナタウンは雑然として朱を基調にした寺院や街並みが派手だった。

 最終日には三菱商事の支店長社宅で夕食会を開いて頂き、北川支店長や駐在員の方々から会社の様々な部署での体験談を伺った。現地での生活と絡ませてのお話はとてもわかりやすかった。シンガポールの人が大勢参加する夏祭りやカラオケ大会を通して現地の人と交流することにより、日本企業のビジネスが円滑に進むよう努力しているそうだ。三菱商事がかかわり完成した事業を見て、実際に社員の方々が日本と外国をどのように結びつける仕事をされているかが少し分かった。

 私がこのツアーで一番楽しみにしていたイベントの一つが現地学生との交流会だった。シンガポールの学生は日本の学生とどのように違うのだろう、どんな学校なのだろう、と思いながらRaffles Junior College (RJC)へ向かった。RJCはシンガポールでトップクラスの進学校だ。

現地学生との交流会で校内を案内してくれたジョナサンと私現地学生との交流会で校内を案内してくれたジョナサンと私
 RJCの学生との対面は大学の講堂のような場所で行われた。RJCの生徒の一人がマイクを持って話し始めた。「本日司会を務めさせていただきます...」流暢な日本語が部屋に響き渡った。発音やイントネーションはとてもきれいで、日本人なのかと思わず耳を疑ってしまった。自己紹介を始めると、交流会に参加していたRJCの生徒のほとんどが日本語を巧みに操れることが分かった。彼らは学校の日本語クラスで週4時間ほど勉強しているだけだというが…それにしてもうまい。日本人である私のほうが危機感を持ってしまった。

 その後、校内を案内してもらったが、広すぎて迷路のようだった。歩きながら学校生活やお互いの国について、色々と情報交換をした。学校の授業が全く違うのには驚いた。シンガポールでは高校は大学受験への準備段階と見なされているので、勉強するのはたった5科目だそうだ。

 あっという間に終わってしまった交流会。2時間だけだったのが本当に残念だ。わずかな時間しか一緒にいられなかったにもかかわらず、別れがとても悲しかった。最後にはメールアドレスの交換をして連絡を取り合おう、と約束した。

 そして、「またいつか再会しよう」と。

 シンガポールから帰国した夜、メールをチェックすると学校を案内してくれたジョナサンからもうメールが来ていた!さらに、ネットにつなぐと偶然彼もオンラインしていて早速チャットをした。グローバル化がどんどん進んでいる現在、飛行機で7時間かかるシンガポールの友人でさえ国内の友達のように感じることができる。

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前田 翼(16歳) 石川県立金沢泉丘高等学校1年
前田 翼

多民族国家とその将来を背負う者たち

アラブストリートに建つモスク。リトルインディアにかけて複数の宗教寺院が点在するアラブストリートに建つモスク。リトルインディアにかけて複数の宗教寺院が点在する
 その他の見学先ではシンガポールの横顔を見た。大きくない国土に多くの異文化や環境が混在している事実には不思議な感動を覚えた。

 ナイトサファリはシンガポール観光の顔である。1000頭を超える夜行性の動物をトラムに乗って見て回ることができる。野生ではほとんど見られなくなった動物も多い。それを都心部からそう遠くない場所で見ることができる。機会があれば、今度はのんびりと歩いて回りたい。

 ニュートンサーカスではシンガポールならではの屋台を見ることができた。夜遅いというのに現地の客でごった返していた。シンガポールの人々は暑い日中よりも涼しい夜に好んで外出する。一目でツアー客と分かる僕らには客引きのおじさんの声かけが絶えなかった。

 他に、リトルインディア、チャイナタウン、アラブストリートといった地区を訪れたことで、改めて多民族国家を意識させられた。リトルインディアでは、本当にインドの街に迷い込んだような錯覚を覚えた。イスラム教の寺院は静寂に包まれていて形容し難い空気が漂っていた。

ニュートンサーカスの屋台。果物の王様、ドリアンも吊つり下げられていたニュートンサーカスの屋台。果物の王様、ドリアンも吊つり下げられていた
 シンガポールは実利主義の国。だからこそ他教の民族が1つの国でうまく暮らしていけるのだろう。

 前シンガポール日本人会会長でもある北川支店長から、日本人会の活動を聞くことができた。大カラオケ大会や夏祭りをシンガポール人とともに行うことで交流を深めているのだという。現在、日本人は、シンガポール人に受け入れられているが、それまでには日本人会の地道な努力の積み重ねがあったのだ。同じ日本人として海外の人たちに受け入れてもらえるというのは、本当にうれしいことである。

 日本は、外国人にとってあまり住みやすい国ではないと聞く。そういった意味では、日本はシンガポールから学ばなければいけないことも多数あると感じた。

 同世代との交流も忘れられない。僕たちが訪れたのは、ラッフルズ・ジュニア・カレッジ。シンガポール屈指のエリート校のひとつである。校門から校舎を眺めると、その大きさは際だっていた。

 僕の自己紹介は、実に簡単に終わった。名前と剣道部に所属していることを話した後、筒状に丸めた紙を使って剣道のパフォーマンスをした。それだけである。本当は、ペラペラと英語で話してみたかったが、あいにく、そんな能力は持ち合わせていなかった。英語の重要性を改めて実感したひとときだった。

 それに対して現地学生は実に流暢な日本語で挨拶をした。英語、中国語、日本語の3カ国語を話すトリリンガルである。

 日本語弁論大会で入賞した2名の生徒はスピーチを披露してくれた。彼らが語るその内容からは、生半可ではない向上心と努力を知ることができた。

 将来のシンガポールを担うことを自覚している彼らは、僕らと違って兵役制度もあり、それゆえ甘さがない。考え方は大人びている。

交流会。僕らの話を真剣に聞いてくれる生徒たち交流会。僕らの話を真剣に聞いてくれる生徒たち
 僕たちは、日頃、「国籍」や「国家」ということを真剣に考えない。しかし彼らは、国を、実に冷静かつ客観的に見ていた。そして圧倒されるくらいの夢と危機感を持って、日々を過ごしている。彼らが、気楽に高校生活を満喫している僕と同世代であることが不思議であり、そして脅威にも感じた。「国」とは何だろう。それを深く考えさせられた出会いであった。

 交流会は心から楽しんだ。こちらの提案で「山手線ゲーム」をしたのだが、まさか「果物」というお題で「おにぎり」が飛び出すとは思わなかった(笑)。

 ある生徒は秋葉原に行ったと言う。また、日本の現外務大臣が高村氏であることも知っていた。そして「麻生氏の方がよかった」とまで言ったのである(なんという日本通!)。まったく彼らには脱帽だ。

 反面、自分のレベルの低さも痛感した。ある生徒はアメリカへの留学を目指し、まさに血のにじむような努力をしていた。毎日の自分の生活と対比すると・・・笑うしかない。その意味でも、交流会は、僕に大きな刺激を与えてくれた(頑張ります)。

 もし、次に彼らに出会えたら、その時は英語でジョークが言える人になっていたいと思う。

 温かく僕たちを迎えてくれたラッフルズ・ジュニア・カレッジのみんな、ありがとう。

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森 美咲紀(18歳) 埼玉県立川越女子高等学校3年
森 美咲紀

魅力がいっぱい

 バスから降りると、人々のにぎやかな笑い声と、威勢のいいお店の人の声が聞こえた。
 日は落ちて辺りは暗くなったが、ここの活気はよりいっそう高まっていく。

動物園の革命、シンガポールの夜はここで決まり動物園の革命、シンガポールの夜はここで決まり
 私たちはシンガポールの台所、ホーカーズセンターに訪れた。食事をしている人、おしゃべりをしている人、遊んでいる子供・・・たくさんの人たちが和気あいあいと時間を過ごしている。みんなとても楽しそう。

 ところせましと様々な食べ物が並ぶ中、一番目に入ったのはドリアン。今回食べることはできなかったが、私はドリアンのトゲトゲやあの臭いにたいへん興味を持った。
 なぜ人類はあれを食べようと思ったのか・・・謎である。
 大きなカニ、エビ、ココナッツ。色とりどりの果物、ゼリー、お店の看板。おじちゃんの営業トーク。ここにいるだけで楽しくなってきてしまうし、おなかも心もいっぱいになった。

 さきほどとは打って変わって、静かな熱帯雨林に囲まれている私たち。  聞こえてくる虫の鳴き声。都会ではかいだことの無いみどりのにおい。  そして、見上げた空には、美しいオリオン座があった。

ガイドのヒアさん「これは果物、これはジェリーね」ガイドのヒアさん「これは果物、これはジェリーね」
 動物を照らす電灯は高い位置にある、ほのかな光のみ。はっきりとした輪郭をとらえることはできないが、人間を気にすることなくのんびり暮らしている動物の姿を見られるのがこのナイトサファリのいいところだ。

 かわいらしい動物たちが次から次へと現れる。

 ライオンのだらしなく寝そべっている姿には、百獣の王の名がまったく当てはまらなくて、おかしかった。
 ゾウのつぶらな瞳や、耳をパタパタ、口をもぐもぐしている姿はとてもかわいかった。
 アリクイやシカがとても近くで見ることができた。私たちの乗るトラムが気になるのか、草を食べてはこちらをちらり。かわいらしくも、迫力があった。

迫力があるといえば、シンガポールの生みの親とも言える、ラッフルズ。決まって腕組みをしている彼の銅像は、いろいろな場所にあった。

 彼は、東インド会社の一員であり、シンガポールが貿易基地となるように骨身を削った。そうして今あるシンガポールの基礎を作り上げた。私はいつのまにかラッフルズと三菱商事のみなさんを重ねて見ていた。
 シンガポールの発展のために尽力するその姿はとてもかっこよく、私も将来こんな仕事がしたいと思った。環境、文化、仕事、将来の夢など、様々なことを考えることができた有意義な旅であった。

ラッフルズ・ジュニア・カレッジ(RJC)の学生との交流

とっても仲良しになりましたとっても仲良しになりました
 どんな人たちなのだろう?友達になりたい!英語は当たって砕けよう!そう思いながら私は学校へ足を踏み入れた。

 学校見学のときにみんなと話すことができた。日本語で、時には英語を交えての会話。とても新鮮で、おもしろかった。
 勉強だけの生活かと思いきや、部活動を夜遅くまでやったり、日本の漫画を読んだりしていて、やっぱり同じ高校生だった。
 日本の漫画、アニメの強さ。これは日本が世界に誇れる文化のひとつだ。とてもメジャーなものから、こんなものまで知っているの?というほどに詳しい人がいた。
 私は日本の「お笑い」という文化を紹介したくて、今が旬のお笑い芸人小島よしおのTシャツをプレゼントした。しかし、その場で開ける時間が無かったため反応が見られなくて残念だった。「そんなの関係ねぇ!」を伝えたかった。

 ラッフルズ・ジュニア・カレッジのみんなは、とても熱心に勉強をしていた。
 日本語は難しい?と聞くと、「えぇ、でも楽しいので頑張っています」と答えてくれた。
 そしてその時私は、三菱商事シンガポール支店長の北川さんのお言葉を思い出していた。
 新しいことにチャレンジをして、自分の幅を広げる。まずは基礎から。そうやって楽しい勉強をしていって下さい。国際競争力を養い、外に目を向けてください。
 RJCのみんなは、まさにこれをやっているのだ、と身をもって感じた。

 短い時間だったが、本当に楽しく、本当に良い刺激になった。
 この出会いを大切にして、ますます精進していきたい。

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矢野 瑞季(16歳) 埼玉県立不動岡高等学校普通科1年
矢野 瑞季

「他国で仕事をする」ということ

三菱商事は、このミレニアタワーの19・20階にある三菱商事は、このミレニアタワーの19・20階にある
 このツアーで最初に訪問したのが、三菱商事シンガポール支店である。ここでは、北川支店長と宮崎さんが、シンガポールや三菱商事について説明して下さった。

 宮崎さんは、その後もこのツアーに同行して下さり、私達の質問に熱心に答えて下さった。昼食で席が隣になったとき、私は「今までで一番苦労されたことは何ですか?」と尋ねてみた。すると意外な答えが返ってきた。「他国の人と働く」ということに苦労していたのである。宮崎さんは、シンガポール支店で仕事をするようになってから約6年半が経つが、その間、現地の人々をたくさん部下にもつようになった。しかし、シンガポール人と働くのは、日本人と働くのとは全く違っていた。現地の人々は、日本人と違って個人や家族の時間を大事にする風習があり、勤務時間や残業に対する考え方も違うらしい。宮崎さんらは、そうした現地の社員にもっと日本や三菱商事について理解してもらうため、一緒にランチミーティングやカラオケを行ったりして、積極的にコミュニケーションをとるようにしている。現地の人々の国民性や民族性にどう向き合うのかという問題は、多国籍企業の大きな悩みのタネなのだ。

シンガポール・フライヤーの中から見た、鉛筆型のミレニア・タワーシンガポール・フライヤーの中
から見た、鉛筆型のミレニア・タワー
 また、北川支店長のお話で印象に残っているのは、日本は自国について知らなすぎるということである。北川さんは、「日本の政治家はもっと日本の外について勉強するべきだ」とおっしゃっていた。つまり、日本にいて日本で活動するだけでは、日本の本当の姿は見えてこないのである。日本を飛び出し、世界における日本を肌で感じることで、初めて日本を客観的に見ることができるのだ。もしかするとこのツアーへの参加は、私達にとってその第一歩であったのかもしれない。こうした貴重な経験をさせて頂いたことを、本当に感謝している。

 北川支店長も宮崎さんも、とても豊かな人間性をお持ちの方で、三菱商事の素晴らしさはお二人の姿からも見てとれた。私も彼らのような心豊かな立派な社会人になりたいと思った。

同世代の「真の国際人」との出会い

 いよいよ待ちに待った現地の学生との交流会。私にとって、こういった国際交流は初めてだったので、とても楽しみにしていた。

 訪れたのは、シンガポールのトップ校のひとつ、ラッフルズ・ジュニア・カレッジ。ここには、17~18才の生徒約2500人が通っている。シンガポールの教育は、6・4・2制をとっているため、この「ジュニア・カレッジ」は日本の高等学校にあたる。今回は、日本語を学んでいる約10人の生徒がこの交流会に参加し、私達を出迎えてくれた。

 まず、私達は英語で、ラッフルズの皆さんは日本語でお互いに自己紹介をした。

 私の拙い英語に頷く彼らの姿を見て、ほっと一安心。その後、学校内の見学や民族音楽の発表、山手線ゲームなどを通して、ますます交流が深まっていった。

いい刺激を与えてくれた仲間達と一緒に、スタンフォード・ラッフルズ像の前でいい刺激を与えてくれた仲間達と一緒に、スタンフォード・ラッフルズ像の前で
 ラッフルズの皆さんは、日本語を学び始めてからまだ5年と話していたが、とてもそうとは思えないくらいに日本語を使いこなしていた。私達が英語で質問をしても、日本語で答えが返ってくることの方が多かった。日本語は勉強すればするほど面白いと、皆口をそろえて言っていた。しかし、彼らと話していて、彼らは日本語が話せるだけでなく、日本が本当に好きなのだということがわかった。年に2度は日本を訪れるというセリンさんや、日本の政治について日本語で語るアラン君を見て、私は彼らの日本に対する関心の高さに圧倒された。そして、まさに彼らのような人間が真の国際人なのだと思った。

 2時間の交流会は、あっという間に終わってしまった。他国に住む同世代の仲間と一緒に過ごす時間は、とにかく楽しかった。次の機会には、彼らと日本で再会し、今度は私達が日本を案内してあげたいと思う。

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