• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

<< 体験リポートバックナンバートップへ戻る

vol.6 春休み シンガポール 都市開発プロジェクト体験ツアー

URA都市再開発庁

青山 彩香(16歳) 茨城県立水戸第一高等学校1年
青山 彩香

シンガポールの歴史、そして未来

URAのロゴプレート。イギリス英語でCENTREとなっているURAのロゴプレート。イギリス英語でCENTREとなっている
 私たちは28日、URA 都市再開発庁を訪れた。都市再開発庁は、シンガポールの発展の歴史を残すために作られた。また、市の中心部にあり、シティギャラリーや図書館などと併設されている。オリエンテーション(ORIENTATION)、歴史(HISTORY)、文化遺産の保護(CONSERVATION & HERITAGE)、計画(PLANNING)、市の中心部(CITY CENTRE)と5つの項目に分かれている。どの部屋にも、パネルや、スイッチを押すと動き出すものなど、見るだけでなく触れて楽しめるような工夫がされていた。

 オリエンテーションルームでは、シンガポールの目指す国づくりを紹介してあった。世界の人々の憩いの地となるための美しい国づくりをめざすという内容であった。景観の美しい他の国の写真が展示されており、“このような景観を目指す”という感じで実に具体的に示してあり、日本人にはあまり見られないような合理主義的な感性を持っていると感じた。

シンガポールの”今”が、そのままミニチュアとなっているシンガポールの”今”が、そのままミニチュアとなっている
 歴史の部屋では、シンガポールの歴史が細かく、写真とともに説明されていた。シンガポールが世界の歴史に登場したのは、14世紀である。その後の1819年2月6日、イギリス人のトーマス・ラッフルズがシンガポールをジョンホール王国から割譲させた。ラッフルズは同年シンガポール港を開き、1826年には海峡植民地とした。ラッフルズも、シンガポールが東南アジアの中心であり、交易に有利であることに目を付けていたようである。イギリスは、シンガポールを東南アジアの貿易拠点としたため、太平洋戦争中、日本軍に攻撃を受けた。日本軍はシンガポールを占領し、反日ゲリラを次々と虐殺。戦後、虐殺された人々を弔う血債の塔が4本建てられた。この塔は日本も負担をし、少しでもの償いとしたようだ。戦後、イギリスの植民地時代が再開する。しかし、中国系の人々が人口の約75パーセントを占めているということで、マレー人優遇政策をとるマレー連邦政府と対立し、1965年に独立することになった。国土も狭く、資源も少ないシンガポールの独立は決して易しい船出とはならなかったようだ。そこで政府がとった方針は、シンガポールを観光かつ貿易の国際都市にする、というものであった。貿易の中継地となり、ショップハウスと呼ばれる店が発達した。ショップハウスは、通り沿いに店を出し、様々な国の商品を取り扱うようになる。店が立ち並ぶことで商店街のようになり、また店の奥は住居となっていたので、生活の匂いもして情緒がある、活気あふれる町となった。しかし、戦争が始まると、商人たちはショップを離れてしまい、スラム街となってしまう。それを重く見た政府は公団住宅(HDB)を作り、スラム街の人々をそこに移した。シンガポールでは、土地が少ないため一軒家を持つことは難しいそうで、多くの市民はこのHDBに住んでいるそうだ。その後のショップハウスであるが、国の文化財として保存されており、今は昔と同じように商売が営まれている。今回私たちはショップを遠くから見ただけであるが、統一されたショップのオレンジ色の屋根は高くそびえ立つビル街に、いろどりをそえていた。南国に映えるオレンジ色の屋根は私の目に今でも焼きついている。

 文化遺産の部屋では、ショップの他にも、中国系の寺院やモスク、シークなど、6500もの建物が文化遺産と指定されていることを知り、近代的な貿易都市としての顔だけではなく、古い建築物も調和させ、次世代のためにアイデンティティを育てていくという、魅力的な国づくりの姿勢がわかった。

デザイン性のあるビルからマラソンロードまで、見ているだけで面白いデザイン性のあるビルからマラソンロードまで、見ているだけで面白い
 計画の部屋ではシンガポールの政府の動きを知った。シンガポールは現在埋め立てをして国土を広げている。1965年に580平方キロメートルであったがシンガポールの地を2040年から2050年にかけて25パーセントも増やす予定だそうだ。日本と同じく少子化となっている現状を、優秀な外国人の移民を招き、約450万人の今の人口を650万人に増加させる計画で補おうとしている。また政府は、1971年から10年ごとに将来計画の見直しをはかっている。そして3年ごとに詳細のプランであるマスタープランを設けている。マスタープランは細かく地区をわけ、その地区に住む市民の意見を取り入れ修正する、というものだ。直接市民の意見を聞くことで、今必要としていること、必要の無いことを把握できるようになっている。市民と密接に関わった政治が展開されていることがうかがえる。マラソンコースやサッカースタジアム、公園のほか、芸術家村やコンサート会場などエンターテインメントにも力を入れている。観光都市の開発事業としては、空中庭園を持つホテルやクルージングを扱ったセンターを作るそうだ。2010年にはカジノやユニバーサルスタジオと提携したリゾート施設がオープンし、夜のF1シンガポールグランプリも開催される予定だそうだ。

 このようにURAでは、これからのシンガポールの未来を垣間見ることができた。

▲ ページのトップへ戻る

後藤 和隆(16歳) 私立聖光学院高等学校1年
後藤 和隆

シンガポールの街づくり

URAではシンガポールの都市開発について学びましたURAではシンガポールの都市開発について学びました
 ツアー3日目、僕たちはシンガポールの官公庁の一つであるURA(都市再開発庁)を訪れた。チャイナタウンの近くにURAの建物は位置していた。

 僕たちは、最初にシンガポール全体を復元したジオラマの前に案内された。ジオラマにはシンガポールの主要な建物がほとんど精密に復元されている。そこでURAのガイドの方から、シンガポールの建物や様々な地域の特徴などについて説明を受けた。

 その話の中で特に印象に残ったのは、シンガポールにある5つの空港のうち、チャンギ国際空港を除く4つの空港は軍用に使用されているということだ。さらに国内の軍用地を全て合わせると、実に国土面積の20%を占める。また男性には兵役が義務付けられているとのこと。これはシンガポールがイギリスから独立し、自衛の必要に迫られているという歴史的背景によるものだが、シンガポールが軍事面に力を入れているという事実は意外に思えた。

 2階から上は、オフィスとシティ・ギャラリーに分かれていて、僕らが案内されたシティ・ギャラリーはさらに5つの主なセクションに分かれており、シンガポール発展の歴史の記録などが展示されている。

シンガポール市街地を精密に復元したジオラマシンガポール市街地を精密に復元したジオラマ
 僕たちはまず3階の、文化遺産の保存についてのセクションへ向かった。URAの重要な役目の一つは、古い建物や街並みを新しい近代的な建物と調和させながら残すということだそうだ。ガイドの方は、「近代的な高層ビルが次々と建設されるシンガポールにおいて、文化遺産の保存は現代化の一部です」と語る。保存される地区が選ばれる基準には、歴史や宗教などの様々なテーマが設定されている。そのテーマに応じて、現在では6500もの建物が選ばれているそうだ。

 また、その保存の仕方としては、一つの建物だけを対象とするのではなく、地域丸ごと保存するという点に特色がある。シンガポールの観光スポットとして有名なチャイナタウンやリトルインディア、アラブストリートなどはその好例だ。イギリス植民地時代に、人々が民族ごとに固まって暮らしてきたという長い歴史を持つそれらの地域では、高層ビルに囲まれながらも、昔ながらの独特な街の面影を残しているのだ。

 次は、様々な都市計画についてのセクションへ向かった。URAでは、古い建物を保存する役割を担う一方で、将来へ向けての都市計画も立てられている。計画の種類は大きく分けて二つある。一つは10年ごとに見直されるConcept Plan。この計画はその名の通り、“概念”に近い大まかなもので、1971年に最初の計画が立てられている。もう一つが5年ごとに見直されるMaster Plan。これはConcept Planより更に詳細な計画で、国民に意見を求めることもあるそうだ。

2009年のオープンを目指す、カジノを中心とした総合リゾートの模型2009年のオープンを目指す、カジノを中心とした総合リゾートの模型
 また、その国土面積が淡路島とほぼ同じというほど小さな都市国家シンガポールにおいては、土地をいかにうまく活用するかというのも重要な課題であるそうだ。まずは埋め立てによって国土を広げるという方法がある。三菱商事のオフィスが入っているミレニアタワーのある地区も、埋め立てによって新たに誕生した地域だそうだ。ただ、他の国との政治的な関係により、埋め立てには限界があるという。他には、MRT・LRTなどの鉄道の高架下に店を誘致し、スペースを有効活用するなどの方法や、今まではあまり活用されていなかった地下の利用も徐々に進んでいるそうだ。

 シンガポールでは建物を建設する際、景観への配慮もなされている。日本でよく見られるネオンサインのような、刺激の強い光は規制されている。シンガポール・フライヤーが夜淡い青色の光を発していたのも、そのような理由によるものらしい。

 天然資源を持たないシンガポールでは、どれだけ魅力ある都市として世界にアピールできるかが、大きな鍵となる。そんなシンガポールでの都市開発の工夫は、同じように国土が狭く、資源の乏しい日本も大いに見習うべきところがあると思った。

▲ ページのトップへ戻る

[広告] 企画・制作 読売新聞社広告局