• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

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vol.6 春休み シンガポール 都市開発プロジェクト体験ツアー

三菱商事シンガポール支店

青山 彩香(16歳) 茨城県立水戸第一高等学校1年
青山 彩香

シンガポールの発展に貢献する三菱商事

 総面積704平方キロメートル。マレーシア半島の先端にある熱帯気候の島国シンガポール。そのシンガポールの都心に立つ、鉛筆のような高いビル。そこに三菱商事シンガポール支店があった。プログラムの2日目、私たちは三菱商事シンガポール支店を訪れ、今のシンガポールについてのお話を伺った。

三菱商事シンガポール支店は、鉛筆のような建物三菱商事シンガポール支店は、鉛筆のような建物
 シンガポールの主要産業は電機・電子、石油化学、金融・サービス、国際貿易である。シンガポールはアジア・大洋州の中心に位置しており、絶好かつ有利・便利なロケーションにあるので、政府はシンガポールを国際都市にすることをめざし、外国企業を積極的に誘致している。法人税を18パーセントとし、海外企業が進出しやすい環境を作っている。これは法人税16パーセントである香港に続いて第二番目に安い法人税であることからも分かる。

 今、シンガポールには中小企業あわせて約2000社の日本企業がある。そのうち約730社は在シンガポール日本商工会議所に加盟する大手企業である。日本企業の数は、世界の中で、上海、タイのバンコクに続いて、3番目に多い。三菱商事では35人の日本人がシンガポールで働いており、仕事は主に管理職で活躍している。

 三菱商事はシンガポールの中でとても評価が高い。三菱商事とシンガポールの歴史は戦前の1917年から始まる。戦後一度オフィスを閉鎖した後、1954年7月、日本で三菱商事が大合同すると、1955年の11月17日には三菱商事シンガポール支店を支店登録し、新たな活動を開始した。

 三菱商事の仕事は大きく二つに分かれる。貿易取引とインフラ開発である。

 まず貿易事業としての仕事は、主にアジア・オセアニア・中東を貿易相手として、化学品、燃料、機械から食品、生活資材までありとあらゆるモノを取り扱っているそうだ。シンガポールの町並みを歩くと、セブンイレブンがいたるところにあった。取り扱っている商品の中に日本語でかかれたものも少なくなかった。日本の製品を異国のシンガポールで見られたことは、三菱商事が行っている貿易事業というものを肌で近くに感じられた場面であった。

数多くのビルの中でも高さはトップクラス数多くのビルの中でも高さはトップクラス
 インフラ事業では数多くの建設を受注し、三菱重工業とともに着手してきた。1970年代後期にチャンギ空港プロジェクトに参加。その他にもごみ焼却炉プラント、鉄道、ホテルやショッピングセンターの建設に携わってきた。質の高い、良いものを提供することが三菱商事のコンセプトだそうだ。また、三菱商事がインフラ事業を受注してきた理由が他にもある。三菱商事は総合商社のネットワークを活かして、政府が発注した事業に最も合った企業を紹介することも仕事である。それはグループ企業の三菱重工業に限らず、SONYであったり、HITACHIであったり、時によっては海外の企業をも紹介する。シンガポールの国のため、よりクオリティの高い技術を持つ企業を紹介する、ということが信頼を高めてきたポイントであり、長きにわたりこの地で仕事をし続けてきた理由のようだ。

 とかく自分の会社の利益だけを追求しがちな世の中において、シンガポールの発展を第一に考えるという姿勢は、私個人としても尊敬すべき会社だと感じた。

 また、三菱商事は、社会貢献プロジェクトも展開している。1993年にはSungei Bulohのナショナルパーク(国立公園)スポンサーとなっている。2005年にはシンガポール動物園のキリンの養育費を負担、動物病院への寄付も行っている。

ミレニアタワー19階から見えるシンガポール・フライヤーミレニアタワー19階から見えるシンガポール・フライヤー
 他にも三菱商事は日々、シンガポールの発展に貢献すべく新しいビジネスを展開している。その第一歩となったのが、世界最大級の観覧車、シンガポール・フライヤーだ。ある時期SARSが流行ったことで、シンガポールへの観光客が激減した。そのため、新たな観光の目玉となるものを探していた政府が、三菱商事にシンガポール・フライヤーの建設を発注した。巨大な観覧車を作るには、とても高度な技術が必要になる。今までの実績をかわれ、三菱重工業がシンガポール・フライヤーを作った。「小高い丘に立つ風車」をイメージして作られたシンガポール・フライヤーは、そのイメージどおり、シンガポールの地に大きな風を運び、シンガポールの新たな象徴となった。また三菱商事にとっても、エンターテインメント産業の進出の第一歩となった。実際そのシンガポール・フライヤーに私たちは乗ったのだが、その巨大さと美しさに驚いた。日本にあるものは、たいてい4人乗りであるが、シンガポール・フライヤーはなんと28人乗りである。貸し切って結婚式も行うことができるそうだ。“上空で永遠の愛を結ぶ”--なんとも夢のある話だ。いずれ来るであろう(?)私の結婚式の候補のひとつとして考えておこう(笑)。

 来年2009年には、ドバイで、三菱商事が受注したDubai Metroという全自動無人鉄道が開通予定だそうだ。

 三菱商事は主に産業・生活基盤プロジェクトで力を発揮している。歩いていると町のいたる所に三菱のロゴマークがあった。海外企業である日本の三菱商事が、シンガポールの建物、交通機関などに数多く関わっていることは、この国における三菱商事の信頼度の高さを強く感じられた。日本人として誇りに思われた。

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椎名 剛士(17歳) 千葉県立市川東高等学校2年
椎名 剛士

アジア・大洋州の中心地 シンガポール

 我々探検隊を迎えてくれた三菱商事シンガポール支店は国の中心地のそのまた中心に位置する最新鋭インテリジェントビルの19階にありました。

 映画などでは観てきておりましたが、その清潔感溢れる街並みに溶け込むかのような景観は、三菱商事のシンガポールにおける期待されている位置づけと重複するかのような印象を受けました。

アジア・オセアニアの拠点・三菱商事。さぁいくぞ!アジア・オセアニアの拠点・三菱商事。さぁいくぞ!
 大変貫禄がありながら、柔らかな口調で優しくお話し頂いた北川支店長の御説明は、私がお聞きしたかったようなお話ばかりで、まさに目からウロコの連続でした。我々高校生を含む一般の方々の「総合商社」への印象は「商売=金儲け」「何をやっているかよくわからない」といった漠然としたものが多いのではないかと思います。しかしながら、北川支店長の御説明はシンガポールの国の誕生の経緯やその特性から始まって、三菱商事が如何にして、現地企業と密接な関係を保ちながらいまの位置づけを作り上げて来たかを、素人向けに解りやすく教えてくださいました。

 シンガポール支店がおこなっている事業は、アジア・オセアニア・中東地域との「化学品・燃料・食品・金属・機械などのあらゆるものの貿易業務」と「発電所・鉄道・ごみ焼却炉プラント・下水処理プラント・商業施設などのインフラプロジェクト」と言えます。スケールの大きさと種類の細かさから、これだけで本が何冊か書けるくらい内容があるのは間違いありません。

 シンガポールでの三菱商事の取扱高は金額に換算すると年間7000億円くらいになるようですが、これをわずか100名足らずの人員で成し遂げているのですから、更に驚かずには居られませんでした。

 そうなると「なぜシンガポールで三菱商事がここまで大きなビジネスを行うことが出来るようになったか?」という疑問が生まれます。これは我々探検隊のシンガポール支店訪問の大きなテーマでもあります。

三菱商事からのシンガポールの眺望は絶景でした!三菱商事からのシンガポールの眺望は絶景でした!
 第二次世界大戦時に交戦地域であった日本とシンガポールですが、三菱商事はシンガポールの独立以前、20世紀の初めから、アジア太平洋地域におけるシンガポールの立地の優位性を見越して進出してきていました。大戦によるオフィス閉鎖も乗り越えて、シンガポールの独立と日本の高度経済成長が重なったこともあって、両国の信頼関係はまず経済繁栄の形で構築されていきました。

 シンガポールの国力を表す数字の指標として国内総生産GDPがUS1320億ドル(日本の経済規模の3%)や一人当たり名目GDP世界第20位(日本は14位)があります。国家の誕生40年にして、しかも千葉県の総人口にも満たないわずか459万人でこの数字を作りあげてきた実績は、凄まじい成長力と眼には見えない国民の努力が窺い知れます。

 国土が狭く資源が乏しいシンガポールの成長の秘密は、アジア・太平洋・中東各地域に対するハブ機能を十分に発揮した経済構築でした。

 国の繁栄という目的をもって、その手段になる空港や港湾を作り上げ、各種最先端技術を磨いたシンガポールの人々の技術に関する評価は大変厳しいと聞きます。その厳しい審査に適って三菱商事が多くの仕事を引き受けて来られたのは、明治以降の移民の方たちが培った友好的な人間関係と世界に冠たる三菱グループの技術力を評価されて来たからに他なりません。

北川支店長と仲間たち。楽しい時間を過ごさせて貰いました北川支店長と仲間たち。楽しい時間を過ごさせて貰いました
 以下にシンガポールの世界ナンバー1・TOPクラスのものをランダムに上げると(1)チャンギ国際空港16年連続世界のベスト空港、(2)コンテナ取扱量世界一(世界の4分の1)、(3)海底石油採掘リグ生産世界一(世界シェア5割)、(4)航空機の機体修理アジア一位、(5)熱帯魚輸出世界一位などなど枚挙に暇がありません。これらの多くに三菱商事はいろんな形で係わっています。

 今回の訪問により、今まで漠然としていた総合商社の役割がより私たちの生活に身近なもので重要で意義あるものであると教えて戴くことができました。

 また北川支店長の「日本がどんな力をもっているかを知って、新しい事にチャレンジして欲しい」という言葉が強く心に残りました。アジアの中で確固たる地位を築き上げたシンガポールの繁栄に三菱商事が大きく寄与してきたことは、日本人の一人としてたいへん誇りに感じると同時に、近い将来、両国がさらに進んだパートナーシップを結ぶことにいつか私も貢献してみたいと強く思うようになりました。

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前田 翼(16歳) 石川県立金沢泉丘高等学校1年
前田 翼

変わりゆく商社~三菱商事シンガポール支店

 到着後、最初に訪問した場所、それが三菱商事シンガポール支店だった。シンガポール都心群にそびえ立つミレニアタワーの中にある。

 最初のプログラムということで、緊張気味にタワーに向かった僕だが、社内に案内されると緊張は感動に変わった。

三菱商事の入るミレニアタワーを見上げる。青い空に映えて美しい三菱商事の入るミレニアタワーを見上げる。青い空に映えて美しい
 僕たちは、オープンしたばかりの、世界最大級の大観覧車「シンガポール・フライヤー」が目の前に見える支店長室で、北川支店長から三菱商事シンガポール支店のミッションについて説明を聞いた。支店長はとても気さくで話しやすい方だが、同時に大物のオーラを放っていた。思わず背筋が伸びたほどである。

 三菱のシンガポール進出は1917年、その後、第二次世界大戦にオフィスは閉鎖されたが、1955年に今の三菱商事シンガポール支店が誕生した。この国は資源がない。経済発展のためには、他の国々の協力が必要不可欠である。外国の企業を誘致することで、国内の技術力や経済力を高めるのである。

 三菱商事は、1970年代にチャンギ国際空港、1980年代には主要ホテル、ショッピングセンターの建設に携わった。その後、ごみ焼却炉プラントや下水処理プラント、発電所、鉄道などインフラ関連のプロジェクトに乗り出した。

 ショッピングセンターの建設など中程度の技術が必要とされるものは、現地や中国企業でやれるようになったが、ごみ焼却炉プラントなど、高度な技術を要するものは、まだまだ日本企業が強い。特にごみ焼却炉プラントは、国にある4つのうち3つを、三菱商事と三菱重工業のコンビが建設した。僕は、三菱商事の事業が現地の人々の生活に深く関わっていることに大いに驚かされた。

シンガポール・フライヤーからミレニアタワーを見る。鉛筆のような形が特徴的シンガポール・フライヤーからミレニアタワーを見る。鉛筆のような形が特徴的
 しかしインフラ開発にも限界がある。国土の狭いシンガポールにはこれ以上のごみ焼却炉プラントは必要ない。発電所も同様である。

 そこで三菱商事は、それらの「運営者」になることも考えているという。シンガポール政府は、経済の安定に伴い施設運営の民営化を考えているから、そこに新しいビジネスを見つけようという試みである。

 また、政府は観光にも力を入れている。そこで三菱商事は、シンガポール・フライヤーの建設に携わり、さらに新しい分野でのプロジェクトや、シンガポールの発展を担うインフラに着目してきた。まさに三菱商事は、シンガポールの発展に伴い、ビジネススタイルを変化させてきたのである。

 僕は、これらのビジネスで三菱商事がうるおうだけではなく、現地の人は利便性、シンンガポールという国家は経済成長といった大きな果実を手にすることに感動を覚えた。いずれもハッピーというわけだ。

 僕は支店長に「僕たちが生きていく上で、大切なことは何か」という質問をした。支店長からは「新しいことにチャレンジして人間の幅を広げて、大きな土台を持った人になってほしい。チャレンジし続けることが大切だ」という返答をいただいた。この言葉からも、北川支店長が、また三菱商事が、常に新しいビジネスに挑戦していく“チャレンジャー”であることがうかがえる。

 今回の訪問で、僕は商社というものに、一層の興味が沸いた。扱うものは限りがない。

 とにかく印象に残ったのが、現状と共に変化し、新しいビジネスを見つけだそうとする商社の精神、そして商社マンはチャレンジャーだということである。これからも三菱商事は、変化とともに挑戦し続けるだろう。

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