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トップ>研究>三陸沿岸からみる災害地域再生の法的課題(後編)

研究一覧

中澤 秀雄

中澤 秀雄 【略歴

教養講座

三陸沿岸からみる災害地域再生の法的課題(後編)

中澤 秀雄/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学

前編から続く。前編では災害関連法制の不備および財産権と補償について扱った)

4.防災とまちづくり

 防潮堤をめぐる軋轢は、今次震災からの復興過程における一大特徴である。気仙沼市は大島という自然の防潮堤に守られた内湾の景観が美しく(写真3)、「南イタリアを思わせる」という観光客もいる。この内湾に漁港施設・造船所・水産加工工場などが林立し、「魚の町」と呼ばれるにふさわしい景観と生活様式を作り出してきた。しかし、宮城県は「命を守る」というかけ声のもとに、県内沿岸に例外を認めずTP(東京湾海面を基準にした標高。したがって構造物そのものの正確な高さではない)7.2mの防潮堤を建設する予定だ。気仙沼ではこの計画発表以来、市民の反対の声は非常に強く、1年半経過した現在でもこの問題が燻っているために、市街地中心部の復興が進んでいない。宮城県が譲る気配を見せないので、気仙沼市ではコンペ方式で内湾復興計画を募り、大林組などが提案した、湾口に「浮上式防潮堤」を作る案を採用するというウルトラCを演じて、内湾をとりまく堤防の建設を回避しようとした。この試みは、「浮上式防潮堤の安全性は検証されていない」という村井・宮城県知事の鶴の一声で挫折した。2012年8月からは市民有志が「防潮堤を勉強する会」を立ち上げて、何とか宮城県に妥協を求める道がないのか探っている。こうした軋轢は陸前高田市でも起きている。

写真3 美しい気仙沼内湾の風景

 防潮堤の高さは都市計画の基本となるため、この件が落着しない限り「魚の町」の心臓部の将来像を描くことは出来ず、水産加工工場や関連産業も立地できないため、雇用は悪化したままとなる。人口流出は止まらず町には沈滞ムードが漂っている。かといって県に妥協して内湾に巨大な防潮堤を作ることは、気仙沼の水産・観光業にとって自殺行為だと多くの市民(特にビジネスリーダーたち)は考えている。

 しかし法的に、気仙沼市の海岸線の大部分は県土木事務所・港湾事務所、または国(水産庁・林野庁)の持ち物であり、市が関与できる余地は、行政法的に言えば存在しない。8月16日に気仙沼市役所内で開催された「防潮堤を勉強する会」において、「県・国の皆さんは口を開けば住民合意とおっしゃっているが、合意のとりまとめをするのは誰で、何をもって合意とするのか」という質問が住民から出た。県(土木事務所)・国(林野庁)からの参加者は誰一人として回答を持ち合わせていなかった。地元自治体が総合的な絵を描こうとしてもできない都市・地域関係法の問題点を考えさせられる。

5.中央地方関係

 上記のように復興過程全体を通して、地方分権とは何だったのか、と脱力してしまうような状況が普遍的だ。三陸沿岸の副市長は、ほとんど国(特に国土交通省)・県からの派遣人員で占められている。防潮堤の事例を典型として、国と市、県と市が対等の関係ではないと実感させられる現実が多い。国が圧倒的な財力と権限を持ち、それを媒介する県が決まった制度を自分たちの都合の良いように解釈し、市町村が振り回されるという構図である。市町村は日常事務に忙殺されているため、自分たちから問題提起していく余力が残っていない。他市町村からの応援職員は入っているが、必ずしも有効に機能していない。それというのも三陸沿岸のように地縁血縁が強く集落ごとの歴史的経緯を抱えている地域では、よそ者による政策・利害調整に限界があるためだ。

 さらに、復興局面に入ってくるほどに、在東京のマスメディアが流す情報が三陸沿岸の現実から乖離している実感は強い。たとえば今夏には、復興予算の遣い残しをやり玉にあげて「もっとスピードアップを」と中央メディアは力説しているが、上記のような気仙沼の現実をみたとき、進まない原因は県の力が強すぎることにある。そのような具体的制度に則した現実が、東京からは見えていないようだ。オリンピック報道のお祭りの中で、思い出したように「気仙沼出身で故郷に銀メダルをもたらした千田健太選手」を持ち上げるのが関の山である。千田一家と気仙沼の人々の地道なフェンシングへの取り組みは、それはそれで別の長いストーリーがあるのに、それを東京人に分かりやすい図式に回収してしまう。

 だからメディアという面でも中央地方関係を考えさせられてしまう。改めて新聞とテレビを全国的統合した1920-50年代の政策がもたらした副作用は非常に大きいが、ただ幸いにも三陸沿岸は、多くのローカルメディアが生き残り、この副作用がなかった場合を観察できる絶好の場所である。宮城県の県紙は河北新報、岩手県は岩手日日であるが、沿岸市民としての日常生活には、これら県紙だけでも不十分なのだ。市レベルで存在する新聞(陸前高田なら東海新報、気仙沼なら三陸新報)を毎朝読んで、はじめてローカル経済社会の動態を理解できる仕組みになっている。

 公共交通についても、中央地方関係を考えさせられる。気仙沼で宮本常一の仕事を改めて読み直す機会があったが(気仙沼大島には、神奈川大学常民文化研究所が管理する宮本の「漁業文庫」があり、宮本民俗学は気仙沼に浅からぬ縁がある。これも注目されにくい三陸の地域資源だ)、例えば『著作集第2巻 中央と地方』は今にも通用する記述で溢れている。この中で宮本は、周防大島の人々が納めている税金額に対して報われる額が極めて少ないという数字で運輸省を説得し、本州・九州・四国・北海道以外の島で唯一、ようやく国鉄バスが走ることになった経緯に触れている。地域社会が納めている税金が、どうして僻地と言われる場所にはなかなか環流しないのか。気仙沼が蓄えた冨と人材の仙台・東京への流出は甚だしいものがある。冨の環流として、一時的な道路建設(三陸道)だけで終わらせるのではなく、公共交通を継続的に、公共的な資金で支えるという議論はもっとなされるべきではないか(写真4 バスシステムとして仮復旧した気仙沼線)。同じ漁業の町として、岩手県の三陸鉄道や千葉県の銚子電鉄の奮闘には学ぶべきところがある。

写真4 バスシステムとして仮復旧した気仙沼線

6.新しい公共と大学

 「新しい公共」とも言われる、NPO/NGO/ボランティアが織りなす領域に関しても、多くの法的課題が残されている。「NPO/NGOの二重性」という指摘があり(仁平典宏)、国際レベルを活動の場とする団体については資金を集められるが、そうでない団体については資金繰りに窮して撤退するものも多かったという現実がある。国際レベルの団体といっても、じつは外務省がODA資金の一部を振り向けて設立したJapan Platformという団体が資金的に一頭地を抜いていて、とくに岩手県エリアで発言力が強い。日本の「新しい公共」は、残念ながら国家資金頼みの現状から脱していないのである。一方で、市民ファンド(参考: 「東日本大震災が示唆する共助社会の金融システム」http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20110725.htm)と言われるスモールマネーの循環が注目されたが、これを立ち上げる仕組みにも、ひるがえって一般市民が投資する仕組みにも、まだまだ工夫の余地があるだろう。たとえば被災地の報道が減少するにつれ、代表的な市民ファンドである「セキュリテ被災地応援ファンド」(http://oen.securite.jp/)の調達金額は目に見えて鈍っているという。

 前編の冒頭に、「一見さんボランティアに出来る分かりやすい仕事はもはや残っていない」と述べた。しかし、被災地にボランティアの姿がなくなった訳ではなく、NPO/NGO/大学などの組織としての活動は続いている。ここでいう「ボランティア」とは、もはや世間一般に流布している誤解が想定するような、「分かりやすい需要・ニーズに対応して労力を提供する人たち」ではない。言葉の原義である「志願兵」に近く、「自ら志願して地域再生のために自分に何ができるか考える人たち」である。誤解を避けるためには「地域再生志願兵」とでも呼ぶのがよいだろうが、適切な言葉を思いついた人は教えてほしい。

 これからさき大学に出来ることは、何よりも本来の機能である研究による地域貢献である。陸前高田については、民俗文化を踏まえたグリーン・ネットワーク構想を理工学部の谷下先生が提唱されている(参考URL:http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20120416.htm)。気仙沼についても、いくつかの大学と連携しながら、「気仙沼ネットワーク大学」として市民を巻き込んだ地域資源掘り起こしプロジェクトを展開できないだろうかというアイデアがある。

 単発の公開講座のようなものなら、若干の有志を集めれば直ぐ実現できる。しかしそれでは教える側にも教わる側にもゴールが決まらないだけでなく、本気で地域人材を育成するための体系性・継続性がなく、長続きしないだろう。これらの出張遠隔講義にきちんと単位認定機能を付与して、継続参加して卒業論文を書いた市民に「三陸発地域資源コーディネイター」等の称号を付与する、というような仕組みが継続的にあるとよい。被災地だからといって、いつまでも手弁当で教員が出向くということでは、継続しないから真の地域再生にはつながらない。災害は忘却されるし、市民も自立に向けて歩んでいる。正式な大学ビジネスとして展開するからこそ、新しい地域マネーの流れと雇用が生まれるのだ(シンプルに言えば大学の気仙沼サテライトキャンパスを維持するための雇用と経費に、徴収した授業料を充てるということ)。大学が地域の雇用を支える英国のようなモデルが、日本でも、もっと普遍化してもよいと思う。

(追記: 2012/9/22河北新報によれば、宮城大学と兵庫教育大学が、10年間の協定期間で共同教育事業を開始するとのこと。提携先は宮城県・大崎市・白石市・気仙沼市・南三陸町。両大学は課題発見解決型の「コミュニティ・プランナー」を育成する課程を作るとしている。上記6.に描いた構想は、まずは被災地での活躍が目立つ宮城大学が実現することになったが、いずれにせよ、このようなプラットフォームに多くの大学資源が連結することになるとよい)

参考
中澤 秀雄(なかざわ・ひでお)/中央大学法学部教授
専門分野 政治社会学・地域社会学
東京都出身。1994年東京大学卒。2001年東京大学から博士(社会学)の学位を取得。札幌学院大学社会情報学部講師、千葉大学文学部准教授を経て2009年から現職。日本社会学会、地域社会学会等に所属。主著は新潟県の原発問題を扱った『住民投票運動とローカルレジーム』(ハーベスト社)や廃棄物・原子力・環境文化等のテーマを幅広く扱った『環境の社会学』(共著、有斐閣)など。前者により第5回日本社会学会奨励賞、第32回東京市政調査会藤田賞などを受賞。