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オピニオン一覧

谷下 雅義

谷下 雅義 【略歴

陸前高田ふるさと再生の支援:千年を見据えて(前編)

谷下 雅義/中央大学理工学部教授
専門分野 都市工学、空間計量分析

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1. はじめに

 数百年に一度といわれる東北地方太平洋沖地震から1年が経過した。1万5千人を超える方がなくなり、いまでも3千人を超える方が行方不明となっている。原発事故も重なり、34万人を超える方が避難あるいは転居を余儀なくされている。

 たままた被災しなかった私たちがすべきこと、そしてできることは何か? 私は2つの問題意識から、昨年4月からチームをつくって陸前高田とかかわっている。一つは、夢や希望の再生への支援である。夢や希望は「誇り」から生まれる。私たちは、被災された方々の「誇り」に気づくきっかけを与えるお手伝いができるかもしれない。もう一つは、日本の社会構造や制度の再構築である。都市や農山村の疲弊また行政や議会に漂う閉塞感、そして地球規模での環境問題への対処が求められている中、震災復興は、既存の制度や枠組み、そして専門分野を超えてこれからの新しい社会構造をつくる機会ではないか。

 本稿は、昨年9月までの2つの報告(CHUO Online、中央評論)以降、陸前高田に、どんな動きがあり、また私たちが、何を学び、どんな活動してきたのか、について述べる。

2. いま被災地で

 ひと冬を越えた仮設住宅では、阪神・中越などでの経験を踏まえ、孤独死防止活動が積極的に続けられている。たとえば、168戸の仮設住宅があるモビリアでは、陸前たがだ八起プロジェクト新規ウインドウの蒲生さんらが中心となり、見守り活動や集会所などの被災者のみならず、外部の支援者との交流の場づくりが行われている。遠野まごころネットや金沢大学は被災者の「つぶやき」を通じて被災者に寄り添う足湯などのサービスも行っている。また地元住民の発意によって生まれ、彼らが主体となって運営するコミュニティカフェ「りくカフェ新規ウインドウ」(高田町鳴石)は、内科・消化器科の医院や歯科医院と隣接していること、またネットが使えるという環境もあり、全国から支援にきた大学生や若者などの情報の編集発信の場にもなっている。昨年12月こうした支援団体のネットワーク化も行われた。

 まちにおいては、まず少なくない工場が内陸部に移転した。そして仮設の商店街が、用地が確保できたところに次々とつくられている。最新の状況は、かながわ金太郎ハウス作成の「陸前高田新店舗マップ新規ウインドウ」でみることができる。この地図からわかることは、まちの中心が、高田町から竹駒町や米崎町に移動したということである。仮設の店舗が多いものの、震災後のまちの形に大きな影響を与えることは間違いない。

 漁業については、共同漁業がはじまっている。私が今年3月にお邪魔させていただいた広田のある漁港では、地盤沈下が最小限で使用可能な岸壁を利用して9世帯でワカメの収穫を行っていた(写真1)。

写真1 ワカメの収穫~この日は約4トンの収穫

 このワカメは漁協を通して販売するとのことであったが、生産者と消費者が直接取引し、中間マージンをカットできれば、互いに満足度は高くなる。これからはウニの季節である。津波によって海底のヘドロが掃き出され、カキの成長がはやくなったという話も聞くが、陸前高田ではあと1年は要する見込みである。

 もう一つの動きは、震災語り部ツアー新規ウインドウが始まったことである。陸前高田同様、大きな被害がでた南三陸ではいち早く、ホテル観洋を拠点として行われていたが、陸前高田でも観光物産協会を中心に準備が進められ、3/16には視察ツアーが行われた。第1次産業が中心だった地域において、6次産業化にあたり「観光」は重要な産業である。

 その他、経営塾や「なつかしい未来創造株式会社新規ウインドウ」による起業支援なども行われ、地域資源を生かして雇用の場をつくる努力が続けられている。

 以上の「しごと」の再生と並ぶ被災者にとっての関心事は「すまい」の再建である。漁業集落(広田地区など)では、集落が一体となって再建を図ろうという動きがみられるが、まちの方では必ずしもそうではない。高台移転を図る事業手法としては、低地を「移転促進区域」として公有地化する防災集団移転促進事業(国土交通省)や私有地のままかさ上げして住宅などをつくることができる漁業集落防災機能強化事業(水産庁)があり、それらの事業連携も含めて検討されている。その他、公営住宅のための用地の確保や、低地のかさ上げも含む土地区画整理事業の検討が進められている。防潮堤の高さも含め、これから行政との話合いがはじまる段階である。

 こうした集落での活動とは別に単独で再建を図る人たちも少なくない。次に来る津波は数十~数百年後だと判断している人、またしごとによって選択肢が変わる人、そしてしごとやすまいの不安が健康にも影響を及ぼす。まさに「時間との勝負」の時期にある。

 

3. 行政の活動

 こうした民間の動きの中、行政も復興計画作成に向け、睡眠時間を削って活動を行ってきた。多くの市民がそうであるように行政職員の多くも被災者である。復興関連の事業は被災前の事業のペースとはまったく異なる速度で進んでおり、事務処理、調整能力が圧倒的に不足する状況にある。

 昨年9月「東日本大震災復興交付金」(被災自治体の復興計画に基づき、各省の対象事業について内閣府がまとめて予算要求し、各市町村に交付金を一括して渡す仕組み)が3次補正予算に計上される。10月に対象40事業が示され、12月にようやく予算が衆議院を通過した。そこから各市町村は1月末までに提出が求められた交付金の資料づくりに追われた。陸前高田では復興計画を議会の承認事項としていることもあり、復興計画は12月に決める必要があった。50人からなる復興計画検討委員会は、当然十分な議論は期待できない。11月から駆け足で各地区での住民説明会が行われた。

 防潮堤については2つの大きな方針が示された。1つは今回のような大津波対策として「津波防災地域づくりの推進に関する法律」が12月に成立したことである。これは津波対策を防潮堤のみに頼らず、避難路の確保や土地利用規制などソフト対策とセットで、都道府県が地域ごとに協議会を設けて検討するものである。

 もう1つは、数十年~百数十年程度で発生している比較的頻度の高い津波に対し、三陸沿岸全体について防潮堤の高さを決めたことである。設計対象津波群を対象に、海岸堤防による「せり上がり」を考慮して決められた。陸前高田では、被災前の4.95~6.5mの計画堤防高から、その2倍以上の12.5~12.8mの高さが提示され、かつ当初、復興庁に示された計画では、その工事が今年4月からはじまるとされた(3月26日時点の復興庁のサイトにおいても多くの漁港で4月から工事着工となっている)。

 復興計画では、この12.5~12.8mの高さを前提に、今回と同じ津波が来て防潮堤を越え浸水した場合の範囲と深さのシミュレーションを行った結果、市庁舎の場所は浸水深が3m未満になると推定されたことから、5mのかさ上げをすれば住宅を建設可能であるとされた。当然、防潮堤や水門は、持続的に維持管理され、今回と同じ津波が来ても壊れないという前提である。

 海と生きてきた漁港において、そうした高さでは、海が見えなくなるのみならず、出入り口が限定され、漁業活動に支障を生じる、魅力がなくなってしまい、観光客のみならず、若者さえいなくなってしまうなどといった多くの意見が出されている。

 本来、防潮堤の高さは、土地利用計画や避難システムとセットで、かつ建設費のみならず長期間の維持管理費用も含めて議論されるべき事項である。集落ごとに海岸の利用や環境、景観、経済性、維持管理の容易性などを総合的に考慮して設定(所管省庁間や隣接海岸間で整合性を確保)することが大きな課題となっている。陸前高田では3/28から広田地区で協議がはじまったが、1つのネックは、この防潮堤の建設は、あくまでも災害復旧事業としてなされるということであり、市民との協議によって堤防高さをより低くして、その分、高台に居住したり、避難場所や避難路の確保を図るという計画をたてたとしても、節約できた費用をこうした事業に転用できないことである。

 またこうした防潮堤、土地区画整理事業やメモリアル公園などの内容は、住民も議員も十分理解できない中で計画が決定した。住民参加も含めて、とにかく復興交付金を得てから、という空気の中にあった。加えて今年3月末が2回目の復興交付金の締切であり、市町村はその作成に追われた。

4. 陸前高田の歴史文化を生かす

 秋以降、私たちは仮設住宅での暮らしやすまいの再建について、行政だけでは不足する情報を市民に提供する活動を行ってきた。内閣府の専門家派遣制度を利用した勉強会や地形模型を囲んでのワークショップ、またこの3月には広田および長部地区において、中央大学を含む約30名の学生が地元の方から学ぶスタディツアーも行われた。あわせて、高田松原地区においてみられた液状化現象新規ウインドウや広田で明治および昭和三陸津波の経験からつくられた津波記念碑新規ウインドウの分布について調査するなど、今後各集落、地区での具体的な復興計画を考えるにあたっての基礎となる情報収集を行った。国名勝・高田松原については、「高田松原を守る会」の皆さんから、その再生に向けたさまざまなお話をうかがうとともに、どうすればより早く松原の再生ができるかについて意見交換を行った。また広田町根岬地区では、津波記念碑にある「これより低地に住家つくるな」という教えを守り、今回の震災では15m近くの津波が到達したにもかかわらず一人も死者を出さなかったことなどを学んだ。低地を漁業のための作業場所や畑地として利用しながらの暮らしは、津波対策の原型であると確信した(写真2)。

写真2 広田町根岬漁港(辻野五郎丸氏撮影)

<*後編に続く

参考文献・URL
お知らせ

中央大学では、4月27日(金)9:20-15:00多摩キャンパスCスクエアホールにて、春休みボランティア報告会を兼ねたシンポジウム「気仙沼・陸前高田とのぎりすび」を開催予定です。詳細は学生課までお問い合わせください。

谷下 雅義(たにした・まさよし)/中央大学理工学部教授
専門分野 都市工学、空間計量分析
石川県出身。1967年生まれ。
1992年東京大学大学院工学系研究科博士課程中途退学 博士(工学)
東京大学助手、東京大学大学院工学系研究科専任講師、中央大学理工学部専任講師・助教授・准教授を経て2008年より現職。
専門:都市工学、空間計量分析
現在の研究課題:自動車の外部費用と関連税制、地区計画・建築協定が不動産市場に及ぼす影響、歩行空間の生理的評価、公的空間のマネジメント組織など。