• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

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vol.2冬休み タイ 自動車プロジェクト体験ツアー

生活文化体験

細川 恵里クラーク記念国際高等学校1年・稲澤真樹子北海道立札幌南高等学校2年
細川 恵里 細川 恵里
稲澤真樹子 稲澤真樹子

お寺を巡る修行の旅……? ~生活文化体験~

朝、水上から地上を見る。この日は、そんな、いつもとはちょっと違うところから始まった。船で水上を進んでいくと、私たちとは反対の方向に進む船と何度もすれ違った。そこには、船に果物などを積んで、それを売って生活している人たちがいた。

水上生活するタイの人々 水上生活するタイの人々

船で対岸を行き来し、仕事に行く人たちがいた。水上生活をする人々にとって、ある意味で水は欠かせないものであり、かけがえないものなのだと思った。

船からは、水上生活をするタイ人の生活が見えた。水の上に木を組み、その上に家を建てる。まるで、昔……そう、教科書に出てくる縄文・弥生時代の高床式倉庫を思い出させるような家々が建ち並んでいた。「簡単に崩れてしまいそうだ……」と思った。

とうもろこし型のアンコールワットの模型(カンボジア式) とうもろこし型のアンコールワットの模型(カンボジア式)

そんな家々をよそに、ひときわ目立つ建物たちがある。そうだ、寺院なのだ。暁の寺院・エメラルド寺院・涅槃(ねはん)仏寺(ワット・ポー)・王宮。どれもきれいに塗装が施されていて、そこだけまるで別世界のようだった。

実際、寺院に行ってみると、そこは私が想像するよりはるかに豪華な世界だった。建物の中は赤・黄色・金!! そんな色たちが私の目に飛び込んできた。建物の外観は大きく分けて3つの種類があり、それは国を表す特徴であった。

タイの特徴──角がある。カンボジアの特徴──トウモロコシのような形をしている。インドの特徴──釣り鐘のような形をしている。わかりやすい例でいうと、アンコールワットという遺跡を聞いたことがあると思う。あの遺跡は、建物の上部が縦に長く、トウモロコシの形をしている。

金ピカの仏像 金ピカの仏像

アンコールワットは、カンボジアの遺跡だ。タイは昔、近隣の国と戦い、負けたり勝ったりを繰り返したそうだ。そうするうちに、いろんな国の文化が混ざったのだろう。ほかでは見られないものだと思った。

サム・ガーム寺院で、直接僧侶のお話を聞いていたときも、私は金ピカに光る仏像が気になっていた。日本の仏像というと、奈良の大仏を思い浮かべる人が多いと思う。そのイメージしかなかった私にとって、金色の仏像はとても驚きだったのだ。

私は、仏像があまりにも光っていたので、僧侶に「仏像は毎日掃除をするのですか?」と尋ねてみた。お寺によって多少違いがあるそうだが、見習い僧が毎日掃除をしているそうだ。本尊はとても大切だとおっしゃっていた。

角が特徴(タイ式) 角が特徴(タイ式)

また、金色の仏像とともに赤い天井が目を引いた。天井が赤いのには、(1)運を呼ぶ(2)赤は仏像の金色によく合い、きれいに見えるという2つの意味があるそうだ。

お寺は神聖な場所。だから、重々しい雰囲気があり、室内もどちらかといえば暗い感じだ。だが、金色と赤……目が覚めるような空間だった。どれも私の予想とは異なっていたため、とても驚いたし、気になることが多かった。

いくつもの寺院に行ったが、どこに行っても現地の人がたくさんいた。みな仏 に手を合わせていた。タイの人々の、仏や神に対する尊敬や崇拝の念が伝わる ものだった。約95%が仏教徒のタイだからこそ、見られた光景だったのではな いかと思う。

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藤野 真莉佳東京家政学院高等学校2年・柳田 由美東京家政学院高等学校2年
藤野 真莉佳 藤野 真莉佳
柳田 由美 柳田 由美

水上生活

チャオプラヤ川からの風を受けながら、ボートに乗り運河を走っていくと、水上生活をしている民家が現れた。それらの家は、水位が上がっても浸水に耐えられるように、床を上げて作られていた。日本では、台風や豪雨に対応するために堤防が街全体を守り、運河で直接生活をすることはない。

水上生活の民家 水上生活の民家

タイでは運河そのものが生活の一部に組み込まれているのだ。河に向かってパンを投げてみると、魚が集まってきた。餌付けをされているわけでもないのに、すごい数だ。この魚は食べられるらしいが、あまりおいしくないそうだ。

仏教寺院

中央にそびえ立つ大仏塔 中央にそびえ立つ大仏塔

暁の寺院(ワット・アルン)は、朝日を浴び神々しく光輝く姿が、この名で呼ばれる由来となった。暁の寺院は、下から悪魔・猿・人間・天女・神様という4つの姿から成り立っている。大仏塔と4基の小塔があり、それらのすべてが細やかな陶器の破片によって作られている。破片が光に反射して、寺院がきらきらと光り輝いているように感じた。オリエンタル版ステンドグラスといった光景であった。

最上部へ登りたかったが、残念なことに立ち入り禁止で登ることはできなかった。きっと最上部から見る眺めは、チャオプラヤ川や王宮を一望することができてきれいだろう。朝日がモザイク状の陶器に反射して美しかったが、月明かりを反射した夜景を眺めるのも一味違って美しいだろうと思った。

王宮

王宮は、タイ王朝の記念建立物でもあり神聖な場所である。したがって、服装もしっかりとしなくてはならず、少々緊張気味に見学した。広大な敷地の中、王宮の中にきらびやかな宮殿がたくさんあり、王朝の気品の高さを醸し出している。ラーマ1世から8世までが居を置いていたと聞いて、仏教を中心として政治的に安定していたのだろうと想像できた。

ギンナリーの像 ギンナリーの像

遺骨を納めるための仏塔もたくさん見られた。種類は3種類あり、仏教の発祥の地であるインド式、隣国であるカンボジア式、タイ式が見られ、正に仏教文化の集大成であった。貿易などで海外文化が到来したことにより西洋文化が取り入れられた建物「ボロム・ピマーン殿」は、ラーマ6世のために建てられ、7世から9世により御所として使用され、現在は迎賓館として使用されている。

一昔前は、国防省や外務省もあったそうで、王宮が政治の中心の場であったことがうかがえる。王宮の中では、人間と鳥が合体した像(女性はギンナリー、男性はギンノンという)がいくつも見られた。これは、親孝行な子供が「夢物語」で見ることができるものの象徴だそうで、両親を敬うことは、すなわち国を敬うことに通じるのではないかと感じた。ちなみに、私たちの夢にはいまだに出てこない……。

タイの人はとにかく両親のことを大切にするところが良いと、バスガイドのマノーさんに聞いていた。この像を見て、昔からこの習慣が根強く続いているように感じた。日本の私たちの世代がどれだけ両親を大切にしているか。少々気恥ずかしい気持ちになった。

エメラルド寺院

回廊 回廊

仏教寺院の中で最も重要な建物であり、本堂に入るときは靴を履いてはいけない。靴は、悪魔が履くとされているからだ。タイは天然資源が豊富で、現在でも9種類の鉱物が採れる。仏像(本尊)は高さ66cm、幅48.3cmの美しい翡翠(ひすい)で出来ている。仏像の周辺は、タイの鉱物や宝石であるサファイア、ルビー、トパーズなどで飾られ、さすがに王朝の守護寺院であることを意識させられた。

堂内の壁一面に仏陀の生涯が描かれており、天井は天国を示す赤色、花飾りは金色である。仏教寺院や仏像の持つ意味は、国の繁栄の象徴という意味合いが濃いが、正しく贅(ぜい)を尽くすことには、繁栄を願う王宮の魂が込められているのだなと感じられた。日本も仏教国であり、時の政治において象徴的な寺院や仏像が建立されていて、そこに込められた願いは万国共通であるのがわかる。

また、エメラルド寺院は、インドから伝わった物語が描かれた回廊に囲まれており、仏教のルーツが1つであるのが分かる。この物語は、美しい妻が誘拐され、それを助けるための戦の様子が描かれている。そしてその中には、人間と猿軍が一団となり、誘拐した悪魔の王を倒したエピソードが描かれている。困難に立ち向かい、国や民を守る精神が、守護寺院に祈念されているのだろう。

涅槃仏寺

涅槃仏寺(ワット・ポー)には、長さ46m、高さ15mの巨大な寝釈迦仏がある。もちろん名の通り、寝た状態のお釈迦様である。日本にある釈迦仏はあぐら座ばかりであるが、なぜ寝ているのかは名称のとおり、涅槃(ねはん)に至る最後の姿であるからだそうだ。

お釈迦様は人間と違う身体的構造が32か所見られ、中でも特徴的なのは、牛のような目、ライオンのような鼻に福耳、扁平(へんぺい)足、そして天然パーマであり、各部分に人間にはない能力が見られた。また足の裏には、108面の螺鈿細工(らでんざいく)でバラモン教の真理が描かれている。

敷地内に在る仏塔は、タイルの破片で装飾されている。そしてそのほか、仏塔の1つ1つが歴代の王のことを表している。涅槃仏寺は伝統的タイ式マッサージの総本山として知られており、最近人気のヨガの像やツボを示す図もよく見かけられ、東洋医学の一端を垣間見た。

仏教体験

僧侶が学生に勉強を教えている様子 僧侶が学生に勉強を教えている様子

サム・ガーム寺院で、僧侶に直接お話を伺った。僧侶はオレンジ色の袈裟(けさ)を着ていた。袈裟は男性しか着ることができない。仏教の教えは227の厳しい戒律から成り、酒を飲むこと・うそをつくこと・結婚をすること・殺生をすることなどを戒めている。僧侶は結婚できないと知ったとき、とても驚いた。きっと結婚は煩悩の表れなのだろう。

また、食べてはいけないものは水牛・豚・鳥・虎・蛇である(現代食は合成物が多いが、その中には動物性の食材が多く含まれている。僧侶は合成物を食べず、自然食だけを食しているのだろうか……?)。 大学を卒業した僧侶もいることから、土・日には学生に勉強を教えており、ワット・ポーでその光景を見ることができた。単に僧侶としては終わらず、勉学での師として万人に尽くすことは頭の下がる思いであった。

また、お釈迦様から伝えられた約8万を超える仏教関係のことが書いてある書物を「仏教大教典」といい、膨大な数の教えが書いてある。なるほど生涯をかけて修行するわけだと知った。お祈りは、ひじ・ひざ・額を床につける動作を3回する。1回目はお釈迦様のため。2回目は経典に対して。3回目は僧侶のため。その後、自分の心の中の悪魔に対して祈ることが大事であり、その順番に重みがあるのだろう。

タイではお釈迦様がとても尊敬され、仏教への信仰により文化が形成されていることがよくわかる。仏像は金色で、日本の仏像とは異なりきらびやかで、同じ仏教国の文化の相違点がとてもよく感じられた。日本ではあまり見ることのない、色鮮やかな寺院はとても見応えがあった。

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江口 洋丞国立東京工業高等専門学校1年・小坂 典嵩国立東京工業高等専門学校1年
江口 洋丞 江口 洋丞
小坂 典嵩 小坂 典嵩

アジアの色彩

「今日はクリスマスか」などと思いながら、ホテルのすぐ脇を流れるチャオプラヤ川を運行する船に乗り込み、プログラム2日目が始まりました。それでは、タイの生活文化体験についてリポートしていきたいと思います。


風情漂う水上生活

チャオプラヤ川を進む船上から望む朝のバンコク チャオプラヤ川を進む船上から望む朝のバンコク

チャオプラヤ川には、たくさんの浮き草が浮いていました。それはもう、スクリューに絡まってしまうのではないかと心配になるほどでした。実はこの浮き草は、インドネシアから導入された優れもので、水中の栄養物を吸い上げ、BOD(生物化学的酸素要求量)を下げ、水を浄化し、においを抑えるそうです。

チャオプラヤ川から支流へ入っていき、次第に人々の生活の色が見え始めます。そこでは、家が建っているのに軒下は川という不思議な光景を目にすることができます。川の上までせり出している家々は、「川岸にある小さな家を始点として、増築していくうちに川の上にまでかかった大きな家になってしまった」と表現するのが適当かなと思います。

浮草と水上住宅 浮草と水上住宅

ですから、家の形態としては川にぷかぷか浮いているのではなく、川底に柱を立てそれを基礎にして家が建っている状態です。見たところ、出入り口も「陸口」と「川口」の2つあるように見えました。川口の方は階段で川まで下りられるようになっていて、そこに食事を販売する船がこぎ着けて、住民が階段で座って食事している姿も見られました。

川の近くにちらほらと建つ寺院の辺りには、残飯を狙って大きなナマズのような魚が川岸に群がっていました。非常にインパクトのある光景でした。

朝日に輝く暁の寺院仏塔 朝日に輝く暁の寺院仏塔

ハイブリッド形状のワット・アルン ―暁の寺院―

仏塔は、陶器や陶器を砕いたような形をしたタイルで外観が飾られ、上から3分の1がカンボジアスタイルのトウモロコシ型、下から3分の2がタイスタイルの形となっています。第一印象は、栃木県の日光東照宮に似た印象を受けましたが、70m級の仏塔やタイル張りの迫力に、また違ったものを感じました。

泰洋折衷の見事な王宮

秦洋折衷の洋館 秦洋折衷の洋館

王宮は東京ドーム4.6個分の面積があり、その周りは1900mの壁で囲まれています。中には、独特な形をした建物がたくさん並んでいます。王宮内にあるチャックリー・マハー・プラサート殿は、タイの豊かな国際性を物語る建物だと思いました。洋館の上にタイ風の屋根をポンと乗っけたような姿をしており、この建物を見て、とても新鮮な衝撃を受けました。

建築に詳しいわけではありませんが、日本にいて、異文化建造物の屋根を瓦でふいて鯱(しゃちほこ)を付けた建物は見たことがありませんでした。日本であれば、洋風の建物は外観を1つのテーマに統一し、日本文化を融合させたような内装にすることが一般的であると思います。ですから、洋館の上に誇らしげに乗っている屋根が、とても大胆で斬新に見えました。この建物は現在、迎賓館として使用されており、王様は別の場所に住まわれているそうです。

金色に輝く仏塔 金色に輝く仏塔

僧のいない不思議な寺院 ―エメラルド寺院―

王宮内の壁で囲まれた区画に、仏教関係の建物がいくつも並んでいます。その中でもひときわ目を引く建物が、金色の仏塔です。中に仏舎利(ぶっしゃり)が安置されていて、外装は金箔のタイルで覆われており、遠くから見ると黄金で出来ているように見える建物です。インド風のスタイルが取り入れられており、四隅がギザギザしたタイのスタイルではありません。

四隅がぎざぎざのタイスタイル 四隅がぎざぎざのタイスタイル

東へ進んでいくと、ラーマ1世から8世までの彫像が安置されている、ロイヤルパテオンという建物があり、右に折れるとエメラルド仏寺院本堂があります。本堂の中には、高さ66cm、横48cmの、エメラルド色の翡翠(ひすい)で出来た仏像が高いところに置かれており、そこからは土足禁止、写真撮影禁止です。物語になっている壁画が壁一面に繰り広げられ、高い天井と独特な模様、色使いが相まって、厳粛な空間となっています。

寺院と教育は切り離せない ―涅槃(ねはん)寺―

屋根の内側に人間の体についての図が並ぶ建物 屋根の内側に人間の体についての図が並ぶ建物
長さ46mにもなる涅槃仏 長さ46mにもなる涅槃仏

訪問したのは日曜日。学校の制服を着た子供たちが、寺の至るところにいました。タイの国立学校は、寺院の中にあったり隣接していたりと寺院との関係が深く、日曜日になると僧に勉強を教えてもらう子供もいるそうです。ですから、寺院は日曜日が忙しいとガイドの方が言っていました。

実際に勉強を教えている僧の姿を見かけました。各地にある寺院は、学校がなかった時代から教育の場としての役割が大きかったため、現在でも教育に深いかかわりを持っています。特に、この寺院はタイ最初の大学としても知られており、また、タイ式マッサージの総本山となっています。境内には、タイ古式マッサージにおける、最も格式が高いマッサージスクールがあります。

寺院は道を挟んで、北ゾーンと南ゾーンに分かれており、後者に庫裏(くり)があり、およそ300人ほどの僧が生活しているそうですが、一般公開はされていません。北ゾーンには全長46m、高さ15mにもなるリクライニングブッダ(涅槃像)と呼ばれる、寝転んだ姿勢をとった仏像があります。

市民生活と仏教

訪問したサム・ガーム寺院は、スコータイ王朝の時代(13世紀頃)から存在しているという歴史のある寺院です。この寺院の僧たちの1日は朝5時の座禅に始まり、夜8時30分の読経(どきょう)で終わります。そして、朝、托鉢(たくはつ)に行き、昼間大学に行く僧や寺に残って勉強する僧など合わせて27人の僧と、2人の見習い生が生活しています。

サム・ガーム寺院全景 サム・ガーム寺院全景

タイでは習慣として、男性は見習いを経験することが一般的なのだそうです。これは親孝行のため、自分が一人前になるため、死後極楽浄土に行くために行われるそうです。

また、タイにはたくさんの僧がいますが、タイの男性が僧になる理由は大きく分けて2つあるそうです。1つは徴兵から逃れるため、もう1つは純粋に僧侶になりたいためです。タイでは、18歳以上の男子に対して徴兵が行われています。僧やその見習いになっていればそれが免除されますが、10年ほどしっかりと仏教について勉強し、僧の道を目指さなければならないそうです。

訪問の最後に記念写真 訪問の最後に記念写真

ここまで意識して男性と書いてきましたが、タイでは女性が僧になることはできませんし、希望しなければ軍に行くこともありません。また、女性は僧に触れてはいけません。日本も仏教国ですが、両国の仏教常識の違いに驚かされました。

最後に、お祈りの方法を教えていただきました。まず、つま先を立てて正座し、お釈迦様と経典、お坊さんに対して1度ずつ、合計3回拝みます。落ち着いて願いごとをして、また3回拝みます。

拝むときには、ひじ、ひざ、額がぴったりと床につくようにし、祈るときには背筋を伸ばして手を前で合わせます。この体勢を数分に渡って維持するのはとてもつらいです。つま先を立ててする正座は、短時間でも結構厳しいものでしたが、思い出してみると僧の方はお話中ずっとその体勢で座っておられました。

まとめ

この日はタイの人々の生活に最も近づき、見聞きするプログラムでした。あらゆることが自分にとって新鮮で、世界が広がった1日でした。

サム・ガーム寺院では、日本ではできない貴重な体験をすることができ、観光では見えてこないタイの日常が見えた気がしました。日本もそうですが、大都市にはたくさんの川が流れているものだなあという印象を持ちました。

この日を「自分の世界が広がった日」として、自分の目で見たものや自分の耳で聞いたものをずっと心に焼き付けておきたいと思いました。

[文責:江口]

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南 遼立教池袋高等学校2年・足立 圭桐光学園高等学校2年
南 遼 南 遼
足立 圭 足立 圭

仏教体験

3日目、僕たちはいつものバスではなく、水上バスに乗り、水上生活を見た後、徒歩でワット・アルン、エメラルド寺院、ワット・ポーを訪ねました。タイは全人口の95%が仏教徒のため、タイの文化を知ろうと思ったら、おのずとタイの仏教を知ることになりました。


チャオプラヤ川での水上生活 チャオプラヤ川での水上生活

そして知っていくうちに、タイの人々にとっての仏教は、日本人の想像以上に歴史的・文化的結び付きが深いこと、日本の仏教とタイの仏教が、同じ仏教といえども人々の生活における役割が全く違うということを感じました。

僕が、日本の仏教とタイの仏教が異なっていると一番感じたところ、それは生活に仏教が浸透しているということでした。タイの小学校のほとんどが寺やその周りに建てられており、ワット・ポーでは、僧侶が小学4年生ぐらいの子に英語を教えている姿を見ることができました。日本では見られない光景で、一瞬、違和感を覚えたのですが、なぜだかその姿を見ているうちにほほ笑ましく感じるようになりました。

寺で僧侶が勉強を教えています 寺で僧侶が勉強を教えています

聞いた話によると、タイの僧侶は時々このように小学生に勉強を教えるらしいのですが、もちろん僧侶の義務ではなく、自主的にやっているらしいのです。また、タイの男性のほとんどが、成人になると3か月間僧侶になり、修行をするそうです(ちなみに我らがガイド兼通訳、マノーさんは……10日だそうです)。

このことから、タイの仏教がいかに生活に深く結び付いているか、またタイの95%もの人々が仏教徒である理由、そして日本にはない仏教の素晴らしさを感じることができました。 

きれいに撮れたから載せちゃいました きれいに撮れたから載せちゃいました

タイの仏教は、セイロン(現スリランカ)、ビルマ(現ミャンマー)、カンボジア、ラオスなどに広まった、小乗仏教の一種です。特にカンボジアから伝わった仏教については、「暁の寺院」にも見られるトウモロコシ型の塔が有名で、タイの仏教に与えた影響は大きいそうです。この小乗仏教が伝わったのは意外に遅く、13世紀のスコータイ王朝のころといわれています。

また、先ほどお話ししたように、生活と深く結び付いています。日常生活においても細かい戒律が定められています。例えば、頭は精霊の宿る場所と信じられていて、むやみに触ってはいけないとか左手は不浄とされており大切なものを触ってはいけないだとか、人の足をまたいではいけないなど、細かい点まで定められています。

さて、僕たちはワット・ポーを出て、ワット・サム・ガーム寺院で仏教体験をすることになりました。寺院の周りは住宅街で、寺院そのものは、寺というよりも礼拝場のようなイメージを受けました。中に入ると、正面には金色のさまざまなポーズのお釈迦様がおり、赤い床に赤い天井が神秘的に見えました。

白いのが猿、緑は悪魔 白いのが猿、緑は悪魔

そこで、1人の位の高い僧侶と、僕らよりも少し年上の2人の若い僧侶と会いました。位の高い僧侶は威厳のありそうな、しかしその中に優しさもありそうな方でした。そして若い2人の僧侶は、年こそは近いものの、何か僕らでは近づきがたいオーラが出ているように感じました。

そして、寺院内で僧侶からいろいろな話を聞きました。その中でも僕が驚いたことは、僧侶の生活が戒律で厳しく制限されていることです。仏教には細かい規律があり、その中にはタバコを吸ってはならない、酒を飲んではいけない、結婚をしてはいけない、女の人を触ってはいけないなど、厳しい戒律が8万以上もあるそうです。

僧侶 僧侶

食事についても、牛を食べてはならない、またぼんやりしてはいけない、親孝行をしなければならないなどの戒律もあります。この戒律を守り僧侶になることは一人前を意味し、親が幸せになったり、自分が死んだとき極楽浄土に行くことができると信じられています。

そして、最後に僕は「袈裟(けさ)」を着させていただくことになりました。「袈裟」とは黄色の生地でできた、僧侶の修業着です。この「袈裟」は、2枚の生地のものや3枚のものなど、正式には3種類あるそうです。今回僕は2枚のもので、若い修行僧が着ているものと同じものを着させていただきました。

大勢の人が信仰している仏教。その神聖なものとされている「袈裟」を着てみると、何か仏教の重みのようなものを感じ、自然と背筋が伸び、またほとんどのタイの仏教徒が尊敬している僧侶と同じ格好をすることで緊張し、自分で体が固くなっていくのがわかりました。

このように、僕らはタイの仏教が人々の生活にいかに密着しているか、またいかに厳粛であるのか、そしてタイの国民の95%もの人が仏教徒である理由を知ることができました。このことを通じて、タイの国民性の良いところも見えたと思います。僧侶が小学生に勉強を教えている姿を見て、衝撃を受けました。

タイは発展途上の国で、バンコクはこれからどんどん都会になり、経済的にも豊かになっていく中で、このような、日本では忘れられつつある心を忘れないでほしいと思いました。

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