Suankularb Wittayalai School(スアンクラーブ・ウィッタヤライ・スクール)という、中高一貫男子校に行ってきた。バスを降りて、案内をしてくれる男の子たちについていく。周りをキョロキョロしながら、部屋に入って口をあんぐり。
「なぜ学校にこんなゴージャスな部屋が!?」
赤いじゅうたんが敷き詰められた応接間のようなところに連れて行かれ、そこで少し男の子たちと話してから、「school museum」を案内してもらった。
タイの学生は、積極的に話しかけてきた。
「May I hear your name, please?」
おぉ、さっそく名前を聞いてきた。
「My name is Makiko Inazawa. Please call me Maki」
少しだけ緊張しながら、自分の名前を告げる。「Maki」という名前は発音しやすかったようで、なぜかほかの生徒にもちょくちょく呼ばれるようになった。
「School museum」を案内して(というよりも、説明をして)くれた男の子は、どうも英語が苦手なようで、ちょくちょく英語が得意らしい男の子に「I need you! Please help me」と言っていた。あえて英語で言ってくれたのか、英語で説明していたから自然に出てしまったのかわからなかったが、私たちは顔を見合わせて笑ってしまった。みんな笑っている。笑いは、世界共通なんだな、と思った。
それから、図書室にも連れていってもらった。座って話をする時間があまりなかったので、移動するときにいろいろなことを話した。クラスの人数は大体50人くらいだということ、サッカーがとても人気のあるスポーツだということ、そして、先生がとても厳しい(!)ということ。
学校の男の子たちは常にニコニコして話しかけ、またこちらの話も聞いてくれるので、だんだん緊張はほぐれていった。
しかし、思ったことが1つ。タイの学生は失敗を恐れずに、ボディーランゲージを交えながらどんどん話しかけてくる。文法の誤りなんてお構いなしだ。が、私は彼らが言っている言葉でわからない単語があるとすぐに硬直。頭の中で英作文をしてから話すという、何ともチキンな行動を繰り返していた。
タイ人の彼に聞いてみると、学校の授業では「話すこと」をとても重要視しているそうだ。やはり、ほかの参加者を見ても、「言ってることはわかるけど、話せない」という人が多い。日本の学生は、インプットはできてもアウトプットができない、という印象を持った。自分のことながら。
図書室では、たくさんの食べ物を振る舞ってもらった。入り口には、見覚えのある豆のお菓子(ISUZU SHOWでいただいた)。私は面食らって、ずっと横にいてくれた彼に聞いてみた。
「いつも図書室にお菓子が置いてあるの!?」
彼は「今日は、特別」と言ってにっこりほほ笑んだ。
それから奥に進んでいくと、さらなる食べ物が出現! 揚げた春巻・生ギョーザ(生春巻?)・ココナツミルクの入ったかき氷……と、まさに至れり尽くせり。私たち2人が「これも食べるの!?」と立ち尽くしていると、たくさんの手が伸びてきて、紙皿に盛られた料理が差し出された。笑って受け取ったが、結局全部は食べ尽くせなかった。
「タイのシンボルは何?」と聞くと、「象・優しさ・笑顔」だと答えてくれた。全くそのとおり、タイの男の子たちはみんなとても紳士的で、面白い人ばかり。そして何より、みんな笑顔がすてきだった。国が違っても、互いに理解し合える言語があれば通じ合える。言葉の可能性を感じた。
期待と不安を抱きながら、Suankularb Wittayalai School(スアンクラーブ・ウィッタヤライ・スクール)に到着した。校門にて先生方と大勢の生徒たちによって手厚く迎えていただいた。最初に、学校のPresentation Roomに案内され、歓迎のあいさつを受け、学校の紹介ビデオを見せていただいた。
この学校は、11歳から18歳までが通う中高一貫教育の学校とのことだった。私たちの学校も中高一貫の学校だが趣は大きく違い、伝統のある学校で、以前の首相の何人かを輩出した学校であった。エリート学校と判明し、ちょっと気後れ気味になった。そんな中でお互いの自己紹介が始まった。
英語で何と話そうか考えに考えていたが、いざしゃべる段になると頭の中は空っぽ状態で、緊張のピークだった。何を話したか訳がわからない状態で、結局身振り手振りに終始したような感じであった。何とか終わったときは放心状態であった。
学校の中はとても広く、博物館があると案内された。その部屋の中には、学校の歴史が書いてあったり、創設者の写真、鐘、代々の制服などたくさんの展示物があった。とても流ちょうな英語で説明を受けたが、正直日本語発音の私たちには単語を拾うのがやっとであり、理解できないことだらけだったのが本音だった。
タイの学生はnative speakerのようで、私たちは自分たちの英語能力の低さに思いっきり落ち込んだ。日本人は、英語ができてもヒアリングが弱いと思う。ヒアリング力を高めるため、日常に英会話を取り入れた学習の習慣づけが必要であることを思い知った。
図書館までの移動中に、グランドの横を通りかかった。大勢の学生たちがサッカーをしていた。聞いてみると、タイではスポーツの中ではサッカーが一番人気らしい。サッカーの様子を見ながら歩いていると、あちこちで私たち集団を見ているではないか。ここは男子校なので、女子が珍しいのだと教えられた。手を振る人や、中には投げキッスをする生徒までいて、とても驚いた。日本から来たので珍しい思いで見ているのかと思ったが、ちょっと意味が違ったようだ。
図書館の中には、パソコンやたくさんの本があった。私たちの学校の図書館によく似ており、親近感がわいた。隣の本棚のある部屋にはたくさんの料理が用意されており、私たちが驚いて見ていると、先生が必死に「クリスマスだけです。普段はありません」と説明されていた。ここでは、用意されていた、日本では見たこともないようなカキ氷や赤い色をした飲み物について話が弾んだ。
最後に、お互いに質疑応答をした。最初にタイのシンボルについて質問をしたところ、タイは「ほほ笑みの国」「ワット・ポー」「象」「優しさ」などが挙げられた。確かに人々の顔には笑みがあり、仏教国の象徴の釈迦仏や夫々の像、そして国民性の優しさなど、折に触れすべて感じていたことばかりだった。
次に日本の印象について聞いてみると、「ハイテク技術」「品質管理」「優れた製品でも低価格」といった、経済や技術に関するものが多かった。タイの現地企業にどれだけ日本がかかわり浸透しているか、見聞したことがそのままの答えになっていた。
また、タイがもっと日本と仲良くなるには、交換留学の機会を設けることがよいと話していた。同じ東南アジアとして、タイとシンガポール間ではすでに交換留学が行われており、成果が出ているとのことである。
交換留学は同じアジアに対する視野を広げ、コミュニケーションをとる機会として大いに役立つと思う。太平洋戦争の苦い思いがあるが、今のタイの学生たちにはその過去がみじんも感じられず、日本人として真からその実現を願った。
タイには、多くの日本企業が進出している。そんな中で「日本の企業で働きたいか?」との質問をした。歴史的なことを考え、少々不安に思っていると、タイの生徒たちは皆「働きたい!」と答えた。
働きたいとは、日本企業に対して悪いイメージはなく、私たちの持っていた不安は杞憂(きゆう)であることがわかった。互いの国の交流をもっと深めていくことが、互いの発展につながることを確認できたのは大きな収穫であった。
まだまだお互い質問したいことがあったが、閉会の時間となってしまった。最後に私たちはジャイアンツのボールを彼らに渡し、「野球をすることがあまりないタイの国でもキャッチボールをしてほしい」という思いと、「タイと日本と異なる国ではあるが、言葉のキャッチボールを通して心が通じ合ってほしい」という2つの意味を込めプレゼントした。彼らはとても喜んでくれ、1つの思いが通じたことを実感した。
ほんの数時間の触れ合いであったが、タイの人の温かさや、同じ接点を持っていることなどたくさんの発見があり、とても有意義であった。最後まで、彼らはほほ笑みと優しさに満ちた人たちであった。
バンコク市内の「スアンクラーブ・ウィッタヤライ・スクール」では、現地の学生との交流会が行われました。この学校は中高一貫の男子校で、タイ国内でも有数の上流学校のようです。
お互いに、英語による自己紹介から開始しました。最初に現地の学生から紹介していただいたのですが、英語の水準の高さに驚かされてしまいました。そして、学校紹介のビデオを視聴した後に、しばしのコーヒーブレーク。
しかし、同年代の生徒たちとの話が弾み、用意してくださった食べ物に手を伸ばす暇もありません。幸い、先方の中に日本語を話すことができる生徒もいたため、彼の助けも借りながら会話をしていくことができました。
思い浮かばない単語や表現に歯がゆさを感じながら話していくと、英語では一枚上手の彼らに押され気味の会話になってしまいました。言葉の壁を感じると同時に、英語をうまく使いこなせない自分への悔しさもこみ上げてきます。ですが、逆にコミュニケーションをとるためには言語の習得が大切だと再認識させられました。また、それ以上に大切なのが、進んで挑戦する姿勢だと思いました。
校内を案内するために次の場所へ向かう途中でも、生徒たちとは多くの言葉を交わすことができました。校内にはなんと、立派な図書館や博物館が設置されています。博物館には学校や国についての資料が展示されていて、学校の生徒たちにとっても特別な場所のようです。
また、図書館には多くの蔵書が収められていて、中には多くのタイ料理やデザートが用意されていました。暑い国らしく、辛い料理も多くありましたが、皆でおいしくいただくことができました。しかし、ここは図書館です。これも文化の違いということなのでしょうか。
最初の部屋に戻り、お互いに質問を出し合いました。これまで見学してきた場所で、多くの日本製品を見ることができたため、「日本の製品についてどう思うか?」と伺ったところ、“cool”や“good”という言葉が飛び交いました。
また、「自分も持っている」と、カメラを指さす生徒も。これは誇らしいことですが、“expensive!”という声もあり、まだまだ課題は多そうです。日本企業へのイメージは良いようで、「日本企業に就職したいか?」という問いには、いすゞなどの自動車メーカーを始め多くの日本企業の社名を挙げてくれました。
こうして彼らを見ていると、しっかりとした目標を持っていて、自分たちと比べて考えさせられる部分でもあります。また、インターネットを通してなど、日本とタイの友好関係を良くしたいという言葉もありました。
異なる文化を持つ人々、それも同世代の人々と話し合うことは、相手のことについて学ぶことができると同時に、自分たちのことについて見つめ直すいい機会になりました。
[文責:小坂]
今日は、僕たちが最も楽しみにしていた企画である交流会だ。タイ人が日本、日本人をどのように思っているか。タイの僕たちと同じ年代の人々は、どういうふうに生活し、どう思っているか、僕たちと違うところ、同じところを知りたかったからだ。
交流会をするに当たって、双方の第2外国語である英語を使うということだったのだが、正直、あまり英語で話したことがなく、通じるのか、聞き取れるのか、不安だった。しかし、僕はあまりタイにおいて英語が話されているわけではないので、自分と同じくらいの片言の英語だろうと勝手に予想していた。
しかし、この僕の勝手な予想は学校に着いてすぐに外れることになる。うまかった、英語が、みんな……。発音もいいし、僕が知っているか知らないかぐらいの難しい単語を使ってくる。そして何よりも、すぐ言葉が出てくる。
僕が英語で話そうと思っても、すぐには言葉が出てこない、1回1回単語を英語に変換し、文法に合わせて組み立てていく、しかしそれもなかなかスムーズにはいかなかった。ところどころ、これでよかったんだっけ? というような疑問が出てくる。テストじゃこんなところで迷わないのになぁ……と思いながらタイの子たちを見ると、スラスラと言葉が出てくる、まるでタイ語から英語へ変換をしていないようだった。
聞くだけなら、ほとんど完ぺきだった。でもしゃべれなかった。だんだん自分に腹が立ってきた。向こうがしゃべりかけてくれているのに、「うん」とか「タイは初めてだよ」といったように言葉を返すことしかできず、受動的になっている自分が悔しくなってきた。
ちょっとクサいが「会話はキャッチボールだ」という名言? があったが、そのとおりだと思った。自分から話しかけなければ、ボールは帰ってこない! 1歩前に出なければ! さっそくターゲット? を決めて話しかけてみた。
「名前何ていうの?」から始まり、「何年生?」「何かクラブやっているの?」。簡単な質問だったが、自分でいうのもなんだがパーフェクトだった。自信がついたとまではいかないが、これがきっかけとなり、いろいろな人に話しかけることができた。
でも、やはり1歩踏み込んだ話になると、なかなか単語が出てこなかった。この表現、英語の小林先生に教わったのになぁとか思いながら歩いていると、「君がいなくなるとさみしいよ」「あなたは私の大切な人です」。あまり普段使わない日本語が聞こえてきた。
ちょっとウケた。どっから調べたのだろう、歌詞かな? 名前を聞いてみた。「Per」というらしい。Perとはいろんなことを話し、仲良くなった。ずっとしゃべっていたので、あやうくみんなに置いていかれそうになった。
Perは高校3年生の男の子で、この交流会外の生徒だ。Perはアドレスを聞いてきた。しかし僕は自分のアドレスを覚えていない。南なら携帯に僕のアドレスが入っているのだろうが、その日は携帯を持っていってなかったらしい。なかなかアドレスを教えられない。
するとさらにタイミングが悪く、DISCUSSIONで部屋に戻らなければならなかった。DISCUSSIONの最中、Perは外で待ってくれていた。僕は実際、そこまでしてくれるとは思っていなかった。僕がもしPerだとしたら、おそらく途中で帰ってしまっているだろう。ここまでしてくれたのに、結局アドレスを教えることができなかった。代わりにだが、Perのアドレスを教えてもらった。
そして最後に、みんなで記念撮影をした。みんな、気さくでいい人ばかりだった。帰り際まで僕らはしゃべっていた。バスに乗る前、Perに「アドレス教えられなくてごめん」と言ったのだが、予想もしなかった言葉が返ってきた。
「本当に自分のアドレス知らなかったの?」
なんでPerがこのようなことを言ったのかわからなかった。少しショックだった。本当に教えたかったのに……しかし、バスに乗ってすぐに、僕が言った「アドレスを教えられなくて」というのは、本当は知ってるのに教えないというニュアンスであることに気づいた。普通に考えればこのようなことは絶対に言わないのだが、あまり考えず軽い気持ちで言ってしまった。
最後に、僕はとんでもないことを言ってしまった。ショックを受けるのは、僕ではなくPerのはずだ。僕は英語でしゃべることの怖さを知った。しかしこれで消極的になるのではなく、逆に積極的になって、英語を早く習得したいと思う。
◆ ◆ ◆
ちなみに僕(南)の経験も書いておくと、僕は自分の不注意さに腹が立った。それは、学校内でフランス人の子と出会ったのだが、その子と話していくうち親しくなれた気がしたのだが、「What’s your name?」と聞かれ、「RYO!!」と答えたのだが、逆に聞き返した相手の名前を注意して聞いてなかったのだ。
正直、普段人の話を聞いていないと言われることが多々あるのだが、日本人同士(親しい人同士)なら簡単に聞き返すことができるため、あまり気にも留めていなかった。しかしそのとき、フランス人の彼にもう一度聞いたら失礼になってしまうと思い、聞き返すことができなかった。
彼が「RYO」と呼んでくるたびに、自分が情けなくなっていった。今思うと、あのとき聞き返していた方がよかったように思う。そして僕は、異文化交流(この場合はそうでもない?)は積極的にいくのと同時に、いつも以上に言葉を選んで、丁寧にいかなければならないと思った。
結局、僕たちはタイの学生がどのように考え、日本に対してイメージを持っているかを聞く以前に、異文化交流の難しさについて思い知らされることとなった。最後に、今度またタイの人と接する機会があったら、絶対に意思の疎通をうまくとり、タイのことをもっと聞きたいと思う。