広告 企画・制作 読売新聞社広告局

読売ICTフォーラム2022
~生命(いのち)の本質からICTの未来を考える~

 進化するICTにより実現する未来の日本社会やライフスタイルについて識者とともに考える「読売ICTフォーラム2022」を3月29日に開催した。2001年にはじまり、今回で20回目をむかえた「読売ICTフォーラム」。
 今回は「生命(いのち)の本質からICTの未来を考える」をテーマとし、継続するコロナ禍で見えてきたICTの恩恵や課題、人間の本質やあるべき姿について考え、テクノロジーと豊かに共存し、サステナブルな社会をいかに構築していくかについて議論した。

主催:読売新聞社 協賛:NTT

採録特集掲載中
2022.3.29(火)
オンライン開催

パネルディスカッション

「生命の本質からICTの未来を考える」

福岡 伸一 青山学院大学教授・生物学者
稲見 昌彦 東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野教授
伊藤 亜紗 東京工業大学未来の人類研究センター長

司会:畑下 由佳(日本テレビアナウンサー)

AIにはない人間だけが持つ創造性(福岡氏)
福岡 伸一

福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
青山学院大学教授・生物学者

畑下

 福岡先生は、未来のテクノロジーから生物が学ぶものがあるとすれば、どういうものだと思いますか。

福岡

 人間ができてAIができないことをきちんと考えておくべきだと思います。AIは膨大なデータを蓄積し、忘れることもなく、そこから最適解を導きだすことができますが、それは将棋の解法のようにパターンが有限である場合です。一方人間は、無限の可能性の中から、履歴に基づかない判断ができ、あるいは自分自身を壊すことによって創造することができます。

畑下

 自分自身を壊すというのは、具体的にどういうことでしょう。

福岡

 基本的には忘れるということです。生物にとっての記憶とは、脳にハードディスクのようなものがあって物事が記憶されているというより、その都度記憶が新たに作られるものと考えられるようになってきています。そして、必ずしも履歴に基づかず、無関係なドットをつなぎ合わせて新しいものを作れるのが人間の創造性です。そのあたりのことを見失わないようにしないといけないと思います。

畑下

 ここからはフリートークです。先生方、お互いに聞いてみたいことがありましたら、聞いていただきたいと思います。

稲見

 人間は日々食べ物から栄養を摂取していますが、情報を食べ続けているともいえます。このことについて福岡先生にうかがいたいと思います。

福岡

 非常に鋭いご指摘です。われわれは様々な情報を絶えず言語の形で取り入れ、自分の中で解体して新しい価値に置きかえています。本来他者であった情報が、自分自身の文脈の中で自分の情報に変わっていく。その意味では、分解と合成ということが、食べ物を食べる時だけでなく、ロゴスの中でも起きているといえるのかもしれません。

伊藤

 福岡先生は基調講演で、生物学の歴史をさかのぼる形で生命観を問い直したという話をされました。そこだけ取り出すと科学は退化しているといえなくもありません。もちろんそんなことはないと思いますが、科学から何か大事なものが失われている気もします。そのあたりのことについてうかがいたいと思います。

 稲見先生にも質問です。稲見先生が扱われている合体や分身の感覚は、自他を分けないという意味で東洋的な感じもします。海外で発表された時の反応に文化の差を感じることはありますか。

畑下

 まず福岡先生、お答えいただけますか。

福岡

 確かに昔の人のほうがいいことをいっていると思うことはあります。ただ科学がロゴス的な営みである以上、視野狭窄に陥ってしまうのは仕方がありません。しかし、その分言葉の解像度があがっているのです。顕微鏡の倍率をあげていくと、ミクロの世界がより見えるようになる一方で、視野が狭まり照度がなくなっていくのと同じことです。常に自分が見ている視野が何につながっているのかということを、自分自身にフィードバックすることが大事なのではないかと思います。

畑下

 続いて稲見先生、お願いします。

稲見

 失ったものを元に戻すことは比較的受け入れられやすいのですが、欧州などでは、それまでなかったものを拡張することに少し抵抗感があるようです。また、第3、第4の腕のヒントは、興福寺の阿修羅像や千手観音ですが、そういう像が身近にあるかどうかで反応は違ってくるのかもしれません。もっともどの地域でも、神話時代までさかのぼれば多様な身体の像があるので、まったくわかりあえないということはない気がします。

畑下

 私も稲見先生に1つ質問です。けん玉ソフトで一度できるようになった技は継続してできるのですか。

稲見

 われわれの記憶はすごく忘れやすいですが、体の動かし方を忘れるのは難しいものです。逆に下手な癖をつけてしまうと、なかなか消すことができません。そういう場合、今後の研究としては、どのように正しく上書きするかという点が重要になると考えます。

畑下

 視聴者の皆様からいただいた質問にお答えいただきたいと思います。50代男性から伊藤先生への質問です。格差の拡大や社会的弱者に対して、テクノロジーは何ができるでしょうか。

伊藤

 テクノロジーは安いものではないので、お金を持っているかどうかで享受できるものに格差が生じてしまうというのはありうることで、とても怖いと思います。例えば分身ロボットの場合、病気などで外出できない人が持っている必要はありません。公衆電話のようにいろいろなところにあって、誰でも使えるというような、社会として望ましい形を探していくのが大事なのではないかと思います。

畑下

 60代男性から稲見先生への質問です。ICTの利便性の裏にあるリスクと、それを未然に防ぐ倫理やマネジメントについて、どのように思われますか。

稲見

 便利なものには大抵副作用があります。コンピューターの漢字変換を使っているうちに漢字が書けなくなるのも、その一例です。新しい技術を開発する時に、どういう副作用が起きるのかを考えますが、その予測はとても難しいものです。まず少人数のコミュニティーで試して悪いところを洗い出して改善するということが必要です。そのためにメタバースのようなものを使ってもいいのではないかと思います。

畑下

 30代女性から福岡先生への質問です。再生医療やその研究におけるICTの活用についてのお考えをお聞きしたいです。

福岡

 難しい問題をはらんだ質問ですね。ICT技術が人間の体を解析して的確に診断し、適切な薬を選んでくれるということもありうるかもしれません。ただ、そうした技術が人間の内部に侵入することは慎重に考えなければいけないと思っています。

 動的平衡の観点からいうと、生命はエントロピー増大の法則に抵抗しつつも、それを打ち負かすことはできません。老化や死から完全に逃れることはできないのです。人工的なテクノロジーが人間の内部に侵入した時、生命から何らかのリベンジを受け、思わぬことが起こりうるかもしれません。ICT技術が人間の健康に寄与する部分とそうでない部分を見極める必要があります。

▲ ページトップへ

読売新聞オンライン