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読売ICTフォーラム2022
~生命(いのち)の本質からICTの未来を考える~

 進化するICTにより実現する未来の日本社会やライフスタイルについて識者とともに考える「読売ICTフォーラム2022」を3月29日に開催した。2001年にはじまり、今回で20回目をむかえた「読売ICTフォーラム」。
 今回は「生命(いのち)の本質からICTの未来を考える」をテーマとし、継続するコロナ禍で見えてきたICTの恩恵や課題、人間の本質やあるべき姿について考え、テクノロジーと豊かに共存し、サステナブルな社会をいかに構築していくかについて議論した。

主催:読売新聞社 協賛:NTT

採録特集掲載中
2022.3.29(火)
オンライン開催

基調講演〈2〉

生命をとらえなおす

福岡 伸一 氏 青山学院大学教授・生物学者

蝶の羽化を観察し、生命について考えた少年時代
福岡 伸一 氏

福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
青山学院大学教授・生物学者
1959年東京生まれ。京都大学卒および同大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員、京都大学助教授などを経て現職。「生命とは何か」を動的平衡論から問い直した『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』シリーズなど著書多数。

 澤田社長の格調高い講演を受けて、今一度生命とは何かということを考え直してみたいと思います。それが理解できていないと、ICTをどのように発展させていくかを考える際にも困難が生じてしまいます。

 私は昆虫少年で、卵から育てた蝶が、さなぎから羽化する劇的な変化を一心不乱に観察したものです。さなぎの中で幼虫の細胞は一度すべて溶けて、そこから新しい創造が生まれます。破壊と創造が起きているわけですが、その現実から、少年ながらに「生命とは何か」を問いました。それは少年の素朴な問いであるだけでなく、人類最大の問いです。最先端の科学や文学、芸術、あるいは哲学や技術の問いでもあります。

 生命が何かという問いを探求するため、近代科学は生命をどんどん細かいレベルに解体し、ミクロの世界を解明していきました。細胞の1つひとつはたんぱく質分子の集合体で、細胞核の中にDNAという細い糸が折りたたまれています。20~21世紀に分子生物学が大発展し、このDNAのすべての遺伝子の暗号を解読し、ヒトゲノムを完全に解明しました。そこには細胞で使われている2万1000種類ほどのたんぱく質の設計図が書きこまれていて、無限の神秘であった細胞の内部は有限だと解明されました。私たち分子生物学者には細胞はコンピューターの基板のように見えます。小さな部品がそれぞれの役割を果たしながら生命現象をつかさどっているのです。

 近代科学は、生命を分子や遺伝子レベルに還元して考えるようになりましたが、こうした機械論的な考え方に陥りすぎると、生命が持っている大事な側面を見失ってしまうのではないかと思います。私自身、分子生物学者として機械論にどっぷりつかって遺伝子の研究をしてきたので、まずその方法論にどういう限界があるかを、自分の体験を含めて話したいと思います。

壁にぶつかり機械論的な生命観を問い直す

 私はGP2という新しい遺伝子を発見し、機械論的なアプローチでその機能を調べようとしました。DNAからGP2遺伝子を取り外したノックアウトマウスを使った実験です。機械なら1つ部品がなければ壊れます。その壊れ方を調べるように、ノックアウトマウスの生態を調べて、GP2が何をしているかを突きとめようとしたのです。その実験に3年間、寝食を忘れて没頭しました。ところが、マウスには何の異常もあらわれませんでした。健康で寿命も変わらず、生殖能力もそのままで次々に子孫を作っていきました。その子孫もすべてノックアウトマウスですが、世代を超えても異常はあらわれませんでした。

 大事な部品が1つないのに何の異常も起こらない。私は研究上の大きな壁にぶつかり、生命とは何かということを考え直さなければならなくなりました。生命を機械と見なすと、部品が1つなければ壊れるはずですが、部品がなければないなりにバランスを保つことができるのが生命の本質ではないか。そのように自分の生命観を問い直したのです。

 20~21世紀の生物学の流れをもう一度考えてみました。20世紀の生命科学の出発点は、1953年にワトソンとクリックという若い2人の科学者が、DNAが二重らせん構造になっていることを解明したことです。二重らせんというのはポジとネガの関係で、互いに他をコピーできる、自己複製ができるということでした。それがDNAの機能であり構造で、生命は自己複製するシステムだということが、20世紀の生命観として一義的に決まってしまいます。

 もう少し歴史をさかのぼると、シュレディンガーという物理学者が『What is Life?』という著書の中で、遺伝子の正体は非周期結晶、DNAのようなものではないかと予言しています。ただ、ここにはもう1つ大事なことが書かれていました。生命はエントロピー増大の法則に抵抗しているというものです。秩序あるものは秩序がない方向にしか動かないという法則で、年月とともに財宝はすたれ、壮麗なピラミッドは風化する。これはエントロピーが常々増大しているからです。しかし生命は非常に秩序だった構造であるにもかかわらず、なかなか壊れないようにできています。どうやってエントロピー増大の法則に抵抗しているのか。これが生命を生命たらしめている最も大事な部分だというのがシュレディンガーの主張です。しかし、それがなぜなのかまでは説明できませんでした。

 シュレディンガーよりさらに前の研究に重要なヒントが隠されていました。生命は機械ではなくて流れであるといったルドルフ・シェーンハイマーの研究です。シェーンハイマーは43歳で謎の自殺をとげたため、今では歴史の闇に消えていますが、その業績にもう一度光をあてることで新しい生命観が見つけられるのではないかと私は思いました。

分解と合成が体内で繰り返される生命

 シェーンハイマーは、毎日食べ物を食べ続けるという当たり前の行為を問い直しました。当時そのことは、自動車とガソリンの関係のような機械論のアナロジーで考えられていました。ガソリンを燃料として補給すると、それが燃えて運動エネルギーになる。しかし、動くとエネルギーは消費されるので、またガソリンを補給しないといけない、というふうに。ところがマウス実験をすると、体内に入った食べ物の大半は燃えずに、体のいろいろな部分に溶け込んでいることがわかりました。ガソリンであれば、その成分が窓やタイヤの一部になりかわるようなものです。また、ネズミの体を作っていた原子や分子は、食べ物のかわりに分解されたり燃やされたりして、その燃えかすが体外に排出されていることがわかりました。

 食べ物を食べるということは、体内で率先して分解が起き、その分解を補うために食べているということです。われわれの体では、実はものすごい速さで、この分解と合成が起きています。例えば消化管は2~3日、筋肉や肝臓の細胞も数週間で入れ替わります。1年もすると、物質レベルではほとんど別人になっているといっても過言ではありません。久しぶりに会った人に「お変わりありませんね」といいますが、生物学的には間違っています。ほんとは「お変わりありまくりですね」といわなくてはいけないのです。

 一方、どうして体内の物質はこれほどまでに絶えず入れ替わらなければいけないのか、そして、それにもかかわらず、自分は自分だという同一性がどうして保たれているのかという疑問がわきます。これについてもシェーンハイマーは実験で明らかにしています。私たちの体は分解と合成が絶えず起きているにもかかわらず、相補性が保たれているのです。細胞でいうと前後、左右、上下、それぞれにジグソーパズルのピースのように互いが他を認識し合いながら存在している。だから、真ん中のピースが捨て去られても、まわりのピースが残っていれば、そこに新しいピースがはまる。同時多発的にそれが体全体で起きているのです。

 絶えず分解が率先して行われ、それを補うように食べ物の分子が体内に入ってきて新しい合成が起きる。これはエントロピー増大の法則に対抗するために生命が編み出した方法で、体内にたまるエントロピーを先回りして捨てているのです。ただ、完全に法則に勝つことはできません。徐々に後退して、最後にはエントロピーの増大に押し倒されてしまいます。それが個体の死です。

生命は動的平衡、私は常に他者とつながる

 生命は自己複製するものではない、動的平衡というふうにいいたいわけです。作ることより壊すことを優先している、変わらないために絶えず変わり続けている、それが動的平衡です。生命は分解と合成の絶え間のない均衡の中にあります。GP2遺伝子がなければないなりに柔軟に対応でき、環境が変われば可変的でいられ、病気になれば回復する、けがをすれば修復できる。これはすべて生命が動的平衡状態であるからです。機械やAIにできなくて生命にだけできることです。

 動的平衡に立脚してもう一度生命について、ポストコロナの生命哲学について考えたいと思います。われわれ生命は本来的に自然、ピュシスですが、人間だけが言葉、ロゴスを生みだしたことでピュシスを作りかえ、制御しようとすることができた。これはある意味すばらしいことで、そのおかげで個の生命の価値や基本的人権が生み出された。また都市生活が成立し、AIができた。ただ、ピュシスとしての自然が、われわれ生命の本来のあり方なので、必ずそこからリベンジを受けることになるわけです。死や病い、性、排せつなどはピュシスに属するものです。コロナウイルスはピュシスのあらわれとして、動的平衡のあらわれとして、変幻自在にわれわれをおびやかし続けています。

 人間の個や種の生命体、ホモ・サピエンスの間に、人間はロゴスの力によって、人種や民族、国家といった様々な人工的な階層を作りだし、それによって対立やせめぎ合いが起きています。しかし、個としての人間、種としてのホモ・サピエンスは、もっと相互に包摂的な存在です。もしICTが未来を作るとすれば、人間が作り出すロゴスや境界線をとかす方向にあるべきだと思います。ロゴスとピュシスの間に橋をかけていくことが新しいテクノロジーの使命だと考えています。

 2025年の大阪・関西万博で、私はプロデューサーとして動的平衡館を作ろうとしています。そのキーワードはI am yоu、私はあなた。利己的遺伝子論に立つと、セルフが強調されますが、実は私というのは、動的平衡で他者と常につながっています。yоuは他人でもあるし、地球でもあるし、他の生命系でもあります。このような生命哲学を基盤に置いて、今後のテクノロジーのあり方を考えていく必要があるのではないかと思います。

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