「津波後は旅の者に満たされる」(三陸の言い伝え、川島秀一2012『津波のまちに生きて』52頁)
1.はじめに(中澤秀雄・法学部)
気仙沼市旧尾崎地区、2013年1月撮影
東日本大震災関連の報道が激減し、世間の関心も急速に低下しているように思われる。仙台平野なかでも政令市仙台の復興スピードは速く「いつまで震災ボランティアなんて言っているんだ」という声も耳にする。しかし3.11後に「長期的・継続的な支援の必要性」を誰も彼も叫んでいたことは読者も記憶していると思う。我々が通っている三陸リアス地域では、仮設住宅に空きが目立つわけでもなく、津波に洗われた平地は住宅基礎がところどころ残されたままである(写真)。雇用は失われ人口流出は続いている。そのように「もっとも復興が遅れている」(平野達男・前復興大臣)気仙沼及び南三陸・陸前高田・宮古に縁を頂いた中央大学としては、メディアが忘れても自分たちは忘れないという気持ちで細々と支援を続けている。絵になる労力奉仕ではなく、仮設住宅コミュニティの運営を支え、子どもへの学習支援方法を考え、地域再生の糸口を探る、「寄り添う」活動は説明しにくい(世間に流布しているボランティアイメージからは遠くなっている。しかし中央大学は「地域再生志願兵」という意味でのボランティアを続ける覚悟である)。局面が変わってくるにつれ、悩みもつきない。しかし、2012年4月から学生主体の体制に切り替えバックアップしてきた大学担当者としては(以下のリンク参照)、様々な大人とギリギリの状況に揉まれる中で、次の社会を担う若者リーダーが育ってきたことに、やりがいと感動も覚えている。その様子を、顧問的立場を務めている教員のリレー執筆形式で以下お届けする。被災地に「いま」必要なことは何か、大学と大学生に何ができるか、問い続ける現場のダイナミズムを少しでも理解いただければ幸いである。
本題に入る前に、学員の皆様に御礼申しあげなければならない。2012年1月から募集を開始した学員会中大学生ボランティア支援口基金には、おかげさまで450万円以上のご支援を頂き、同年4月から学生の交通費・宿泊費半額補助に使途を限定し使わせていただいている(資金は経理部が管理し、証憑も保存している)。これまで延べ400人以上の学生がこの資金によって現地に赴き、現地のキーパーソン(再生に向けて努力している被災者の皆さん)との信頼関係を築くことができた。重ねて感謝申しあげるとともに、基金残額がゼロに近づいていることもご報告する。もし追加支援のお気持ちを持つ方がいらっしゃれば、ありがたい。過去一年間の中央大学被災地支援活動の厚みは、まさに学員会によって支えられたのであり、本稿はこれら篤志に対するご報告の義務を果たすものでもある。とりわけ中央大学南甲倶楽部の淺野弘毅氏からは、「絆基金」という形で手厚いご支援を頂いていることを特記して感謝申しあげたい。
2.南三陸ツーリズムプログラム開発の取り組み(谷下雅義・理工学部)
谷下 雅義
地域の皆さんが、本来持っている地域の力を再認識し、地域の将来について主体的に考え、実践すること、そしてそれらを通じて未来の担い手となる若者の育成・誘致がなされることを目標に、環境FLP・谷下ゼミでは「エコツーリズム」をテーマに、宮城県南三陸町で活動を行っています。
エコツーリズムは、自然や生活文化・産業・地域人など多岐にわたる素材を活かし、お客様が安心して参加でき、満足いただけるプログラムを提供するものです。ガイド(インタープリター)の役割が重要で、お客様の五感による体感や発見、気付きを最大限引き出すよう配慮し、あわせて地域資源の保全・伝承を促進し、地域経済に貢献することを目指しています。
ゼミ活動では、高峰博保先輩(S53法学部卒、(株)ぶなの森代表取締役、日本エコツーリズム協会理事)や地元の方々にアドバイスをいただきながら、よそ者の視点での地域資源の再評価・発掘・提案、そしてプログラム開発のために「やすらぎの森」の整備を継続して行っています。森里川海の連環、津波とつきあってきた歴史文化、そして美味しい食や温かい人など、たくさんのことを学んでいます。これまでの活動報告や関連する情報について、以下のURLにご覧ください。3月には南三陸で報告会を開く予定です。
南三陸での活動の様子
崎坂 香屋子
学生主体で被災地支援を行う「チーム次元」「Chuo Support 3.11」「和みの輪」 の3チームは昨年来活発に活動を行っている。学員会の皆様からの支援、学生課の皆様からの細やかな指導、ご協力を核に一部外部からの支援も受けつつ、学生が企画し、自主的に運営する。
「チーム次元」「Chuo Support 3.11」は主として宮城県気仙沼大島に出向き、壊滅状態となった漁業を支援しつつ、地域の人々との交流を続けている(写真1)。「チーム次元」は宮城県で被災した1名の総合政策学部の学生が立ち上げた*1。周囲の学生を巻き込んでこれまでに実に28クール、約150名の中央大学の学生を現地に派遣してきた。漁業支援といってももちろん特別な技術を持っているわけではない。地元の人々に受け入れてもらい、教えてもらいながらいろいろな思いを共有している。地元の中学生への学習指導も行っている。(詳細はこちら)(写真2)。
金曜日の夜、何人かの学生が深夜東京を発つバスに乗り込む。ゼミに気仙沼大島や福島県に向かう旅支度をした学生が何人もいるのを見ると頼もしい気分にもなる。現地で偶然に活動中の「チーム次元」と出会った自民党の小泉進次郎議員も帰郷後、自身のブログで中央大学の地道な活動に言及した(詳細はこちら)(写真3)。
写真1
写真2
写真3
「Chuo Support 3.11」は宮城県東松島市出身の法学部の学生がたちあげた*2。学内や東京での情報発信にも力を入れる。学内で写真展を開催し、4年生のグループとして現地に赴く。
「和みの輪」は法学部の学生が立ち上げ、主として福島県相馬市を支援する。シンポジウムを開催し、学内生協での物産展を成功させ、朝市開催支援や仮設住宅の聞き取り調査とともに仮設住宅の人々を支えるカフェ運営にも関わる*3。彼らは現地の人々から学び、大学に戻って活動を練り直し、繋がりを深め、思いを発信する。
学生は複数回現地に入る事で、外部者として被災者との距離を学び、当事者の刻々の生活と感情の変化を連続線で観察した。多様な年齢層と生い立ちの異なる人々と協働する難しさの中で、被災した人々と同じ目線で、同じ歩幅で歩く価値を知る。震災直後の被災者としての激しい感情の整理は支援者として出身地と異なる被災地に向かう中で形を変えた*1,2。
学内の被災地学生支援団体の立ち上げにかかわった2名の学生はこの春から日本を出て活動の成果を世界に伝える。
4.宮古市でのとりくみ(小室夕里・法学部)
小室 夕里
「はまぎくのつぼみ」は、2012年夏に活動を開始し(宮古市での活動のきっかけについてはHAKUMON Chuoを参照)、第1回の活動で得た鍬ケ先学童の家とのつながりを大切にして、学童での放課後支援活動を中心にしたボランティア活動を展開しています。仮設住宅で製作されたストラップ販売、作り手の方々との交流会等も行いました。企画、活動先との連絡、宿泊の手配等すべて学生が行っています。
宮古市へ赴くようになってからひとり、またひとりと中大関係者とつながりが出来て、All Chuoの力を感じています。学生の宿舎に差し入れを届けてくださったり、沿岸部や市内を案内してくださったり、復興に向けた市の取り組みをご説明くださったり。学生の活動を陰日向で支えてくださっています。これを肌で感じることは、宮古市の皆様との絆に加えて、学生にとっての財産となります。震災時に高校生だった大学生は、次のような感想を残しています。「私は震災以来、今回初めて東北を訪れました。さまざまなメディアで震災地の情報は見聞きしてきましたが、その地に降り立って、自分の目で見ることでその被害の凄まじさを感じました。」そして、「何よりも現地で出会った人と継続的に思いを交換し合う事が大切だと感じた。」という学生の言葉に中大生の良さが滲み出ているように思います。
鍬ケ先学童の家 放課後支援
荷竹農村公園仮設住宅集会所におけるミサンガ作りと郷土のおやつ作り
5.学生によるスポーツ支援(村井剛・法学部)
村井 剛
2012年8月20~22日の3日間、宮城県気仙沼市の面瀬中学校にて、中央大学卓球同好会の学生によって中学校卓球部指導の練習会が実施された。以下、簡単ではあるが実施経緯、概要を説明する。
2012年3月の冬期ボランティアへ私が参加した際、面瀬地区のスポーツ関連NPO法人代表、小池氏(なんでもエンジョイ面瀬クラブ)より、面瀬中学校の運動部指導に関する協力要請を受けたことから、今回の学生スポーツ支援を模索することになった。私は求められた学内の人的資源を探し、紹介するにすぎない役目であったが、練習会へ参加した卓球同好会の学生達が現地との親密な関係性を築いているため、この機会に是非彼らが実施した活動を紹介させていただきたい。
彼らが赴いた面瀬中学校は、震災後、校庭に仮設住宅が建築されて現在に至る学校であり、被災者のご家族も通っている。当初スポーツ支援と言った時点で卓球と決まったわけではなく、校庭の状況(サッカーや野球、陸上など校庭実施の種目は開催できない)もあり、種目や内容について中学校と調整した結果、最終的に卓球部を対象とすることになった次第である。
種目決定後は、私の関わる授業内外で卓球に携わる学生達と数多く会話し、結果7月に大学学友会公認団体である、卓球同好会の学生複数人から快く了解が得られたため、大学の夏期被災地ボランティア団体として登録し、派遣に向けた手続きを進めることとなった。
その後、中学校と同好会の間で日程が確定され、11名の中大生が指導に向かうこととなった。参加者の中には、仙台出身の学生もおり、被災地のために何かしなくてはという思いで参加した学生もいたという。
思いやりのある、熱心な指導が3日間実施されたことは、指導を受けた中学生の最終日の涙、面瀬中学校教頭、仲介者の小池氏、それぞれが是非来年も来て欲しい、と別れの場で学生らに直接再度依頼するという事実から、想像することが出来る。
また、関わった卓球部の中学生たちが後の新人戦で男女ともに県大会へ駒を進めることができたという、喜びの成果報告が届いたことで、参加した同好会学生は被災地への思いがより増し、現在も被災地と繋がっている感覚を保っていることを併せて報告させていただく。
6.おわりに(中澤秀雄)
この他の活動として、発災後の夏から活動を続けている気仙沼市の仮設住宅でのコミュニティ支援活動や学習支援活動、陸前高田市での地域再生を目指す取り組みもリーダー的な学生を得て継続している。これらについては他の媒体でも紹介されているので(以下のリンク参照)、本稿では省略した。
上記の諸プログラム内容からおわかり頂けるように、三陸被災地では、「空間の復興」から「人間の復興」へと焦点が移行しつつある。中央大学のボランティアプログラムも、「言われてする労力奉仕」ではなく、「頭と手足をフルに使って考える知性と身体」が試されるものに移行している。状況変化に追随しつつ三陸に通い続けることに成功しているのは、現地に中央大学を信頼して下さる方々がいらっしゃるお陰であり、「学ばせて頂いている」「受け入れて頂いている」ことを大前提にしながら、今後とも活動を継続展開していきたい。学生部は、平成24年度から26年度まで学内の「教育力向上推進事業」に採択されたので、コーディネイターを雇用して、体制の深化をはかることになっている。ところで「なぜ遠方まで、こうして苦労しながら通い続けるのか? 売名のためか?」というような意地悪い質問が出てくる時期なので、私自身の答えを言っておけばシンプルである。「新しい価値を創出することは、差し引き総体で言えば楽しいから」だ。前例のない分野に挑む活動には苦労も沢山あるが、利他心に富んだ学生たちと一緒に新しい理念と付加価値を作ることは、日本の未来を切り開く行為でもある。
今後とも、各位のご理解を賜りますよう、謹んでお願い申しあげます。