• 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~  「海外プロジェクト探検隊」は、三菱商事が海外で展開しているさまざまなプロジェクトの現場を高校生たちが訪問し、現地の模様や肌で感じたことをリポートするシリーズ企画です。 海外プロジェクト探検隊~世界の仕事現場を見に行こう!~

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vol.7 夏休み香港・華南 インフラプロジェクト体験ツアー

香港三菱商事

岡村 潤(16歳) 私立聖学院高等学校1年
岡村 潤

香港の発展自体に貢献してきた三菱商事

 成田空港を飛び立って4時間、香港国際空港に到着後、僕達は最初に香港三菱商事を訪れた。香港三菱商事は香港島に位置している。周りは高層ビルばかりが建っていて、僕はその光景に驚いた。

高層ビルの15階にある、香港三菱商事の受付高層ビルの15階にある、香港三菱商事の受付
 香港三菱商事の木下社長をはじめ、スタッフの皆さんが僕達を温かく迎えてくださった。僕は、海外にある日本企業を訪れるのは初めてで、少し緊張した。社内はとても奇麗で、皆さんがきびきびと仕事をしていた。最初に僕達は会議室で木下社長のお話を伺い、またスタッフの方々が香港の歴史や香港三菱商事のこれまでの事業について説明してくださった。

 現在、香港には約700万人が住んでいて、九龍半島の人口が香港の中で一番多い。日本人は約3万人住んでいるそうだ。

 香港は上海、シンガポールと並んで世界三大貿易港の一つであり、また、香港は地理的位置が特殊だそうだ。ヨーロッパが朝、アメリカが夜の時間帯に香港は昼なので、24時間のビジネスが可能であり、多くの外資系企業が香港に進出している。香港を走る車の80%がトヨタ、ISUZU、三菱などといった日本車で、その他の外国車は全体の20%しかない。香港の人々は日本車を好んでいるようだ。それは、日本と同じように土地が狭いので、日本製の小型車の方が運転しやすいからだと思う。

 香港の主要な産業は金融業、不動産業、観光業である。特にここ最近、金融関連業が年々拡大している。これは中国の経済発展によるものが大きい。世界の繊維業や製造業の会社が生産基地を中国、広州に置いており、香港を通して、外国に輸出しているのだ。富裕層の人口比率はアジアで1位、また高層ビルの数も世界一である。香港の貿易相手先第3位は日本であり、2位はアメリカ、そして第1位は中国本土である。大きな市場となる後背地(中国本土)を持つ香港は「さらに経済発展していく可能性がある」と木下社長はおっしゃっていた。

香港三菱商事の会議室からの眺め。この日は雨でした香港三菱商事の会議室からの眺め。この日は雨でした
 現在、香港三菱商事では115人が働いており、そのうち日本人は18人で、日本語だけでなく、英語、広東語を使っているそうだ。また、僕たちを社内へと案内してくれた中国人スタッフの万さんは日本語、英語、フランス語、中国語ができ、素晴らしいと思った。

 香港三菱商事は1973年に設立されて以来、香港電燈ラマ発電所の建設をはじめ、ストーンカッターズ島の下水処理施設、馬糞処理施設など、香港の人々のための数多くのインフラ開発に携わった。

 香港に住む人たちの生活に実際に役立つインフラ開発を行ったことは、とても素晴らしいと思う。そして、多くのインフラ開発に協力したことにより、香港の発展自体に貢献してきた。三菱商事は海外に多くの拠点を持っているので、他にも同じように現地の人たちのために役立つ活動を行っているのだと思う。僕は日本人として誇りに思った。

 木下社長は、「香港三菱商事は今後もインフラ開発に力を入れていく」とおっしゃっていた。他に省エネ、環境などの分野にも注目しているそうだ。この分野の日本の技術は世界的にも一歩進んでいると思うので、ぜひ生かして欲しいと思う。

 中国は今、世界で最も経済が発展している国の一つで、中国の会社もどんどん大きくなってきている。それにつれて、ビジネスの競争もより激しくなっていくのではないだろうか。香港三菱商事の皆さんも今までのノウハウを生かして、日本企業の代表として是非頑張ってほしいと思う。

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金澤 推(16歳) 国立群馬工業高等専門学校2年
金澤 推

香港三菱商事インフラプロジェクト 実況中継!

 広い海、大きな港にあるいくつも積み重ねられたコンテナ、高く連なったビル。つい、「こんな光景は群馬にない」と叫んでしまいたくなるくらい、私は圧倒されてしまっていた。

私も社長になりたいな私も社長になりたいな
 まさに大都会・香港。その中心部に位置する高層ビルの中に、香港三菱商事はあった。

 オフィスに到着して、私達はまず木下社長と対面した。社長はいろいろな話をしてくださった。初めて海外に行った時の話など、どれも興味深くすぐに引き込まれてしまった。いつでも笑顔を絶やさない社長に、私は穏やかでユーモアのある人という印象を持った。社長の話を聞いた場所は社長室だったのだが、普段の社長は社員の人たちと同じフロアの一角で働いているそうだ。社長のいすに座らせてもらうと、そこからは部屋全体が一望に見渡せ、緊張で体がガチガチになってしまった。会社のトップに立つ社長の職責の大きさが実感できた。また、社長と社員の間に特別な仕切りはなく、香港三菱商事が一丸となって勤める姿はすばらしいと思った。

ピカピカのオフィス街ピカピカのオフィス街
 次に香港や香港三菱商事の説明を受けた。香港の一番の特徴は、アジアの金融センターということである。香港では余分な規制を作っていないため、経済の自由度が高い。また、ニューヨーク、ロンドン及び香港にオフィスを設けると、24時間マーケットが開けるなど地理的な好条件に恵まれている。そのため海外の多くの企業が関心を寄せている。その香港で1958年に三菱商事が注目したのはエレベーター事業であった。それは香港の経済成長に伴い需要が高まってきたためで、同社が香港で行う最初の事業であった。1973年に100%子会社である香港三菱商事が設立されてからは、様々なインフラプロジェクトに着手していった。一つの事業に対して、より深く長期的な視点から考えていく姿勢から、新たなビジネスチャンスへの、香港三菱商事の限りない探求心が伺える。貿易関連依存型といわれるほど需給には敏感な香港でビジネスを続けていくには、このような不屈の精神が必要不可欠なのだと思う。

 説明を聞く中で私が一番面白いと思ったのは、技術に対する考え方である。いつも最新の技術を使うのではなく、“用意された環境の中で、自分達が持っている技術を最大限に生かすにはどうしたらよいのか”を日々模索している。また、そのためには顧客に対して技術内容を説明できるように、オフィスで働いている人たちも勉強することが大切だと教えてもらった。当たり前のようなことだが、国内の豊富な事業体験を積んだ三菱商事だからこそできる技術の使い方だと思った。それこそが、世界をリードする企業の鍵なのかもしれない。

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鳥居 哲弥(18歳) 東京都立国際高等学校3年
鳥居 哲弥

香港から日本を支える香港三菱商事

 東京から飛行機で4時間半かけて僕らは香港国際空港に降り立った。イスに長時間固定されて強張った体を伸ばそうと機外へ飛び出した瞬間、夏の通り雨の後のあのジメジメとした嫌な熱気に体を包まれた。
三菱商事の企業理念である三綱領三菱商事の企業理念である三綱領
この暑さに一抹の不安を感じながらも、今回のツアー最初のプログラム「香港三菱商事」へと向かった。

 香港三菱商事は、1954年の三菱商事香港駐在員の派遣、翌55年の三菱商事香港支店の設立を経て、1973年に香港支店の業務拡大に伴って現地法人へと法人として独立する形で誕生した。香港支店の設立から現在に至るまで、香港の経済発展が示すようにその取り扱う物品は大きく変遷したが、臨機応変に対応して常に新しいビジネスチャンスを模索し続けている。

 オフィスに到着した後、僕らは香港三菱商事の木下真一社長にお会いすることができた。木下社長は学生時代サッカー部に所属していたそうで、体つきはまさにスポーツマン。だが、厳かだと感じることはなく、緊張するどころか、むしろ不思議と親近感が湧くような優しい笑顔の方だった。ところが、仕事の話になると顔つきは変わり、経験と努力に裏打ちされた自信を肌で感じられるほど英気に富むお方だった。

 現在、香港三菱商事は香港における発電所、下水処理施設、馬糞堆肥(たいひ)化施設などのほかにも様々なインフラ設備建設に日本の高度なハードウエアを、そして運営に必要なソフトウエアなどを提供し、インフラ整備に関連したプロジェクトを推進している。

 インフラとは、経済発展を遂げるためには必要不可欠なものだ。古代ローマ帝国がなぜ数百年にわたって繁栄できたのか。それは、インフラの重要性を明確に理解し、そのための投資に余念がなかったからだろう。

自由な雰囲気が漂うオフィス自由な雰囲気が漂うオフィス
 インフラが整備されることによって経済が発展するのは、古代も現代も変わらない。それによって現地の人々はより豊かになれる土壌を得るのだ。

 自分の仕事が人のためになるということはとても素晴らしいし、誇れることだ。さらには、海外で活動する場合、その企業の母国についても良い印象を与えた事例が多数ある。実際に企業の働きを現地で見せることは、お金では買えないその国の「ブランド」向上に大きく寄与するのだ。

 今回、僕らは香港三菱商事のオフィスを見せてもらうことができた。中にはキャラクターグッズが所狭しと並んでいる女性のデスクも多く見られ、とても自由な雰囲気を感じた。職場にそういったものがあると能率が落ちそうなものだが、かえってリラックスして仕事が出来るとすれば、逆に新しい発想も生まれやすいのかもしれない。

香港三菱商事が行っているインフラに関わる事業は、社会貢献も兼ね備えたやりがいのある仕事だ。さらにオフィスや香港三菱商事社員の方々を見ていると、自由な雰囲気の中で本当に生き生きと楽しそうに、こういったやりがいのある仕事に打ち込んでいると感じずにはいられない。僕が将来働くなら、ぜひともこのような職場で働きたい。香港三菱商事はそう感じさせる素晴らしい会社だった。

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堀 綾香(16歳) 私立桜蔭学園高等学校2年
堀 綾香

香港でのビジネスの魅力とは?

 香港は面積1104キロ平方メートル、人口約696万人の世界有数の金融都市だ。1842年に南京条約でイギリスに香港島が割譲され、その後も九竜とストーンカッターズ島が割譲されるなどイギリスと縁が深く、1997年に中国に返還されてから今も一国両制が続いている。

香港三菱商事のオフィス玄関香港三菱商事のオフィス玄関
 私たち探検隊は香港に到着後、まず香港三菱商事を訪れた。香港三菱商事のオフィスは香港島中心の高層ビルにある。高層ビルが隙間(すきま)なく立ち並んでいて活気があり、まさに世界中から資金が集まっている都市であることを感じさせた。中でも驚いたのは鉛筆のように細長いビル群が所々あることだ。なんとこれらはマンションだそうだ。地震が心配だが香港に地震はない……らしい。とてもユニークな都市だと思った。

 三菱商事は1954年に香港に駐在員を派遣、支店を経て1973年に香港三菱商事会社を設立した。初期は三菱電機のエレベーターの輸出、その後繊維業に資本参加、地下鉄建設にも関わるなど事業は多岐にわたっている。現在は発電所に投資するなど香港の利点を利用した事業も始めている。

香港は鉛筆のようなマンションが多い香港は鉛筆のようなマンションが多い
 労働集約的な産業やインフラ整備が中心だったが、香港が発展してインフラの需要がなくなるにつれて、だんだんと事業投資のリターンを狙ったビジネスに取り組んでいる。香港の発展に合わせて三菱商事の事業内容も変化しているのだ。この柔軟な姿勢により三菱商事は発達を遂げてきたのだと思う。これからの三菱商事が何をするのか楽しみだ。

 香港三菱商事の社員の方々から香港でのビジネスの魅力について説明を受けた。北米・ヨーロッパの企業にとって香港にオフィスがあると24時間営業ができて魅力的だそうだ。また、香港は港があるだけでなく後背地がある。後背地にある工場で作った製品を港から運ぶことができる。この2点から、香港は地理的に有利で発展したのも必然のように思えた。香港は、近年特に金融関連業の発達が目覚ましい。国際的に開かれているのでお金が集まりやすく中国企業の資金調達に便利である。

 香港はコンテナ扱い量も世界有数、航空貨物量は世界2位で輸出の95%は再輸出だ。いかに人、物、お金の流れに勢いがあるかがわかる。しかし、このことは世界経済に影響を受けやすく、悪化するとなかなか回復できない面もあるのだ。実際にアジア金融危機やSARSによる経済の衰退は大変なものだったそうだ。

 香港の労働人口は約357万人で、共働きの家庭が多いことも特徴だ。子どもはフィリピンなど海外から働きにくる人々に見てもらうそうだ。家庭の中で国際性が身につくのは香港の強みだと思い、日本はもっと国際性が必要なのかもしれないと感じた。

 また香港で働く人の多くが深?(しんせん/中国の経済発展が目ざましい都市)での仕事もしている。2007年7月には香港~深?間の大橋が完成し、香港と深?の関係が深まっていることがわかる。香港の発展は中国の発展なしでは語れないのだ。

 香港のビジネスは、中国との関係や資金が集まることなどの特徴を生かして、今後さらに面白くなりそうだ。

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松原 舞(16歳) 私立慶應義塾湘南藤沢高等部1年
松原 舞

香港と香港三菱商事の取り組み

 香港に到着し、最初に香港三菱商事の本社を訪問した。最初に通された部屋では、香港三菱商事社長の木下さんが温かい笑顔で迎えてくださった。そこで私たちは木下さんといろいろな会話をし、和やかな時間を過ごした。私はそこで、社長である木下さんの香港にかける情熱と、部下に対するきめ細やかな心配りを感じた。

香港三菱商事の入り口。向こうに受付が見える香港三菱商事の入り口。向こうに受付が見える
 その後、会議室に案内され、香港についてと香港三菱商事についてのお話をうかがった。
 まず、私たちが訪れた香港がどのような都市なのか紹介したいと思う。

 香港はイギリスに割譲され、1997年に中国に返還された都市である。また、ちょうど経済が発展してきた2003年にはSARSがはやり、経済が停滞したという歴史を持つ。

 現在香港は中国華南という後背地を持っていて、多くの商流がある都市であるため、物流が盛んであり、コンテナ、航空貨物の取扱量が世界第2位である。そのため、香港はGDPの90%以上がサービス業からの収益であり、世界でも珍しい貿易関連産業依存型経済である。

木下社長のイスに座らせていただいた木下社長のイスに座らせていただいた
 そして、地理的位置が特殊なため、金融都市としても恵まれている。最近は製造業から金融業に移り変わってきており、金融業は年々盛んになってきている。それは株式時価総額が人口のわりに高く、世界7位であることにも象徴されている。潤沢な財閥資本があることも香港の特徴であり、さらに経済に規制が少ないため、競争力が高く、富裕な人が多い。「金持ちは香港に住む」と言われている。また香港は家賃が高いため、ほとんどの家庭が共働きである。子供の世話は、雇っているお手伝いさんに任せる。子供たちはお手伝いさんと触れ合うことで、英語を覚えていくそうだ。

 そんな香港で三菱商事がどのように活動してきたかというと、香港三菱商事は主に現地香港の発展とともにいろいろな事業をしてきた。

 まず、発展途中の香港では、住宅の開発にともなうエレベーターの需要が増加する。香港は住宅を建てる土地の面積が小さく、それなのにたくさんの人が住むので、その結果、高層マンションがたくさん建てられる。よって、エレベーターの需要が増えるのだ。そこに目をつけた三菱商事は、まずは香港でエレベーターを売ることから始めた。その後は、繊維、地下鉄、発電、食品などの生活に密接に関わるような分野に次々に進出していった。

 しかし、最近は香港も発展し、それらの需要は増えることはなくなっている。そこで、今度は香港の経済の特徴を生かして事業に投資し、その利息収入を得るという方法に変えていっている。

 このような話をうかがって、他の国で事業をやるには、まずその国の歴史、経済、政治などのことを良く知ることが大切なのだと実感した。また長年その国で成功するには、その国の経済状況をよく見極め、柔軟に対応していくことが大切なのだと思った。発展途中の香港に目をつけ、事業を展開させた三菱商事は先見の明があると思った。先を見越すということが成功の秘訣なのかもしれない。

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山田 佳子(17歳) 私立慶應義塾湘南藤沢高等部2年
山田 佳子

香港三菱商事の成功の秘訣

 香港の中心地にあるビルの15階に香港三菱商事は位置する。

 ツアー最初の訪問先である香港三菱商事、ここで私たちはその歴史、事業内容、事業方針などの説明を詳しくしていただいた。

最初の訪問先である「香港三菱商事」の入口最初の訪問先である「香港三菱商事」の入口
 香港三菱商事は、第1期の基礎固めの時代(1944-1965)、第2期の高度成長の時代(1965-1973)、第3期の激動の時代(1973-1981)を経て現代に至っている。香港に三菱商事ができた当時は、まだ日本三菱の支店という位置づけだった。香港は中国の発展に伴い成長。そして、三菱商事もそれに伴って成長し、ついに1973年、香港三菱商事を設立した。ヨーロッパの朝、アメリカの夕方に香港は真昼という立地的条件は、世界相手の貿易に優位だ。2007年7月1日、深?(しんせん)と香港を結ぶ大橋が開通。両市の経済の一体化を図るこの変化は、香港三菱商事にとっても大きな転機となったという。

 このような香港で、香港三菱商事は数々の事業を手がけている。香港島・ラマ島の電力をすべて担っているラマ発電所、ストーンカッターズ島の下水処理場、北京五輪を裏で支える馬糞堆肥(たいひ)化処理施設。これらは三菱商事が提案した事業だ。

 香港三菱の方のお話の中でよく再生利用という言葉が出てきた。下水処理場では汚泥を土として再生利用。火力発電所では天然ガスによる発電時の廃熱を蒸気タービンに送り発電するという再生利用。馬糞を肥料にして再生利用。様々な事業の中でも環境に配慮する姿勢は忘れない。

会議室入り口に飾ってあった三菱商事の企業理念会議室入り口に飾ってあった三菱商事の企業理念
 4日目に訪問した深?(しんせん)。ここは中国初の経済特区、いわば社会主義国の中の資本主義の地域で、香港三菱商事も事務所を構えている。香港と広州の間にあるという立地は事業を行う好条件だ。また、今回私たちは香港三菱深?事務所と関わりのある、深?を拠点に中国各都市で主に住宅開発を行う大手不動産デベロッパーの「万科(ばんか)」を訪問したのだが、その時興味深い話を伺った。それは、三菱電機のエレベーターとダイキン工業の空調機(香港三菱が納入)のキャッチコピーで、住宅の値段が2割上がるということだ。中国の企業、人々に、日本製品は信頼されて支持を得ていることがわかる。そして三菱商事は、それらの製品と中国の企業、人々を結ぶ懸け橋となっているのだ。

 また、他国にある三菱商事のネットワークを駆使することにより、世界の動きをいち早く知ることができるのも三菱商事の特徴だ。香港だけの利益を追求する事業だけではなく、世界の動向に合わせた、例えば環境に配慮した施設の提案をする、といった感じだ。このような観点からも、その国に住む人々、政府、世界に最良の事業を提供しようとする香港三菱商事の姿勢を見ることができる。

 また、他国にある三菱商事のネットワークを駆使することにより、世界の動きをいち早く知ることができるのも三菱商事の特徴だ。香港だけの利益を追求する事業だけではなく、世界の動向に合わせた、例えば環境に配慮した施設の提案をする、といった感じだ。このような観点からも、その国に住む人々、政府、世界に最良の事業を提供しようとする香港三菱商事の姿勢を見ることができる。

 総合商社、やさしい言葉で言うとすべての人に向けた何でも屋であるが、ここ香港三菱商事では、人々に向けて本当に良いものを提供しようという精神をいたるところで感じることができた。私はこれが香港三菱商事の成功の秘訣、成功するために必要なものなのだ、と強く感じた。

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山本 直人(16歳) 私立聖光学院高等学校2年
山本 直人

貿易の盛んな香港、そして香港三菱商事の進展

 香港に入り、最初に中心街にあるビルの中に入る。そこが初めての訪問先、香港三菱商事だ。そこでいきなり木下社長にお会いして緊張した僕達だったが、社長は独特の話術とユーモアで和ませて下さった。そのお話の後、香港の地域性や三菱商事の事業についての説明を伺った。

最初に訪問した香港三菱商事の受付最初に訪問した香港三菱商事の受付
 香港は大陸の工場と結ばれ、目下に太平洋を臨んでおり、中継貿易には最高の立地をしている。そのため、香港では収入の9割がサービス業からの収益で、製造業はほとんど存在しない。また、金融も大幅に発展し、収入は中国国内の諸地域と比べはるかに高い。

 しかし、貿易に頼る香港は、周りの時流に左右されやすい地域でもある。特に、中国国内の世情はダイレクトに影響する。2003年、SARS(新種の感染症である新型肺炎)の発生の前後で香港島内のホテルの宿泊費が急激に増減したことはその典型であった。

事業の説明に使われた会議室事業の説明に使われた会議室
 さて、総合商社である三菱商事、その仕事は一言でいってしまうと、物の取引だ。その点、貿易に特化している香港は好都合な地域であり、1973年に香港三菱商事が設立された。設立初期の頃は他の企業の製品を仲介して、それを納入するというモデルであったが、香港のインフラ整備が飽和してからは、徐々に投資事業に移っている。最近では、発電所、下水処理場、馬糞処理場などの機器、住宅製品を納入する事業を行っている。

 発電所のほとんどが三菱重工製であるラマ島の石炭・天然ガス発電所。発電効率がよく、環境問題にも貢献している。

 海を臨む香港。その海に面した場所に下水処理場はある。広大な海の持つ自然の高い処理能力を利用してコストを下げ、市民の負担を減らしている。それが「顧客に対応していくこと」であり、これを最も大切にしているのだという。
 競馬場や馬術競技では大量の馬の糞が出る。それを自然に帰すため、馬糞堆肥化施設を香港政府が発案した。ここで三菱商事は、設備を作る会社と香港政府の間を仲介し、馬糞を発酵処理させる機械を納入した。

 地域ごとの生活事情に合わせた住宅を設計する中国最大手の住宅建設企業「万科」。この万科にはエアコンを納入するというビジネスを行っている。

壁に掛けられた企業理念の「三綱領」壁に掛けられた企業理念の「三綱領」
 このような施設は世界の環境志向に合わせて開発されているが、急激に発展する香港で、顧客に環境対策の重要さを説得するのは大変なものだったという。環境を考えなければ利益はもっと上がるかもしれないが、それは世界が許さないのだと、そう熱く説明する。そこに苦労の跡がにじんでいるのを感じた。
 このように事業を進める香港三菱商事。深?(しんせん)と香港を結ぶ大橋が昨年の2007年に完成し、この地域はさらなる発展をするだろう。香港に本社、深?に支店を持つ香港三菱商事もますますの進展が期待できる。
 生き生きと働いていた人々をこの会社で見て、僕は働くことの面白さを感じることができた。そんな会社の、これからの発展の姿を見ていきたいと思った。

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横田 友貴(15歳) 私立奈良学園高等学校1年
横田 友貴

総合力を生かし地域に貢献する商社

 香港の街並みは自分の想像以上に都市化が進んでいた。映画で見るようなネオン街を過ぎると、そこには東京にも負けず劣らずのオフィスビルが立ち並んでおり、香港三菱商事はその香港島の中心にオフィスを構えている。

初めての香港に到着!!初めての香港に到着!!
 木下社長のお話を伺ったあと、僕たちは香港についてと三菱商事のお仕事について説明してもらった。

 香港という街は歴史的にも政治的にもとてもおもしろい場所であった。イギリス植民地時代の面影を残し、一国二制度という特殊な政治形態を持つ香港。

 そんな香港の経済的な特徴は、何といっても自由度の高さであるだろう。企業が仕事をする上での税金による負担が非常に少ないのである。このことによって香港は1970年以降急速な経済発展をスタートさせた。

香港三菱商事にいざ突入!香港三菱商事にいざ突入!
 三菱商事は1954年の駐在員の派遣、そして翌年に香港支店の設立で香港でのビジネスを始める。1973年には業績の拡大で香港三菱商事会社となり、その活動を加速させた。

 もともと香港は、イギリス植民地の時代から中継貿易の盛んな地域であり、香港三菱商事も繊維などの国際貿易を行っていたが、香港の経済発展のスタートに合わせ、インフラ事業に取りかかる。1958年に初めてエレベーターの輸出に成功した。このエレベーターは香港の経済発展で建設が進むオフィスビルに設置されるものである。1980年代に入り香港三菱商事のインフラ事業は進み、特に大きな事業は香港電力との提携事業ではないか。三菱商事は三菱重工や三菱電機と共に1978年に石炭火力発電所を受注して以来、30年以上、香港島やラマ島の電力供給に大きく貢献しているのだ。その後、僕もリポートしている馬糞堆肥化施設や、下水処理施設など様々のインフラ事業に取り組んでいる。
 今では、機械、化学品、生活資材といった分野のビジネスを、華南地域を中心に行っており、インフラの面では設備の整備は一通り終わり、設備の環境対策や効率化を図る事業に力を注いでいる。

木下社長の椅子に座らせていただきました木下社長の椅子に座らせていただきました
 僕の今までの商社に対するイメージが、今回のツアーで大きく覆された。

 今まで商社と言われてもあまりピンと来ず、ただ漠然と“多くのお仕事をするところ”という認識であった。しかし、初めてオフィスで具体的な事業内容を聞いたとき、一つ一つの事業の専門性や、一つの事業に関わる人間の多さに驚いた。これは、商社に限ったことではなく当たり前のことであるのだろうが、入札一つをとってみても香港三菱商事では予算の検討を行う際、世界中にある三菱商事の支店からその事業にかかる経費と収支のバランスのデータを集めて、入札を行う。これにも非常に人手がかかることであるが、多くの経験や多くの社員、そして日本最大級の規模を誇る三菱商事であるために正確なデータが得られるのであろう。
 
もう一つは、“インフラ”である。商社はお金儲けをするところであると思っていた僕にとって驚きであった。民間の商社が政府と協力して大規模な環境事業に取り組む。このことは今一番大切なことではないか。香港の人々が三菱商事と密接に関わっている。政府と国民と企業に、環境や生活の面において深い一体感があること。これが今求められている社会のあり方だと僕は思う。世界の中で三菱商事のような民間企業が増えることを切に祈る。

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