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- 教員の視点 「上智大学の教員が現代を語る」
- 島薗 進 大学院 実践宗教学研究科 教授
現代社会で求められる宗教の役割と
スピリチュアル・ケアを考える新しい大学院
- 島薗 進
- 大学院 実践宗教学研究科 教授
東日本大震災で明らかになった日本人の心の危機
3・11東日本大震災から丸5年が経過したこの春、各メディアがひときわ力を入れた特集記事や番組を通して、私たちは改めてその爪痕の大きさを思い知らされました。奪われた多くの人命、破壊された町や村といった目に見える被害だけではなく、生き残った被災者たちが負った、目に見えない心の傷もまた甚大なものでした。
上智大学は震災直後から、「グリーフケア研究所」が中心となって、被災地における人々の心のケアに取り組んできました。同研究所は、2010年に大阪の聖トマス大学から上智が運営を引き継ぎ、13年からは私が所長を務めています。
「グリーフ」とは、大切なもの、とりわけ愛する人を失ったときの深く激しい悲しみです。それを癒す方法は、つきつめれば「寄り添い」と「傾聴」。相手のそばに自分の心を置き、そのぬくもりを感じながら、相手の心から出てくる言葉に耳を傾けるのです。
かつてこうしたことは、家族やコミュニティのネットワークの中で、自然に行われていました。しかし、他者との絆の「束」がきわめて細いものとなった現代社会においては、死によってその一本が断ち切られたときの喪失感はさらに大きくなり、かつ、それを癒す仕組みは力を失っている。そのため、グリーフケアという特別な取り組みが必要となってきたわけです。
心のケアの重要性が言われ始めたのは、95年の阪神淡路大震災のとき。それから20年足らずの間に、日本人の心の危機的状況がますます深刻化したことも、東日本大震災で明らかになりました。
さて、私自身はそのとき、イタリアの大学で日本文化の講義を受け持っていましたが、一報を聞き、急遽その仕事を切り上げて帰国しました。災害で苦しむ人たちに宗教が手を差し伸べるのは当然ですが、それを受ける側には、特定の宗教と関わることに抵抗感を感じる人も少なくない。だから、本当に被災者の力になるためには、宗教・宗派の枠を超えた連携が重要だと考え、多くの宗教関係者・宗教学者などの協力を得て、「宗教者災害支援連絡会(宗援連)」を立ち上げたのでした。
新たに「実践宗教学研究科」を開設
この4月、上智大学では新しい大学院、「実践宗教学研究科死生学専攻」がスタートし、私はそこで死生学などの講義を担当しています。
この大学院の大きなテーマは、まさに前述のグリーフケア研究所、そして宗援連の活動と共通するもの。すなわち、現代の社会・公共空間において、特定の宗教が、あるいはそれが宗教・宗派の壁を越えて連携した形で、いったい何ができるのか、また何をすべきか、ということです。
同研究科が生まれた背景にはもう一つ、実社会の側からの要請もありました。近代化・科学至上主義の中で、宗教的なもの、スピリチュアルなものが排除されてきたことに対し、あらためてそれでよいのかという疑問が呈せられるようになってきたのです。
とりわけその傾向が顕著なのは、医療の世界です。病気を治すこと、死をできるだけ遅らせることばかりを考え、治すことのできない病気とともに死を覚悟して生きる患者と、いかに向き合うかという視点が近代医学には欠けている。これに対し、たとえばキリスト教圏の病院ならチャプレンがいてその部分を補ってくれますが、日本の病院には、心を落ち着けて静かに過ごす場所すらありません。
こうしたことに、医師よりむしろ看護師、あるいは介護や福祉の関係者たちが大きな悩みを抱えている。そして、やはりスピリチュアル・ケアのようなものが必要だという声が高まっているのです。
新研究科は、様々な宗教を比較しながら深く学ぶと同時に、死生学の観点から神学、哲学、芸術など諸分野を幅広く研究する場となります。また、そうして得られた「知」を人や社会への貢献に応用する、スピリチュアル・ケアやグリーフケアなどの専門人材も育成していきます。
初年度は、昼夜開講にもかかわらず、宗教関係者、医療・ケア関係者、カウンセラーなど社会人も多く集まり、皆さんが現場でぶつかっている課題の大きさを痛感しています。
日本発だからこそ意義の大きい学問領域
キリスト教をベースとした「実践神学」は海外では一般的な学問ですし、仏教系の大学で類似の研究科を置くところもあります。しかし、「実践宗教学」の名で宗教を横断的に扱っているのは、今のところ、震災後に設置された東北大学の寄附講座と私たちの新研究科だけだと思います。そして、この実践宗教学が、日本から生まれ育っていくことに価値がると考えています。
たとえばわが家は、父方は仏教・浄土宗、母方は神道だけれど母はカトリックのミッションスクールで教育を受けた。プロテスタントの幼稚園に通った私自身は宗教学者になりましたが、何教の信者というわけでもありません。このように、人がおのずと様々な宗教に触れられる環境は、日本ではごく当たり前です。
これは、体系的で強い影響力を持つ仏教やキリスト教が入ってきたときに、土着・既存の宗教文化を追い出すことがなかったためで、東アジアにはある程度共通して見られる特徴ですが、やはり日本ではとくに顕著です。
とりわけ日本人に目立つのは、仏教に由来する「方便」という発想。富士山の頂上まで登る道がいくつもあるように、真理・理想は一つで、個々の神様・仏様はそこに至る道、方便の一つであり、人それぞれ自分に合ったものに出会えばいいという考え方です。だから、世界的に問題となっている宗教対立が、日本人にはなかなか理解しにくいのです。
こうした宗教観が一般的である社会で、宗教が果たしうる役割、そこでのスピリチュアル・ケアなどを考えていくことは、実は容易ではありません。つまり、実践宗教学にとって、日本はたいへんチャレンジングなフィールドだといえます。
しかし、グローバル化が進むとともに、世界中の社会で多くの宗教が併存する状況が生まれつつある。これまで特殊だと考えられてきた日本社会は、今後世界のモデルケースになっていく可能性もあるのです。
上智は、宗教として懐の広いカトリックと、宗教に対して懐の広い日本文化を、二つながら基盤に持っています。その理念「他者のために、他者とともに」はまさに実践宗教学の目指すところ。私はここが、この新しい学問領域の世界的拠点となるにふさわしい大学だと考えています。
- 島薗 進(しまぞの・すすむ)
- 大学院 実践宗教学研究科 教授
1948年東京生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文社会系研究科教授(宗教学)を経て2013年から現職で、上智大学グリーフケア研究所所長も兼ねる。専門は近代日本宗教史、死生学。宗教者災害支援連絡会発起人、原子力市民委員会委員、「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人などもつとめる。著書に、『宗教・いのち・国家』(平凡社、2014)、『宗教と公共空間』(東京大学出版会、2014)『国家神道と日本人』(岩波新書、2010)など、多数。