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- 教員の視点 「上智大学の教員が現代を語る」
- 市之瀬 敦 外国語学部 ポルトガル語学科 教授
サッカーの魅力を入り口にポルトガル語圏へ
- 市之瀬 敦
- 外国語学部 ポルトガル語学科 教授
きっかけはやはりサッカーだった
ワールドカップ(W杯)2018ロシア大会に向け、地区予選が早くも始まっています。
新たに日本代表監督に就任したハリルホジッチ氏は、旧ユーゴスラビアの出身。同郷のオシム元日本代表監督も僕は好きでしたが、東欧系の指導者は日本のチームに合っているという印象を持っています。だから、今度の日本代表に、かなり期待しているのです。8月上旬、中国で開催された東アジアカップの成績を受けて、評判を落としているようですけれど。
思い出すと、2014年ブラジル大会の前には何人かの代表選手たちが「優勝が目標」と口にして、敗退後に批判されました。高い目標を持つことは悪いことではないので、理解できない発言ではありませんでしたが、今となってはチーム全体にとってプラスになったかどうかは大いに疑問です。適切なモティベーション・コントロールを、よりよい結果につなげてくれればと願っています。
僕は日本だけではなく、ブラジル、そしてもちろんポルトガルも応援しているので、W杯は常に予選からハラハラ、ドキドキしどおしです。予選の楽しみ方を聞かれてもどう答えてよいのかわかりませんし、それよりもむしろ不安と苦しみを和らげる方法を教えてもらいたいくらいです。とはいえ、今回ポルトガルは予選の組み合わせに非常に恵まれたので、その点は安心していられるかもしれません。逆に、今の日本代表は若干の不安を抱かせますし、これまですべての大会に出場してきたブラジルの動向も心配です。6月に開かれたコパ・アメリカのブラジル代表は見るも無残な姿をさらしましたよね。
ところで、一般的には僕はサッカーの専門家だと思われているようです。それを否定するつもりはありませんが、研究者としては、複数の言語の接触から形成されるクレオール語と総称される言語の分析、ポルトガル語圏アフリカ諸国の言語状況の調査などを中心的なテーマとし、次第にポルトガル本国の文化や歴史へと領域を広げてきました。
ただ一方で、そもそも僕がポルトガル語を専門として勉強しようと考えたのは、1970年W杯でのブラジル代表のサッカーに圧倒されたからですし、留学先のリスボンで、地元2チームのクリスマス・ダービー・マッチを熱狂するファンとともにスタジアムで観て以来、ポルトガル・サッカーのとりこになったことも事実です。
現在、僕が所長を務める上智大学ヨーロッパ研究所が、政治・経済・文化・歴史など幅広く網羅したその取り組みの中で、たびたび欧州サッカーを取り上げていることは言うまでもありません。
オリンピックではポルトガル・サッカーに注目
ポルトガルのサッカーの魅力は、なによりまず、選手たちが非常に上手いこと。テクニシャンが多い。彼らに言わせると、ドイツなど北ヨーロッパの選手は背は高いけれど、不器用なのだとか。
また、ポルトガル人はヨーロッパでは比較的小柄なので、正面突破は難しい。そこで、サイドからえぐるような戦術が多用される点も、特徴といえるでしょう。天才の呼び声高いクリスティアーノ・ロナウドも、そんなサイドアタッカーの典型です。
昔からサッカーが盛んで、このように選手の技術も高いポルトガルが、20世紀中にW杯に出場できたのは、66年と86年のわずか2回だけ。いざというときに力を発揮できないという、ポルトガル人自身が認める気質のせいもあるでしょうし、そのはかなさ、敗者の美学のようなものが、僕からすると魅力の一つでもあります。美しいけれど、どこか悲しいのです。しかし現実的には、サッカー協会の体制不備、クラブ間のもめごとなどが大きな原因でした。
そのあたりがようやく改善されてきたのか、今世紀に入るとW杯は全大会出場、UEFAの国別ランキングも、フランスを抜いて5強の一角に食い込みました。大きな進歩です。
残念なことに、今のところ日本では、こうしたポルトガルのサッカーを、中継はおろかニュースでもほとんど観ることができません。両国の選手の交流が少ないこともその一因であることは明らかで、その意味でも、昨年スポルティング・リスボンに移籍した田中順也選手には期待していたのですが、新監督の構想ではフォワードの4番手、すなわちベンチ入りの機会さえ少なくなりそうだというあまりよくない情報がつい先日入ってきました。代わりに持ちあがった宇佐美貴史選手のFCポルトへの移籍話もあまり根拠のあるものではなかったようですね。
ただ、来年のオリンピックへの出場をすでに決めているポルトガルのU21のチームが、ウィリアン・カルバーリョという選手を中心に、かなり強いのです。日本代表も出場が決まり、さらに対戦が組まれることにもなれば、僕の愛するポルトガル・サッカーへの注目が高まるきっかけになるのではないかと、大いに楽しみにしています。
ポルトガル語圏という大きな世界に視野を広げて
もちろん僕は、サッカーだけではなく、ポルトガルという国自体とその文化全体に興味を広げてもらえたらと願っています。
日本の歴史の教科書で、ポルトガルの名が登場するのは、ほぼ戦国時代の鉄砲伝来のくだりと大航海時代だけ。それゆえ、日本人がポルトガルと聞いて、まず思い浮かべるのは南蛮貿易、次はごく最近の、経済に不安を抱えたEUの問題児の一人というマイナスのイメージなのではないかと思うのです。しかし僕はむしろ、この国の近現代史の中に、一生かけても研究しつくせないであろう豊かなものがあると感じています。
たとえば、ポルトガルではヒトラーのナチス政権とほぼ同時期にサラザール首相による独裁政権が成立し、それが第二次大戦を越えて半世紀近くも存続していたこと、そして、74年に独裁制を崩壊させた軍部によるクーデターそして革命が、「4月25日革命」あるいは「カーネーション革命」と呼ばれていることをご存じでしょうか。
その日、真夜中過ぎにラジオから流れたある歌を合図にクーデターがスタート、夕方にはほぼ無血のうちに終結します。その途中、一人の兵士が道端の花売りの女性にタバコを1本所望した。持ち合わせがなかった彼女は、代わりにカーネーションを差し出す。兵士がそれを銃口に刺したのを他の兵士も真似て、それが革命成功のシンボルになったというのです。なんともロマンティックな政変ではありませんか。そういうわけで、「花と音楽の革命」とも言われます。
たしかにポルトガルは、日本にとって政治的・経済的に大きな意義を持つ国ではないかもしれません。しかしその後ろには、同国が大航海時代にグローバル化の先駆けとして創り上げた、壮大な言語文化圏が存在します。折しも昨年、日本は、ブラジルはじめアフリカ・アジアの多くの国々を含む「ポルトガル語諸国共同体(CPLP)」のオブザーバー国となりました。現政権の外交政策の中で、僕はこれを高く評価しています。
そして、上智のポルトガル語学科には、こうしたポルトガル語圏全体の社会や文化について学べるカリキュラムが用意されていることを、最後に付け加えておきます。
- 市之瀬 敦(いちのせ・あつし)
- 外国語学部 ポルトガル語学科 教授
専門はピジン・クレオール諸語およびポルトガル語圏近現代史。サッカー関連の著作に『ポルトガル・サッカー物語』(社会評論社、2001年)、ピジン・クレオール諸語関連では『出会いが生む言葉 クレオール語に恋して』(現代書館、2010年)、ポルトガル史関連では『ポルトガル 革命のコントラスト カーネーションとサラザール』(上智大学出版、2009年)、最新刊には『新版 ポルトガル語のしくみ』(白水社、2015年)がある。