教員の視点

「アラブの春」から4年目の中東と日本
——チュニジアの銃撃事件から考える

岩崎 えり奈
外国語学部 フランス語学科 教授

「アラブの春」後、チェニジアの前途多難

岩崎 えり奈 外国語学部 フランス語学科 教授

 日本人観光客からも犠牲者が出た銃撃事件が起こったのは、チュニジアの首都、チュニスのバルドー博物館でした。元は宮殿で、国会議事堂のすぐ隣にあり、まわりは閑静な住宅街です。私も昨年秋に訪れたばかりです。

 これまで、チュニジアでもテロがなかったわけではありません。しかしそれらは国境付近の地方に限られており、首都での事件にはさすがに驚きました。ただ、その後チュニジアに大きな混乱はなく、私は、この国の民主化の流れに変化はないと考えています。

 私がチュニジアを含む北アフリカ地域に興味を持ったのは、上智大学に在学中にフランスに留学し、そこでマグリブからの留学生たちに出会ったことがきっかけでした。マグリブとは、チュニジアを含む北アフリカの地域を指します。アラブ地域のなかでは西に位置し、独自の文化をもっています。と同時に、国民の大多数はイスラーム教徒であり、イスラーム世界の一員です。また、フランスの植民地支配を受けた歴史的経緯から、フランス語圏でもあります。つまり、アラブ、イスラーム、フランス、さらに地中海やアフリカというさまざまな要素からなる地域です。

 大学院のときにチュニジアに留学、その後、大使館の専門調査員として、またJICA派遣の専門家として90年代半ばから後半にかけて、チュニジアで働きました。私がチュニジアに住んでいた当時は、独裁政権と言われたベンアリ大統領の全盛期でした。テレビをつければ大統領か大統領夫人のニュースばかりといってもよく、厳しい言論統制が敷かれ、政治を話題にできない雰囲気でした。

 この90年代とくらべれば、2011年の「革命」後のチュニジアは大きく変わりました。現在チュニジアの人々は、「革命」によって獲得された自由を、間違いなく享受しています。それだけではなく、その革命が「アラブの春」という世界史的なできごとの発端となったことから、自国に対する誇りを強く持つようになっています。私が、チュニジアの民主化の将来について楽観的である理由の一つは、こうした人々の意識にあります。

 ただ一方で、解決の難しい課題がそのまま残っていることも事実です。とりわけ深刻な問題は若者の失業問題と地域格差でしょう。失業率は革命から4年たった現在も高く、高学歴の若者失業率は30%に上ります。そして、失業問題は地方でさらに深刻です。しかし、これらの問題の解決はチュニジアにとって重要な課題ですが、即効性のある処方箋はありません。社会の構造的な問題であるとともに、グローバル経済のありかたと結びついた問題だからです。大学を出たあとにどうやって自分にとって望ましい職を見つけ、安定した生活を送るか。日本の若者にとっても他人事ではないはずです。一国レベルでなく、グローバルなレベルでも考えていかなければなりません。

 チュニジアとの日本の関係はこれまで、貿易関係では地中海マグロの輸入などに限られてきましたが、革命前の2010年までは1万人以上の日本人観光客が毎年訪れるなど、それなりに人の往来は増えていました。起きたのは不幸な事件ですが、むしろこれをきっかけに、両国のいろいろな分野での連携や交流が広がることを願いたいと思います。

「アラブの春」を見る多様な視点

岩崎 えり奈 外国語学部 フランス語学科 教授

 先ほど、チュニジアを発端に「アラブの春」が起こったと述べましたが、もちろん、2011年からアラブ世界全体に広がった民主化の波を、ひとくくりに捉えて論じることはできません。各国の事情により運動の形はさまざまであり、その展開も、たとえばシリアのように、内戦につながってしまったところ、バハレーンのように運動が力で抑えられてしまったところなど、国ごとにまったく異なります。

 また、「アラブの春」を政治的な民主化というものさしだけだけでとらえ、その成否を論じることは、さらに適当ではありません。2011年にアラブの人々が蜂起に立ち上がった「革命」は、独裁政権から民主政権への政治体制の転換にとどまらず、もっと身近な自由、経済的安定が実現する社会全体の変革でした。

 その意味で、革命後の民主的な選挙によって誕生したムルシー政権が倒れ、アブデルファッターフ・シーシーによって軍事政権が打ち立てられたエジプトについての見方は難しいところです。

 日本を含めて欧米諸国では、この政権交代をクーデターと呼び、「アラブの春」の挫折、もしくは失敗ととらえる人が少なくありません。実際、ムルシー元大統領の出身母体であるムスリム同胞団を徹底的に弾圧するなど、強権的な部分を持つ現政権を、革命前のムバーラク時代への逆戻りと考える人はエジプト国内にもいます。

 しかし一方で、ムルシーが結果を出せなかった治安や経済の回復について、シーシー大統領は一定の成果をあげています。一般のエジプト人の間で、ムスリム同胞団がバッシングの対象になっているのに対し、現政権の評価・人気は表面的には高いです。サウジアラビアなどからの多額の経済援助のおかげですが、経済成長は4年前とくらべれば上向きになりました。また、観光収入が増え、補助金制度の改革などが行われています。政治においては、様々な政治勢力の支持を取り付けることにも現政権は成功しています。

 こうして、「アラブの春」から始まった変化がどこへ向かうのかを、国ごと地域ごとに偏見なく見守っていくことが大切ですが、そのためには柔軟な考え方が求められます。たとえば、それは民主主義について考えるときにも言えます。自由で公平な社会を作るために、民主主義が有効であることは確かです。ただ、イスラーム教への信仰を社会の基盤に据えるべきだと考える人々にとっては、最も合理的な政治形態が「西欧型」の民主主義であるとは限らないでしょう。そこで、社会や国家を変革しようという局面においては、「イスラーム」型か「西欧」型かといったモデルのどれを選択するかという問題が出てきます。しかしそれをイデオロギーの問題としてではなく、政策や実利の問題として捉える視点が必要です。

テロが生み出す偏見の被害

岩崎 えり奈 外国語学部 フランス語学科 教授

 ところで、イスラーム過激派が実行したとされる大規模なテロ事件が、今年に入って相次いでいます。1月には、フランスでイスラーム教を風刺した出版社が襲われた「シャルリー・エブド事件」、3月にチュニジアの事件、そして4月にはケニアの大学の銃撃事件が起こりました。

 さかのぼれば、9・11以来、こうしたテロ事件は徐々に増えていましたが、「アラブの春」をきっかけに一段と頻発するようになったという事実は否定できません。人々の間にたまっていた不満を、曲がりなりにも封じ込めていたフタが緩んだために、それらが望ましくない形でも噴出し始めた。その極端な形態が、日本人人質事件で日本でも知れわたることになったイスラーム国でしょう。

 忘れてならないのは、こうしたテロが、イスラーム教徒から見ても許されない行為だということです。シャルリー・エブド襲撃事件が起きたとき、中東やイスラーム諸国の首脳や主要メディアは非難声明を出しましたし、多くのイスラーム教徒が事件後の抗議デモに参加しました。

 イスラームやアラブに関する国内での報道のほとんどが、こうした事件に関連するものだということもあり、私たちはつい、宗教そのものとテロを結び付けて考えてしまいがちです。そして、アラブの人たちに対し、不必要な警戒感や偏見を持ってしまう。

 もちろんそれは日本に限ったことではありません。その結果、海外で暮らすアラブ人たちは肩身の狭い思いをしています。とくにシャルリー・エブド襲撃事件がパリで起こったため、ニューヨークで起こった9・11を連想して、何か報復があるのではないか、イスラーム嫌いの風潮が高まるのではないかという不安や懸念が広がったようです。

 言うまでもなく、イスラーム教においても人殺しは禁じられていますし、基本的な倫理観・価値観は、私たちとなんら変わりません。そこを共有するところから、同じ人間同士として肩肘張らずに付き合えばいいのです。アラブ人は日本について、欧米とは違う文化に属しながら、独自の経済発展をとげた見本にすべき国として、とてもいいイメージを持っているのですから。

 現在私は、卒業した上智大学のフランス語学科で教えています。私の在学当時と違い、最初からフランス語圏のアラブやアフリカ地域に興味を持って入ってくる学生は少なくありません。そういう若者が増えて、日本と北アフリカをはじめとしたアラブ・アフリカ諸国との関係がよりよい方向に発展していくことを願っています。

岩崎 えり奈 外国語学部 フランス語学科 教授
岩崎 えり奈(いわさき・えりな)
外国語学部 フランス語学科 教授

北アフリカ社会経済が専門。主著は『現代アラブ社会:アラブの春とエジプト革命』東洋経済新報社、2013年(共著)。

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