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- 堅田 智子 文学研究科史学専攻博士後期課程
石橋湛山新人賞を受賞、
研究者としての歩みを一歩進める
- 堅田 智子 (かただ さとこ)
- 文学研究科史学専攻博士後期課程
明治日本の「ドイツ化」をテーマに
論文は本学の紀要「上智史学」(2012年11月)に掲載されたもので、シーボルト事件で有名な江戸時代のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男で、明治政府の御雇い外国人として外交官を務めたアレクサンダー・フォン・シーボルトの活躍に焦点をあてています。
彼は伊藤博文や青木周蔵、井上馨といった明治政府の外交トップの政治家らと行動を共にしていたのに、日本の史料にはほとんど登場しないんですね。いわば「生きる教科書」として日本を近代化へと導き、あるいは日独関係の発展に寄与したと考えられているのに・・・。彼の功績に光をあてるためにはドイツ語の史料を読み解く必要があります。
日露戦争期には、欧州で対日警戒論が最高潮に達します。とくに人種的・宗教的偏見から黄色人種が白色人種や欧州国家の脅威になるという黄禍(おうか)論が盛んになります。日本側の立場は、欧州のように近代化しなければならない、アジアの中にあって西欧的一等国にならねばならないという屈折した劣等感を抱き、焦っていた状況なのですが、シーボルトはこのことを日本に寄り添って理解していました。
彼は欧州で抱かれていた日本のマイナスイメージを払拭するためにさまざまなメディアを利用して日本の近代化や諸政策の正当性を主張しています。もちろん、それが外交官としての職務だとしても、日本への帰化の勧めを頑に断り、あくまでもドイツ人として日本と関わることを選びました。シーボルトの「日本人」意識やナショナル・アイデンティティとは一体何なのか、実に興味深いです。
異母姉の楠本イネや、オーストリア公使館の外交官として日本で働き、日本人女性と結婚した弟ハインリッヒ・フォン・シーボルトの存在など、彼の家庭環境が大きく影響しているのかもしれませんが、とても一本の論文では書き尽くせません。
昨年私はドイツのハイデルベルク大学に交換留学する機会に恵まれましたが、その時にシーボルトの末裔の方の家にもお邪魔してきました。これまでは刊行されている史料を使って研究をしてきましたが、写真や直筆の原稿などを見せてもらうことができ、また今後の研究の方針についても様々な示唆を得ることができました。
研究者としての自立を目指して
ハイデルベルク大学の講堂で、クラスメイトと
高校生の時から研究者に憧れ、「歴史学こそがすべての学問を網羅できる」と思って史学科への進学を決めました。たとえば、外交史は、政治学にも法学にも関わってきますが、一次史料にまで遡って突き詰めていくのが歴史学なんですね。いちばん人間臭さがわかるのが歴史学だと思っています。何にでも「史」さえ付ければ歴史をやった気になりますが、私は歴史学として歴史と向き合いたいと考えています。
学部生の時に「司馬遼太郎フェローシップ」を受賞して、研究論文をまとめたことがありましたが、それは企画力を評価されての受賞でした。今回の受賞は書き上げた論文に対する評価、研究者としての将来性を評価していただたいたという点でとても嬉しく思っています。これが博士後期課程になって初めて書いた論文だったのですが、昨年は翻訳を1本、今年すでに別のテーマで論文を発表しました。今年中にもう1本書き上げる予定です。
同級生の多くは、すでに社会人として一般企業などで働いていていますが、文科系の研究者にとって就職先としての研究機関といえば大学ぐらいに限られます。まだまだ厳しい道のりですが、なるべく早い時期に博士号を取得したいと考えています。
友人たちから「よく、そんなに楽しそうにやるね」と言われたりします。つまずくことがないわけではありませんが、ネタが尽きることがないんですね。
上智と私
実は両親が上智の出身ということで、智子(さとこ)と命名されました。子どもの頃から両親に連れられ、ソフィアンズ・デー(ホームカミングデー)には四谷キャンパスを訪れ、昔話をたくさん聞かされていたことから、上智は大変身近な大学でした。ただ両親から進学先として強く勧められたかというと、そうでもありませんでした。他の大学の史学科についても調べてみましたが、規模が大き過ぎたり、日本史もドイツ史も同じように勉強できる大学は少なくて。その点、小ぢんまりとしていて、学科の垣根も越えても自由に学べる、ドイツと関わりの深い大学ということで、圧倒的に上智に魅力を感じました。先生方と学生の距離が近く、すぐに教えを乞うことができる環境こそ、私が大学に求めていたものでした。
上智での学生生活はすでに中学高校の6年間を超えて9年目になります。その間に、妹も上智に入学しました。私のアイデンティティって何だろう、名付けられた時から上智で学ぶ宿命だったのかな、と考えずにはいられません。