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研究

松永 瑠成

松永 瑠成 【略歴

可能性としての和本

松永 瑠成/中央大学大学院文学研究科・日本学術振興会特別研究員DC1
専門分野 日本近世文学

はじめに

 私は幸いにも平成30年度の日本学術振興会特別研究員DC1に採用された。偏に周囲の方々の支えによるところが大きいが、そのきっかけは「和本」との出会いにあった。

 これから申請を考えている方の参考になることを願い、拙いながらも自らの経験を振り返ってみたいと思う。

端本収集と研究事始め

図1

図2 異なる版木が用いられている例(『契情買虎之巻』)

図3 処女香の広告が附載された人情本

 初めて購入した和本は、『諸国名物往来』(文政7年刊)と細川並輔著『消息往来大全』(弘化2年刊)の2冊(図1)。学部2年次のことで、いずれも価格は1000円であった。以来、古本屋や古書即売会、インターネットオークションをこまめに覗きながら和本を収集している。

 はじめは1000円乃至2000円程度のものを何気なく集めていたが、卒論の題目を決めた頃から集書の対象を戯作に定めた。戯作とは、読本・洒落本・滑稽本・人情本・草双紙といった江戸時代における娯楽読み物の総称である。このうち、特に卒論との関わりが深かった洒落本と人情本を中心に集めはじめたのだが、前者は古書価が頗る高い。そのため必然的に人情本、それも安価な端本ばかりが集まっていくこととなった。

 蔵書らしきものが形成されていくなかで、同じ作品の同じ巻が重複することは屡々あった。それらを比較してみると、同じ巻でもそれぞれ大きさや表紙、摺りの善し悪しなどが異なっており、全く同じ本は1冊としてみられない。なかには異なる版木で摺られたものすらあった(図2)。こうした諸本の比較検討をとおして、和本の難しさを思い知ると同時に、その魅力と奥深さに気がつけたのは、まさに端本収集の賜物であったといえるかもしれない。

 さらに収集を続けるなかで、同じような広告が人情本に附載されているのにふと気がついた(図3)。それは「為永春水精剤」と謳われた処女香の広告で、売弘所には「書物并絵入読本所 文永堂 大島屋伝右衛門」とみえる。比較的摺りの早い本だけでなく、ずっと遅い後印本にまで広告が附載されている点や、「書物并絵入読本所」なる称が冠された大島屋という存在は、なにやら私を惹きつけた。その後、調べていくうちに少しずつ大島屋が思考の中心となっていき、やがて日本学術振興会特別研究員申請時の研究テーマへと繋がっていった。

貸本問屋大島屋伝右衛門

 私は現在、戯作が出版されてから流通を経て、読者の手にわたるまでの過程を研究している。そのための方策としているのが、大島屋を視座に据えるというものである。

 「読者の手にわたる」といっても、戯作をはじめとする娯楽読み物は、近代初頭まで貸本屋をとおして読まれるのがほとんどであった。それまで本は気軽に買えるほど安価でなかったし、そもそも娯楽読み物を自らの蔵書にしようという考え自体が希薄だったのである。そのため、戯作を考える上で貸本屋という存在は無視できない。

 戯作を刊行する版元も、当然ながら得意先である貸本屋を念頭に置いて営業していた。とりわけ、貸本問屋と呼ばれた版元らは、その称からもわかるように貸本屋向けの営業に特化していた。大島屋は滑稽本や人情本を主力商品としながら、この貸本問屋として近世後期から近代初頭に至るまで営業を続けていた。戯作とも貸本屋とも関わりが深いだけでなく、時代を横断する1つの視座ともなり得る存在、それが大島屋だったのである。

 研究では、まず大島屋の携わった滑稽本や人情本の流通を可視化すべく、貸本屋の旧蔵書と蔵書印に着目した。印には貸本屋の名前ばかりでなく、所在地が明記されている場合がある。そうした情報を集積することで、大島屋を中心とする書籍流通網を復元しようと試みたのである。これにより、流通網の一端が明らかになっただけでなく、貸本屋をとおした人々の戯作受容への理解を深めることができた(拙稿「「中本」受容と大島屋伝右衛門―版元、そして貸本問屋として―」)。

 今後は大島屋を中心としながらも、ほかの同業者や隣接する業界をも視野に入れて研究を進めていき、戯作における出版・流通・受容の実態をより具体化していきたいと考えている。

むすびにかえて

 大島屋との邂逅、研究テーマの着想、日本学術振興会特別研究員への申請、そして採用の全ては、和本を収集していなければ実現できなかったと言っても過言ではない。ひたすらに和本を博捜し、集めていたからこそ得られた偶然の産物なのである。

 各地の古本屋や古書即売会で、和本を漁る同世代を見掛けることはほとんどない。私には、これがそのまま学界における若手の少なさを反映しているように思えてならない。文学に限らず、人文科学は先細りしていく運命にあるのかもしれない。しかし、だからこそ1人でも多くの若手が活躍し、斯界を盛り上げていく必要があるのではなかろうか。

 実際に自分が活躍できるかどうかはさておき、まだまだ若手であるからには、これからももがき続けねばなるまい。活躍の場を夢見て、今日も今日とて和本を漁ることとする。

松永 瑠成(まつなが・りゅうせい)/中央大学大学院文学研究科・日本学術振興会特別研究員DC1
専門分野 日本近世文学
1994年生まれ。2016年國學院大学文学部日本文学科卒業。2018年中央大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程修了。現在、同大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程に在籍。日本学術振興会特別研究員DC1。
論文に「「中本」受容と大島屋伝右衛門―版元、そして貸本問屋として―」(『近世文藝』109号、日本近世文学会、2019年1月)、「大島屋伝右衛門出版書目年表稿」(『書物・出版と社会変容』21号、「書物・出版と社会変容」研究会、2018年10月)、「誠光堂池田屋清吉の片影―文書からみる明治期貸本屋の営業と生活―」(『中央大学国文』60号、中央大学国文学会、2017年3月)がある。

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