常設仲裁裁判所の裁定
大陸国家から海洋国家へ
沿岸海軍から近代海軍へ
以上、前編
「警戒と協調」の米中関係
1970年代における米中接近・国交樹立は、中国にとってソ連への抑止力となるとともに、日米欧からの外資と技術の導入は中国に高度経済成長をもたらした。さらに1991年末のソ連崩壊による米ソ冷戦の終結は、中国にとって長年にわたるソ連からの軍事的圧力からの解放を意味した。ソ連(ロシア)の軍事的圧力からの解放と高度経済成長は、欧米日に長年にわたり与えられた積年の屈辱を晴らす機会を中国に保証するはずであった。しかし中国指導部(江沢民政権)はアメリカの圧倒的な軍事的優越性を思い知らされることになる。冷戦終結過程にあった1991年初頭の湾岸戦争では、軍事革命(RMA=Revolution in Military Affairs)を背景とした米軍の軍事力に驚愕した中国指導部は、対米警戒しつつも協調路線を維持していかざるをえなかった。
台湾で独立志向の強い李登輝政権が成立する可能性が高まった1996年3月に、中国はミサイルを撃ち込み威嚇したが、アメリカは二隻の空母やイージス艦を派遣し中国の威嚇行動を抑止した。NATO軍がユーゴ空爆を行った1999年5月に米軍機がベオクラードの中国大使館を「誤爆」した中国人記者ら3人が死亡した事件で、江沢民政権は「強い抗議」を行ったものの「誤爆」を受け入れ有効な対応策を取らなかった(注7)。軍拡を続ける中国を冷戦後の「戦略的競争相手」と見て将来アメリカにとって軍事的脅威となると主張していたブッシュJr.政権が成立した直後の2001年4月1日、米海軍哨戒機(電子偵察機)が中国軍機と接触し海南島に不時着した事件では、両国が相互に責任を擦り付けたが妥協が成立しパイロットと機体が返還された。
2001年の9・11同時多発テロを契機に、国内にチベット・ウィグルなど分離独立運動を抱える中国やチェチェンなどの分離独立運動の燻るロシアとアメリカは国際反テロ同盟を結成してアフガン戦争を開始したが、アメリカが中露の思惑を超えてかつてソ連の友好国であったサダム・フセイン率いるイラクとの戦争を開始すると、中国はこれを激しく非難するとともにアメリカの軍事力に対抗する準備を加速していった。2011年にクリントン国務長官やオバマ大統領自身がアメリカ軍をアジア・太平洋地域に重点的に配備するという「リバランシング政策(ピボット政策)」を表明したことも中国を刺激した。アメリカの軍事的優越性を前に妥協を余儀なくされ屈辱感を蓄積してきた中国指導部(胡錦濤政権)は、潜水艦を含む海軍力の増強を進め、有人飛行船「神船」や衛星破壊衛星の打ち上げを含む宇宙防体制を強化するなど軍事力の総合的な高度化を加速化していった。
中国の一方主義的拡大政策
国力をつけるまでは国際社会に対して低姿勢で臨むべきであるという鄧小平の遺訓である「韜光養晦(とうこうようかい)」に従い、屈辱感を内に秘めつつもアメリカと妥協を重ねてきた中国は、2008年のリーマンショックにより欧米日が苦しんでいた中、4兆元(約56兆円)に上る大型景気刺激策により世界経済を浮揚させたと評価され、さらに2010年には日本を追い越しGDPでアメリカに次ぎ世界第2位に踊り出た。中国が一方主義的拡大政策に乗り出すのはこの時期に当たる。国力をつけたという自信がその背景にある。オバマ大統領は就任時に、アメリカは「世界の警察官」の役割から降りると宣言していたため、自信をつけた中国がオバマ政権期に、すでに大幅に遅れている海軍建設計画の(2)を強行しようとしているとみることができる。
その第1の目的は、太平洋におけるアメリカの海軍力に対抗するため第一列島線を確保すること、さらに少なくとも西太平洋における優位を確保するため第二列島線を確保することであることは明らかであろう。2008年3月米上院軍事委員会公聴会で、アメリカ太平洋軍司令官ティモシー・J・キーティング海軍大将は「2007年5月に司令官として中国を訪問した際、(中国海軍幹部から)アメリカがハワイ以東を、中国がハワイ以西の海域を管理するというアイディアはどうか」と打診された事実を明らかにしている。また2015年5月17日に訪中したケリー国務長官に対して、習主席は「広大な太平洋には中米2大国を受け入れる十分な空間がある」という提案していた。中国は太平洋分割統治論を持ちかけつつ、「接近拒否・領域拒否(A2/AD=Anti-Access/Area Denial)」戦略を進めているとアメリカは認識している(注8)。
第2の目的は海底資源の確保とアフリカやヨーロッパとの間のシーレーンの確保である。南シナ海や東シナ海の海底に埋蔵されている可能性の高い石油や天然ガスなどを確保し、さらに海外市場から資源を輸入したり製品を輸出するためのシーレーンのチョークポイントとして南シナ海を独占支配するためである。中国共産党権力の正当性の根拠は、第1に軍国日本から中国・中国人民を解放したという主張であり、第2に平等の実現であった。第1の根拠は大量の中国人が海外留学したり、SNSの普及により歴史の真実を知ってしまったために、その根拠は失われている。第2の根拠は鄧小平が主導した改革・開放政策の中で進められた「先富論」により完全に否定され、経済成長が新たな正当性の根拠となった。経済格差に起因する社会的不安定性を孕みながらも、絶えず経済成長させていくことが中国共産党独裁支配の大前提となっている。そのためには資源と貿易の確保は独裁権力を維持していく上で不可欠となっており、対米軍事戦略に次ぐ第2の目的となっているのである。AIIB(アジア・インフラ投資銀行)や「一帯一路」構想も資源と貿易の確保の手段として具体化しつつあるが、中国経済の成長が継続していくことが大前提である。しかし急速な少子高齢化、深刻な経済格差、政治腐敗、少数民族圧迫、宗教弾圧などの国内的条件により、もはや継続的な高度経済成長は望めなくなっている上に、かつてイギリスやアメリカが経験したようにオーヴァーストレッチ(過剰拡大)は国力を消耗させることは明らかである。
南シナ海と米中関係
長年にわたりアメリカに「煮え湯」を飲まされてきた屈辱を晴らすために登場したのが習近平政権だと言える。軍事的・経済的な2つの目的をもって習近平政権は南シナ海で人工島を構築して軍事施設建設を強行しているが、一方主義的拡大政策は早晩破綻するであろう。確かに一時的にアメリカでは米中二大国共同管理論(G2論)がZ.ブレジンスキーやR.ゼーリックによって唱えられ、また米中戦略・経済対話も継続しているが、オバマ政権は遅きに失した感は拭えないが中国の国際法を無視した行動に警戒感を強めている。11月初旬に行われる大統領選挙でクリントン、トランプのいずれかが当選しても議会内外で激しくなる中国警戒論を無視することはできないであろう。中国がGDPで世界第2位といっても1人当たりのGDPはトルコやメキシコの後塵を拝して75位(2015年度)であり、軍事費も2015年現在アメリカの5,960億ドル(世界シェア35,6%)に対して2,150億ドル(同12,8%)とアメリカの三分の一にとどまっている。
常設仲裁裁判所の裁定に対して国家を挙げて非難し、これを無視して人工島での軍事施設建設を強行している中国に対して、中立的であったインドネシアやAIIBに参加したEU諸国も批判を強めている。強気な言動とは裏腹に、国内的な諸矛盾と国際的批判を前に習近平政権は窮地に立たされている。
- (注意7)^ 2016年6月17日習近平中国主席は夫人とともにユーゴスラビアの首都ベオグラードを訪問し、真っ先に訪れたのはアメリカに「誤爆」された旧中国大使館であった。事件から17年経った時点で中国人犠牲者のための追悼式を行ったことは、中国の、そして習主席の屈辱感を示していることは明らかである。
- (注意8)^ この概念がアメリカの公式文書に登場したのは2001年のQDR(Quadrennial Defense Review「4か年毎の国防評価」)であり、この時点では、台湾有事に米軍が介入してくるのを阻止するための中国の戦略と認識されていた。その核心は中国の作戦地域に米軍が部隊を派遣するのを阻止し、できるだけ遠方で米軍を撃破することにより中国の作戦地域に侵入させないという構想。より具体的には台湾有事の際、沖縄の嘉手納基地から米空軍機が出動するのを阻止し(接近拒否)、遠方から接近する空母機動軍(1隻以上の空母を中心とした戦闘部隊)を撃破することを目的としている(領域拒否)。
(『白門』10月号より転載)
- 滝田 賢治(たきた・けんじ)/中央大学法学部教授
専門分野 政治学、国際政治学
- 1946年8月 横浜に生まれる
1970年3月 東京外国語大学英米語学科卒業
1977年3月 一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学
1987年4月 中央大学法学部教授、現在に至る
1991年3月 ジョージワシントン大学(ワシントンDC)客員研究員(〜93年3月)
2002年4月 中央大学政策文化総合研究所所長(〜2008年3月)
- 社会活動:
国連大学グローバルセミナー委員・講師、東アジア共同体評議会有識者委員、かながわ国際財団インカレセミナー委員など
主要業績:
『太平洋国家アメリカへの道』(有信堂、1996年)、『東アジア共同体への道』(編著:中大出版部、2006年)、『国際政治:150号——冷戦後世界とアメリカ外交』(責任編集:日本国際政治学会、2007年)、「東日本大震災と日本の課題」『中央評論』(中央評論編集部、2012年1月)、『アメリカがつくる国際秩序』(編著:ミネルヴァ書房、2014年)、「グローバル化論の類型学」星野智編『グローバル化と地球社会の現実』(中大出版部、2014年)