2012年12月16日に行われた衆議院総選挙で、「年間2%の物価上昇目標(インフレ目標)を明確に設定して、日銀法の改正も視野に、政府・日銀の連携を強化する仕組みを作り、大胆な金融緩和によってデフレ・円高からの脱却をはかる」ことを選挙公約として掲げた安倍晋三総裁率いる自民党が連立与党の公明党を含めて衆議院の3分の2以上の議席を占めて、第二次安倍政権が誕生した。その直後の2012年12月20日に公刊された論説において、筆者は、以下のように書いた。「安倍新政権が選挙前から打ち出した金融政策は基本的に正しく、妥当であると考える。このような金融政策は、日銀は決して実施しようとしなかったが、米国のFRBをはじめとして、日本以外の中央銀行が普通に実施している世界標準の金融政策に過ぎない。」(文献[1]) その後安倍政権の経済政策は「アベノミクス」と呼ばれるようになり、それはマクロ経済政策としての(1)大胆な金融政策と(2)機動的な財政政策、およびやや構造改革的な意味合いのある(3)成長戦略という「3本の矢」から成り立っていると、安倍政権自身によって説明されている。消費税増税延期をきっかけとした2014年12月の衆議院総選挙を経て第三次安倍政権が成立し、近年稀にみる長期政権が継続中であり、本稿執筆段階の2016年6月時点で、アベノミクスが開始されてから、既に3年半が経過している。そこで、現時点におけるアベノミクスの成果と課題について、筆者の評価を述べることにする。
アベノミクスの成果
「アベノミクス」を推進する最も重要なエンジンは、「第一の矢」である大胆な金融政策である。この任務を実行するのは、2013年3月に安倍内閣によって任命された黒田東彦総裁、岩田規久男副総裁、中曽宏副総裁を中心にした新体制下の日銀である。日銀が2013年4月に発表した「異次元緩和」と呼ばれた金融政策の内容は、「2012年4月の段階では138兆円であったマネタリーベースを2年間で2倍の270兆円に増やし、その内訳は主として長期国債を購入することによって達成する」というものであり、実際、日銀はその後、この計画どおりにマネタリーベースを増やしてきた。さらに、日銀は、人々のインフレ予想に働きかけてデフレマインドを一掃することを意図して、「2%インフレ目標を達成するために、あらゆる手段を用いる」ことを宣言した。この新体制下の日銀の金融政策は、「中央銀行が年率2%程度のインフレ目標を設定してマイルドなインフレーションを意図的に引き起こしてデフレ不況からの脱出を目指すリフレーション政策」を提唱する「リフレ派」の政策そのものである。
アベノミクスが開始されて以来、それ以前に比べて為替レート、株価、銀行貸出、雇用、名目所得に顕著な望ましい変化が現れた(以下の様々な数字については、文献[2]の第9章参照)。民主党政権下で白川日銀総裁が金融政策を担当していた2012年には日経平均株価は8千円台に低迷し、為替レートは1米ドル=70円台の「超円高」であり、輸出企業の収益を極度に圧迫していたが、アベノミクス開始2年半後の2015年8月には日経平均株価は2万円を超え、為替レートも2015年の一時期1米ドル=120円台にまで円安になった。その後中国経済のバブル崩壊によって引き起こされた世界同時株安の影響で日本も株安・円高に振れたが、それでも、本稿執筆時点の2016年6月初旬の段階で、日経平均株価は1万7千円前後、為替レートは1米ドル=110円前後を維持している。もしアベノミクスが開始される前の日経平均株価8000円台、1米ドル=70円台を起点にして中国のバブル崩壊のような「外生的ショック」に見舞われたら、日経平均株価は5000円台、為替レートは1米ドル=60円台、「完全失業率」は、実際の2016年6月時点の値である3%台前半の倍以上である7%台になっていたかもしれない。民主党政権下の2012年に約460兆円であった日本の銀行貸出は、2015年には約495兆円になった。すなわち、「資金需要がないので日銀が金融緩和しても銀行貸出は増えない」という一部の論者の主張に反して、アベノミクス開始後の3年間に、銀行貸出は約35兆円増えたのである。雇用については、以下のような変化があった。2012年に日本の就業者数は約6250万人、「完全失業率」は約4.5%であったのに対し、2015年には日本の就業者数は約6380万人、「完全失業率」は3%台前半になった。リーマン・ショック直後の2008年から2012年にかけて日本の就業者数は150万人以上減少したが、アベノミクス開始後の3年間で、生産年齢人口が依然として減少し続けているにもかかわらず、就業者数は約130万人増えたのである。アベノミクスが開始された当初はまず非正規雇用が増加したが、最近では、非正規雇用の正規雇用への転換が始まっている。また、アベノミクスが開始されてから、デフレ不況下で死語になっていた「ベースアップ」(ベア)が復活し、徐々にではあるが名目賃金率が上がり始め、それとともに名目GDPも上がり始めた。日本経済新聞2016年4月4日朝刊の滝田洋一氏の記事によれば、民主党政権下の2010年から2012年にかけて名目GDPは4兆円増えただけであるが、2012年に475兆円だった名目GDPは安倍政権下の3年間で24兆円増え、2015年には499兆円になった。また、デフレ不況の真っただ中では年間の自殺者が3万人を超えていたが、アベノミクス開始以後は、それに比べて年間の自殺者が約1万人も減り、特に「経済的な理由」による自殺者の減少が顕著である(時事ドットコムによる)。
アベノミクスの阻害要因としての消費税増税
以上の望ましい変化は、ほとんどすべて「第一の矢」と呼ばれる日銀の金融政策によってもたらされたものである、と考えられる。なぜならば、「第三の矢」としての「成長戦略」にはほとんど実態がないし、「第二の矢」としての財政政策は、2014年に行われた消費税の増税によって、むしろ経済成長にブレーキをかけるマイナスの作用を持っていたからである。このことは、以下に掲げる表によって説明することができる。
2011~2015年度の日本のGDP成長率と物価上昇率
年度 / 年率(%) |
g |
gR
|
p |
2011 |
-1.3 |
0.4 |
-1.7 |
2012 |
0.0 |
0.9 |
-0.9 |
2013 |
1.7 |
2.0 |
-0.3 |
2014 |
1.5 |
-0.9 |
2.4 |
2015 |
2.2 |
0.8 |
1.4 |
g=名目成長率(名目GDPの成長率)
gR=実質成長率(実質GDPの成長率)
p=g-gR≒GDPデフレーターの上昇率(物価上昇率)
出所:内閣府経済社会総合研究所
この表が示すように、アベノミクスが開始される前の2011年と2012年の日本経済は、明らかに「デフレ不況」と言える状態であったが、アベノミクスが開始された2013年は、名目成長率も実質成長率も高く、インフレ率もまだマイナスとはいえ、デフレ脱却に向かっていた。ところが、2014年には、名目成長率が1.5%であったのに、実質成長率がマイナス0.9%になってしまった。それは、2014年4月に5%から8%に3%分消費税が引き上げられたことにより、一度限り2.4%物価が上昇したことによる(このような理由による一度限りの物価上昇は、インフレとは言わない)。もし名目GDPの成長率がゼロならば、消費税増税による2.4%の物価上昇は2.4%実質GDPを低下させるはずであるが、日銀の金融緩和の効果もあり1.5%名目GDPが成長したので、実質GDPの低下が0.9%にとどまったのである。翌2015年には、依然として日銀の金融緩和効果により2.2%という比較的高い名目GDPの成長率が達成されたが、前年の消費税増税の影響による消費の低迷を払拭できず、実質GDPの成長率は低かった。結果として、財務省や財務省の影響下にある一部のエコノミストや評論家による「消費税を増税しても景気に及ぼす影響は軽微である」という主張が誤りであることが、判明した。
2014年4月の消費税増税は、2012年に民主党の野田政権下で、当時野党であった自民党と公明党を含む3党合意のもとで、消費税を2014年4月に5%から8%へ、さらに2015年10月に10%へ引き上げることが法律で決められていたことに基づいて「予定どおり」安倍政権下で実行されたわけであるが、この増税が景気に大きなブレーキをかけて日銀の金融緩和効果を相殺してしまい、アベノミクスの大きな阻害要因となったのである。この苦い経験を踏まえ、安倍政権は、ノーベル経済学賞受賞者であるクルーグマンやスティグリッツの助言を受け入れ、まず2015年10月の増税を2017年4月まで1年半延期し、さらに、2017年4月の増税を2019年10月まで2年半延期した。このことにより、アベノミクスの最大の阻害要因が取り除かれたので、2020年に名目GDPを600兆円に増やすことを目指す安倍政権による「名目GDPターゲット」を達成できる確率は高まったと、筆者は考えている。なお、本稿では、紙幅の都合により、2016年1月に日銀によって導入されたいわゆる「マイナス金利」の意義について述べることができなかったが、この点については、文献[3]を参照されたい。
参考文献
- 浅田 統一郎(あさだ・とういちろう)/中央大学経済学部教授
専門分野/マクロ経済学、特にマクロ経済動学
- 現職:中央大学経済学部教授。
1954年愛知県生まれ。1977年早稲田大学政治経済学部卒業。1982年一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位修得満期退学。経済学博士(中央大学)。駒澤大学経済学部助教授、中央大学経済学部助教授を経て、1994年より現職。現在の研究課題は、マクロ経済動学の方法に基づく経済変動およびマクロ経済政策の研究。また、主要著書に、「成長と循環のマクロ動学」(日本経済評論社、1997年、単著)、"Monetary Macrodynamics(Routledge, London, 2010, 共著)などがある。